《苦悩》(1878年)は、デンマーク生まれの画家オーガスト・フリードリヒ・シェンクによる油彩画で、オーストラリア・メルボルンのヴィクトリア国立美術館が所蔵する作品です。死んだ我が子の亡骸を守るように立ち尽くす母羊と、それを取り囲む不吉なカラスの群れを描いたこの絵は、同館が所蔵する75,000点にのぼる作品の中から、2度にわたって「最も人気のある作品」に選ばれています。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | オーガスト・フリードリヒ・アルブレヒト・シェンク(1828〜没年不詳) |
| 制作年 | 1878年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 151.0×251.2cm |
| 所蔵 | ヴィクトリア国立美術館(オーストラリア・メルボルン) |
| 原題(仏) | Angoisse(苦悩、不安) |
| 初出展 | 1878年、パリ・サロン |
一言でいうと
《苦悩》は、死んだ我が子を守るように毅然と立ち尽くす母羊の姿を通じて、動物画という形式を借りながら、人間の悲嘆と喪失という普遍的な感情を描き出し、発表から150年近くを経た今もなお、鑑賞者の心を強く揺さぶり続けている作品である。
制作背景
デンマーク生まれのシェンクは、若くしてパリに定住し、エコール・デ・ボザールで学びました。生涯の大半をフランスで過ごし、風景画と動物画を専門としましたが、その動物たちはしばしば、人間関係や社会そのものの寓意として描かれています。《苦悩》は1878年、フランス語の題名「Angoisses」でパリ・サロンに出品され、翌1879年にはロンドンでも展示されました。同年、雑誌『ラール』のためにシャルル・モーランによって版画化されています。ロンドンの画商アグニューズを経てヴィクトリア国立美術館に売却され、1880年にオーストラリアへ渡りました。
見どころ

構図:雪の上に横たわる子羊の口からは、一筋の血が流れ、その死を物語っています。母羊は、その亡骸の上に毅然と立ち、口を大きく開けて悲痛な鳴き声を上げ、その息は凍える寒さの中で白く凝っています。この構図は、しばしばピエタ(死せるキリストを抱く聖母)を思わせるとも評されています。二頭の周りには、不吉な黒いカラスの群れが取り囲み、曇り空の下、亡骸を狙って辛抱強く待ち構えています。
技法:シェンクは、この母羊に決断力と悲しみという、明確に人間的な感情を与えることで、鑑賞者が即座にこの動物の苦境に感情移入できるよう工夫しています。ヴィクトリア国立美術館の学芸員テッド・ゴット博士は、この作品にチャールズ・ダーウィンの進化論(1859年『種の起源』、1872年『人及び動物の表情について』)からの影響があった可能性を指摘しており、動物の感情表現への当時の科学的関心が、この作品の背景にあったと考えられています。
解釈をめぐる議論:興味深いことに、カラスが子羊を殺したのか、それとも既に死んでいた子羊の亡骸をただ狙っているだけなのかについては、鑑賞者の間で意見が分かれています。子羊の体には目立った傷が見られないことから、母羊はカラスによる襲撃を防いでいるのではなく、亡骸が食い荒らされるのを防ごうとしているのだ、とする見方も有力です。
評価と影響
《苦悩》はヴィクトリア国立美術館の初期の収蔵品の一つであり、1906年と2011年(同館創立150周年)の2度にわたり、収蔵する75,000点の作品の中から最も人気のある作品に選ばれています。シェンクはこの作品の約7年後、1885年のサロンに、構図を反転させた対作品《孤児、オーヴェルニュの思い出》(現・オルセー美術館所蔵)も発表しました。こちらでは、死んだ母羊のそばに、か弱い子羊がうずくまり、木の柵に並んだカラスたちがそれを見守るという、逆の場面が描かれています。2020年代に入り、SNS(TikTokなど)を通じてこの絵が再び大きな注目を集め、現代の観客の間でも強い感情的反響を呼んでいます。
よくある誤解
誤解①「カラスが子羊を殺した」→ 実際は既に死んでいた子羊を狙っているだけかもしれない
不吉なカラスの群れという構図から、彼らが子羊を殺害したのだと思われがちですが、子羊の体に目立った傷跡がないことから、実際にはすでに死んでいた亡骸を狙う、日和見的な光景として描かれている可能性が指摘されています。
誤解②「この絵は発表当初から高く評価されていた」→ 実際は比較的無名な作品として長く扱われてきた
現在の絶大な人気から、常に高く評価されてきたと思われがちですが、実際にはシェンクという画家自身、長らく美術史の中では比較的無名な存在として扱われており、この絵が広く一般に知られるようになったのは、近年のSNSでの拡散がきっかけとなっています。
FAQ
Q. 《苦悩》とはどんな作品ですか?
A. シェンクが1878年に描いた油彩画で、死んだ我が子の亡骸を守るように立つ母羊と、それを取り囲むカラスの群れを描いています。ヴィクトリア国立美術館が所蔵しています。
Q. なぜこの絵はこれほど人気があるのですか?
A. 動物画という形式を借りながら、人間の悲嘆と喪失という普遍的な感情を強く喚起する構図が、鑑賞者の心を強く揺さぶるためです。1906年と2011年の2度、同館で最も人気のある作品に選ばれています。
Q. カラスは子羊を殺したのですか?
A. 子羊の体に目立った傷跡がないことから、すでに死んでいた亡骸を狙っているだけかもしれないという見方もあり、はっきりとは分かっていません。
Q. 《苦悩》はどこで見られますか?
A. オーストラリア・メルボルンのヴィクトリア国立美術館が所蔵しています。
まとめ
《苦悩》は、死んだ我が子を守るように毅然と立ち尽くす母羊の姿を通じて、動物画という形式を借りながら、人間の悲嘆と喪失という普遍的な感情を描き出した作品です。発表から150年近くを経た今もなお、SNSを通じて新たな世代の心をも強く揺さぶり続けているという事実は、優れた芸術作品が持つ、時代を超えた感情喚起の力を、鮮やかに物語っています。
