バルテュス(バルタザール・クロソフスキ・ド・ローラ)による自画像《猫たちの王》(1935年)は、スイス・ローザンヌ州立美術館(ミュゼ・カントナル・デ・ボザール)が所蔵する作品です。エレガントな装いで悠然と立つ27歳の画家自身と、その脚にすり寄る大きな虎猫を描いたこの絵は、単なる自画像でありながら、画面の中に「陛下、猫たちの王――ご本人による肖像、1935年」という銘文まで描き込むという、バルテュス一流の自己神話化の身振りに満ちた一枚です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | バルテュス(バルタザール・クロソフスキ・ド・ローラ、1908〜2001) |
| 制作年 | 1935年(画家27歳の時) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 約71×48cm |
| 所蔵 | ローザンヌ州立美術館(ミュゼ・カントナル・デ・ボザール、スイス) |
| 原題 | 《Le Roi des chats》 |
| ジャンル | 自画像 |
一言でいうと
《猫たちの王》は、片手を腰に、もう片方の手で上着の襟をつまみながら悠然と立つ若き画家自身と、その脚に体をこすりつける大きな虎猫という、一見何気ない情景を描いた作品でありながら、画面の隅に置かれた画布には「陛下、猫たちの王――ご本人による肖像」という銘文が大文字で記されており、バルテュスが自らを猫たちの王国に君臨する君主として演出した、遊び心と自己神話化に満ちた自画像です。
制作背景
バルテュスと猫との結びつきは、彼の幼少期にまで遡ります。10歳の頃、彼が飼っていた猫ミツーが失踪してしまった出来事をきっかけに、彼はこの猫の物語を綴った40点にも及ぶ連作の素描を制作しました。この一連の作品に強く心を打たれた、一家の友人であった詩人ライナー・マリア・リルケ(後にバルテュスの母の恋人ともなる)の尽力により、この素描群は1921年、リルケ自身が序文を寄せる形で『ミツー』という一冊の本として出版されています。この時、リルケの勧めにより、バルテュスは自身の幼少期の愛称にちなんだ「バルテュス」という署名を、以後生涯にわたって用いるようになりました。
猫への強い思い入れは、その後も彼の人生と画業を通じて色濃く残り続けました。この絵が描かれた1935年、バルテュスは恋敵に打ち勝って婚約者アントワネット・ド・ヴァットヴィルを射止めたことをきっかけに、彼女への手紙に「猫たちの王」と署名するようになっていたと伝えられています。彼は後年の回想録の中で「私は早くから、自分が猫たちの世界に神秘的に属しているという秘密を悟っていた。私は彼らの独立心への渇望を分かち合っていたのだ」と記しています。
見どころ

構図: 画面には、黒い上着に薄茶色のズボンをまとった若き日のバルテュス自身が、片手を腰にあて、もう片方の手で上着の襟を握りしめながら、まっすぐにこちらを見据える姿で描かれています。足元では、大きな虎猫が彼の脚にすり寄るように体を寄せています。
銘文と鞭: 画面右手に置かれた木製のスツールの上には、「陛下、猫たちの王――ご本人による肖像、1935年」と大文字で書かれた画布が立てかけられており、その傍らには一本の鞭が置かれています。この鞭の存在が、単なる猫と戯れる青年の情景画を、常に飼い慣らされねばならない「野性の自己」への寓意へと転じさせています。
仮面をかぶり続ける自画像: バルテュスの自画像群は、彼が常にさまざまな仮の人格を身にまといながら、決してその「仮面」を脱ぐことのない自己演出によって特徴づけられています。この絵における「猫たちの王」という称号もまた、そうした彼の自己神話化の身振りの一つとして位置づけられています。
評価と影響
《猫たちの王》は、バルテュスが自らを様式化し、伝説化していく手法を代表する自画像として、彼の画業を語る上で欠かせない一枚とされています。2013年にニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された回顧展「バルテュス:猫と少女たち」は、まさにこの絵から始まる構成となっており、その堂々とした自己演出と虚構性が、バルテュスという芸術家の全体像を読み解く鍵として位置づけられました。猫というモチーフは、ロマン主義の時代以来、芸術家の自由と内面性の双方を象徴するものとして扱われており、この絵もまたそうした系譜に連なる作品です。
よくある誤解
誤解①「この絵に描かれた猫は単なる飼い猫の描写にすぎない」→ 実際は画家自身の自己同一化の対象として描かれている
何気ないペットの描写として見られがちですが、実際にはバルテュスは自らを「猫たちの世界に属する存在」だと考えており、この絵の猫は、彼自身の独立心や野性を映し出す分身として描かれています。
誤解②「『猫たちの王』という称号は単なる絵のタイトルにすぎない」→ 実際は同時期に婚約者への手紙で実際に用いていた署名だった
絵画作品のためだけに考案された架空の肩書きだと思われがちですが、実際にはバルテュスは1935年当時、恋のライバルに勝利したことを受けて、婚約者アントワネット・ド・ヴァットヴィルへの手紙に、実際に「猫たちの王」と署名していました。
FAQ
Q. 《猫たちの王》とはどんな作品ですか?
A. バルテュスが1935年、27歳の時に手がけた油彩の自画像で、悠然と立つ画家自身と、その脚にすり寄る虎猫を描いています。ローザンヌ州立美術館が所蔵しています。
Q. なぜバルテュスは自らを「猫たちの王」と称したのですか?
A. 幼少期からの猫への強い思い入れに加え、この絵を描いた1935年、恋のライバルに打ち勝って婚約者を射止めたことをきっかけに、彼女への手紙にこの称号を用いるようになったことが背景にあります。
Q. 画面に描かれた鞭にはどんな意味がありますか?
A. 猫と戯れる情景画を、常に飼い慣らされねばならない野性的な自己への寓意へと転じさせる仕掛けとして解釈されています。
Q. 《猫たちの王》はどこで見られますか?
A. スイス・ローザンヌのローザンヌ州立美術館(ミュゼ・カントナル・デ・ボザール)が所蔵しています。
まとめ
《猫たちの王》は、エレガントな装いで悠然と立つ27歳の画家自身と、その脚にすり寄る大きな虎猫を描いた作品でありながら、画面の中に「陛下、猫たちの王――ご本人による肖像」という銘文まで描き込むという、バルテュス一流の自己神話化の身振りに満ちた自画像です。90年近くを経た今もなお、この絵は虚構と現実が入り混じった、バルテュスという芸術家の謎めいた人物像を私たちに伝えています。
