《相馬の古内裏》とは|国芳が生んだ「一体の巨大骸骨」という革新を徹底解説

《相馬の古内裏》(弘化2〜3年頃、1845〜46年)は、江戸時代後期の浮世絵師・歌川国芳による大判錦絵三枚続です。平将門の遺児・滝夜叉姫が妖術で骸骨を呼び出し、武士・大宅太郎光国を襲わせる場面を描いたこの作品は、原作では数百体の骸骨が現れるところを、国芳がたった一体の巨大な骸骨に置き換えたことで、浮世絵史上屈指の名作となりました。

目次

基本情報

項目内容
作者歌川国芳(1797〜1861)
制作年弘化2〜3年頃(1845〜46年)
技法・形式木版多色刷、大判錦絵三枚続
サイズ左37.4×25.1cm、中37.5×25.4cm、右37.5×25.9cm
所蔵東京富士美術館、千葉市美術館ほか
原作山東京伝『善知安方忠義伝』(文化3年、1806年刊)

一言でいうと
《相馬の古内裏》は、原作で数百体登場する骸骨たちを、あえて一体の巨大な骸骨へと大胆に置き換えることで、それまでの浮世絵にはなかった強烈な視覚的インパクトを生み出し、後世の妖怪表現にまで影響を及ぼした、国芳の代表作である。

制作背景

物語の舞台

「相馬の古内裏」とは、新皇を名乗って朝廷に反旗を翻した平将門(相馬小次郎)が、下総国猿島郡に築いた御所の跡地です。将門の乱の兵火によって荒れ果てたこの廃屋に、将門の遺児・滝夜叉姫が父の遺志を継ぐべく仲間を集め、妖術を操って謀反を企てました。噂を聞きつけた源頼信の家臣・大宅太郎光国は、単身この古内裏に乗り込み、妖怪を退治しようとします。画面左には滝夜叉姫、中央には刀を構える光国と、彼に組み伏せられる滝夜叉姫の弟・平良門が描かれています。

「一体の巨大骸骨」という革新

原作の読本『善知安方忠義伝』では、滝夜叉姫が呼び出すのは等身大の骸骨が数百体、東西に分かれて合戦を繰り広げるという場面でした。しかし国芳は、これをあえて一体の巨大な骸骨として描くという、大胆な改変を加えます。破れた御簾をかき分け、暗闇の中からぬっと顔を出す骸骨の姿は、これまでの浮世絵にはなかった強烈な迫力を生み出し、当時の人々の度肝を抜きました。

見どころ

構図:通常、三枚続の浮世絵は、1枚ずつでも構図が独立して見えるように描かれるのが慣例でした。しかし国芳は、この慣例に従わず、巨大な骸骨の体を三枚の画面を大胆に横切らせるという、極めて独創的な構成を選びました。腰をかがめて御簾越しに姿を現す骸骨は、自らもその大きさを持て余しているかのようで、不気味さの中にどこか愛嬌も感じられます。

技法:骸骨の描写は解剖学的に驚くほど正確であり、西洋の医学書の解剖図を参照したのではないかとも言われていますが、具体的な典拠は今も明らかになっていません。目にした資料から想像を膨らませることを得意とした国芳ならではの、緻密で説得力のある描写です。

制作事情:このように巨大な画面を一枚で作るには、縦約37cm・横80cm近い、当時としても非常に貴重で高価な版木・和紙が必要となり、安定した調達が困難でした。三枚続という形式は、こうした素材面での制約を踏まえた、実務的な工夫でもあったのです。

評価と影響

歌川国芳は、通俗小説『水滸伝』に取材した武者絵のシリーズで人気絵師となり、「武者絵の国芳」と呼ばれました。天保の改革で浮世絵への規制が強まった際にも、ユーモアに富んだ風刺画や戯画で新機軸を打ち出し続けた、権力におもねらない反骨の絵師として知られています。この《相馬の古内裏》に描かれた巨大骸骨のイメージは、後世、妖怪研究家や水木しげるらによって、現代の創作妖怪「がしゃどくろ」の視覚的なモデルとして採用されました。がしゃどくろ自体は伝統的な民間伝承に基づくものではなく、昭和中期に創作された架空の妖怪ですが、国芳のこの絵が、その姿を決定づけるイメージ源になったのです。

よくある誤解

誤解①「原作の小説にも巨大な骸骨が登場する」→ 実際は等身大の骸骨が数百体現れる場面だった

この絵のあまりの有名さから、原作の物語にもそのまま巨大な骸骨が登場すると思われがちですが、実際には原作『善知安方忠義伝』では、等身大の骸骨が数百体現れて合戦を繰り広げる場面であり、一体の巨大な骸骨は国芳自身が生み出した独創的な改変です。

誤解②「がしゃどくろは古くから伝わる伝統的な妖怪である」→ 実際は昭和中期に創作された妖怪である

国芳の骸骨のイメージがあまりに有名なため、がしゃどくろも古い伝承に基づく妖怪だと思われがちですが、実際には1966年の雑誌記事で初めて登場した、比較的新しい創作妖怪です。国芳のこの絵は、その視覚的なイメージ源として後から採用されたにすぎません。

FAQ

Q. 《相馬の古内裏》とはどんな作品ですか?
A. 歌川国芳が弘化年間(1845〜46年頃)に手がけた大判錦絵三枚続で、滝夜叉姫が妖術で巨大な骸骨を呼び出し、武士・大宅太郎光国を襲う場面を描いています。

Q. なぜ骸骨が一体だけ、しかも巨大に描かれているのですか?
A. 原作の小説では数百体の等身大の骸骨が登場しますが、国芳がこれをあえて一体の巨大な骸骨に置き換えるという、独創的な改変を加えたためです。

Q. がしゃどくろとはどんな関係がありますか?
A. がしゃどくろは昭和中期に創作された妖怪ですが、この絵の巨大骸骨のイメージが、その視覚的なモデルとして採用されました。

Q. 《相馬の古内裏》はどこで見られますか?
A. 東京富士美術館や千葉市美術館など、複数の美術館が所蔵しています。

まとめ

《相馬の古内裏》は、原作で数百体登場する骸骨たちを、あえて一体の巨大な骸骨へと大胆に置き換えることで、それまでの浮世絵にはなかった強烈な視覚的インパクトを生み出し、後世の妖怪表現にまで影響を及ぼした、国芳の代表作です。三枚続の画面を大胆に横切る骸骨の姿は、180年近くを経た今もなお、海外でも高い人気を誇る、日本美術屈指の名場面として、私たちを驚かせ続けています。

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