《ヴェロドロームにて(仏:Au Vélodrome、英:At the Cycle-Race Track)》は、フランスのキュビスム画家ジャン・メッツァンジェが1911年から12年にかけて手がけた油彩画で、現在はヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションに所蔵されている。画面には「PARIS-ROU(BAIX)」の文字が読み取れ、これが単なる抽象的な人物像ではなく、実在の自転車レースの1シーンを描いた作品であることがわかる。今回はこの絵がなぜ近代美術史上特別な位置を占めているのか、そしてキュビスムが速度をどう表現しようとしたのかについて見ていく。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ジャン・メッツァンジェ(1883〜1956) |
| 制作年 | 1911〜12年 |
| 技法・素材 | 油彩・砂・カンヴァス |
| サイズ | 約130.4×97.1cm |
| 所蔵 | ペギー・グッゲンハイム・コレクション(ヴェネツィア) |
| 主題 | パリ〜ルーベー間自転車レース、1912年の優勝者シャルル・クリュプラン |
一言でいうと
近代美術のなかで、初めて特定のスポーツイベントと実在の優勝者を主題にした一枚。キュビスムの画家が「速さ」という目に見えないものを、複数の視点を重ね合わせることで捉えようとした試みでもある。
制作背景
パリ〜ルーベーという過酷なレース
この絵が描いているのは、パリ〜ルーベー間自転車レースの最終盤、ゴール直前の数メートルの場面だ。このレースは北フランスの石畳道を走る過酷なコースで知られ、「北の地獄」や「クラシックの女王」といった異名を持つ。画面に描かれた選手は、1912年にこのレースで優勝したシャルル・クリュプランその人とされている。
キュビスムの理論家としてのメッツァンジェ
メッツァンジェは、アルベール・グレーズとともに1912年に『キュビスムについて(Du Cubisme)』という、キュビスムの目的と手法を初めて体系的にまとめた書物を出版した人物でもある。1911年のサロン・デ・ザンデパンダンでは「41号室」と呼ばれる展示室にキュビスムの画家たちが集まり、この運動がパリの美術界で初めて明確な輪郭を持つ潮流として認識される契機となった。メッツァンジェはその中心的な担い手の一人だった。
「第4の次元」への関心
メッツァンジェはこの絵に、複数の視点や同時性、時間という概念を織り込んでいる。彼は、古典的なフランス絵画の伝統、たとえばジャック=ルイ・ダヴィッドやアングルの様式に対抗しうる新しい絵画には「第4の次元」の表現が不可欠だと考えていた。画面のスタンド席に描かれた数字の「4」は、この関心をほのめかす仕掛けとされている。
見どころ

分割された選手の姿
画面中央には、自転車にまたがる選手の姿が幾何学的に分割された面によって再構成されている。単一の視点からではなく、複数の角度から捉えた体の各部分を同一画面に統合するというキュビスムの手法が、疾走する選手の躍動感をそのまま画面に定着させている。
観客席に描き込まれた群衆
画面左上には、レースを見守る観衆の姿が小さなモザイクのように描き込まれている。この細部の描写によって、単なる抽象的な構成にとどまらず、実際の競技会場という具体的な場が示されている。
「PARIS-ROU」の文字
画面には「PARIS-ROU」という文字の断片が読み取れ、これがパリ〜ルーベー間レースを描いたものであることを直接示している。当時のキュビスムの画家たちは、新聞の切り抜きや文字をコラージュ的に画面へ取り込む手法をしばしば用いており、この絵にもその発想が反映されている。
砂を混ぜた絵具の質感
この絵の絵具には砂が混ぜ込まれており、画面にざらついた独特の質感を与えている。滑らかな油彩表現とは異なるこの手法は、同時期のキュビスムの画家たちのあいだでも試みられていたもので、絵画の物質性そのものへの関心を反映している。
実際に見るには
本作はヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションに所蔵されている。1945年にペギー・グッゲンハイムが取得して以来、同館の常設展示の中心的な作品の一つとなっており、2012年には制作からちょうど100年を記念した特別展も開催された。
よくある誤解
この絵はしばしば「単なる抽象的なキュビスムの実験作」として片付けられがちだが、実際には近代美術のなかで初めて、特定のスポーツイベントと実在の優勝者を主題にした記念碑的な一枚である。抽象化された画面の奥に、実在の選手とレースという具体的な出来事が隠れていることを知ると、この絵の見え方も変わってくる。
FAQ
Q. 《ヴェロドロームにて》はどこで見られますか?
ヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションに所蔵されている。
Q. この絵に描かれている選手は誰ですか?
1912年のパリ〜ルーベー間自転車レースで優勝したシャルル・クリュプランを描いたとされている。
Q. なぜこの絵は美術史上重要とされているのですか?
近代美術のなかで初めて、特定のスポーツイベントと実在の優勝者を主題にした作品とされているためである。
Q. メッツァンジェはどんな画家でしたか?
キュビスムの中心的な担い手の一人で、アルベール・グレーズとともにキュビスムの理論書『キュビスムについて』を出版した人物でもある。
Q. この絵にはどんな技法上の特徴がありますか?
複数の視点を統合する構成に加え、絵具に砂を混ぜてざらついた質感を出すという手法が用いられている。
まとめ
《ヴェロドロームにて》は、幾何学的に分割された画面のなかに、実在のレースと実在の勝者という具体的な出来事を封じ込めた一枚だ。速さという目に見えないものを、複数の視点の重なりによって捉えようとしたメッツァンジェの試みは、100年以上経った今も色褪せない挑戦として見る者に迫ってくる。
