《花瓶の5本のひまわり》は、オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホが1888年8月、南フランスのアルル滞在中に手がけた油彩画です。かつて日本の兵庫県芦屋市にある実業家の自宅に飾られていたこの作品は、「芦屋のひまわり」「幻のひまわり」とも呼ばれ、太平洋戦争末期の空襲によって焼失してしまいました。この記事では、この絵がどのようにして日本にたどり着き、そしてなぜ「幻」と呼ばれるようになったのかを見ていきます。
《花瓶の5本のひまわり》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890) |
| 制作年 | 1888年8月(アルル) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 98×69cm |
| 別名 | 『芦屋のひまわり』『幻のひまわり』 |
| 現状 | 1945年8月6日、空襲により焼失 |
一言でいうと
《花瓶の5本のひまわり》は、ゴッホの「ひまわり」連作のなかでも珍しく青みがかった背景を持つ作品で、かつて日本に実在していたにもかかわらず、戦争によって失われてしまった一枚です。現存する印刷物の図版だけが、この絵の姿を今に伝えています。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
「ひまわり」連作のなかの2番目の作品
ゴッホは「ひまわり」を主題にした作品を、自身による再制作も含めて全部で7点手がけたとされています。これらは背景の色によって大きく2つに分類でき、花びらの黄色と補色の関係にある青を背景に用いた作品では、ひまわりが浮き上がって見える効果が生まれています。本作は、この連作のなかで2番目に描かれた作品であり、鮮やかな青を背景に用いた点で、他の多くのひまわり作品とは一線を画す存在でした。
白樺派が思い描いた美術館構想
本作は1920年(大正9年)、関西の実業家・山本顧彌太が、白樺美術館のためにスイスで7万フランを投じて購入しました。当時の為替レートでおよそ2万円、現在の価値に換算するとおよそ2億円にのぼる大金です。文学者・武者小路実篤をリーダーに、志賀直哉や岸田劉生らが結成した白樺派は、文学だけでなく美術作品も紹介する活動を行っており、西洋美術から得られる感動を広く伝えたいという思いから、専門の美術館を設立する構想を抱いていました。
芦屋の自宅応接間へ
しかし白樺美術館の設立構想は結局実現することなく頓挫してしまいます。行き場を失った本作は、購入者である山本顧彌太が暮らす兵庫県芦屋市の自宅応接間に飾られることになりました。1920年12月に日本へ到着したこの絵は、日本にやってきた最初の本物のゴッホの「ひまわり」でもありました。
見どころ徹底解説

青い背景が際立たせる存在感
本作最大の特徴は、他の多くのひまわり作品とは異なる、鮮やかな青を用いた背景にあります。花びらの黄色と補色関係にある青を背景に配置することで、ひまわりの花そのものが画面から浮かび上がるように際立って見える効果が生まれています。
消失 — 広島原爆と同じ日に
本作は1945年(昭和20年)8月6日、広島に原子爆弾が投下されたのとまさに同じ日、アメリカ軍による神戸大空襲を受けて焼失してしまいました。所蔵者の自宅とともに失われたこの絵は、以後「芦屋のひまわり」「幻のひまわり」と呼ばれ、実在していたにもかかわらず二度と目にすることのできない、悲劇的な運命をたどった作品として語り継がれることになります。
印刷物だけが伝える姿
本作の実物や質の良い写真は現存しておらず、現在私たちがその姿を知ることができるのは、当時刊行された美術全集などに掲載されたカラー印刷の図版のみです。調布市武者小路実篤記念館には、こうした資料の一つが所蔵されており、白樺派とこの絵との縁を今に伝えています。
陶板による原寸大の復元
2014年、タイルの製造技術を応用した「陶板画」によって世界の名画を複製・所蔵する大塚国際美術館(徳島県鳴門市)が、本作を原寸大の陶板画として復元する計画を進めました。手がかりとなる資料が画集のカラー印刷物しかなかったため、再現には大きな苦労が伴ったと伝えられています。西洋美術を専門とする成城大学名誉教授・千足伸行が監修を務め、同年10月1日から同館で公開されました。
実際に見るには
原画は失われているため、実物を鑑賞することはできません。徳島県の大塚国際美術館では、数少ない印刷資料をもとに再現された原寸大の陶板画を見ることができます。また調布市武者小路実篤記念館には、白樺派とこの絵の関わりを伝える資料が保管されています。
よくある誤解
本作はしばしば「もともと日本にはなかった、海外にのみ存在した幻の作品」として誤解されがちですが、実際には1920年から1945年まで25年近くにわたって実際に日本国内に存在し、多くの人々の目に触れていた作品です。白樺美術館という構想が実現しなかったことや、戦争による焼失という悲劇が重なったことで、今日「幻」という言葉で語られるようになったにすぎません。
FAQ
Q. なぜ「芦屋のひまわり」と呼ばれているのですか?
所蔵者の山本顧彌太の自宅があった兵庫県芦屋市に、長年この絵が飾られていたことに由来します。
Q. なぜこの絵は失われてしまったのですか?
1945年8月6日、広島原爆と同じ日に発生した神戸大空襲によって、所蔵者の自宅とともに焼失しました。
Q. この絵はもともと何のために購入されたのですか?
文学者・武者小路実篤らが結成した白樺派が構想していた白樺美術館のために購入されましたが、美術館の設立自体は実現しませんでした。
Q. 今でもこの絵の姿を見ることはできますか?
実物は失われていますが、当時の印刷物の図版や、大塚国際美術館が2014年に制作した原寸大の陶板画による復元で、その姿をしのぶことができます。
Q. ゴッホの「ひまわり」は全部で何点ありますか?
自身による再制作も含めて全部で7点とされ、現存するのは公開コレクションにある5点と個人蔵の1点、そして本作を含む焼失した1点です。
まとめ
《花瓶の5本のひまわり》は、白樺派が抱いた美術への情熱によって日本にもたらされながらも、戦争という時代の暴力によって失われてしまった作品です。印刷物の図版と陶板画による復元だけが今に伝えるその姿は、名画がたどりうる、もっとも切ない運命の一つを物語っています。
