《エスタックの家々》(1908年)は、フランスの画家ジョルジュ・ブラックによる油彩画で、スイス・ベルン美術館が所蔵する作品です。マルセイユ近郊の村エスタックの家々と木々を、幾何学的な形態へと解体して描いたこの絵は、20世紀美術を代表する潮流「キュビスム」の出発点となった作品でありながら、実はその名称自体が、画家仲間マティスの皮肉な一言から偶然生まれたものでした。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ジョルジュ・ブラック(1882〜1963) |
| 制作年 | 1908年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 73×59.5cm |
| 所蔵 | ベルン美術館(スイス) |
| 舞台 | エスタック(マルセイユ近郊、セザンヌゆかりの地) |
| 位置づけ | プロト・キュビスム、または最初期のキュビスム風景画 |
一言でいうと
《エスタックの家々》は、マルセイユ近郊の村エスタックの家々と木々を、円柱状の木の幹や立方体状の建物として解体的に描いた作品でありながら、その様式が批評家ルイ・ヴォークセルによって「小さな立方体(プティ・キューブ)ばかりだ」と評され、この一言から「キュビスム」という運動そのものの名称が生まれることになった、20世紀美術史における出発点の一枚である。
制作背景
1908年の夏、ブラックはかつてポール・セザンヌが好んで制作の地としていたエスタックを訪れ、この地を主題にした一連の風景画を手がけました。この頃ブラックは、ピカソのアトリエで《アヴィニョンの娘たち》を目にしたことをきっかけに、自身の造形の単純化への探求をさらに深めていたとも言われています。ブラックは、これらエスタックの風景画を含む6点の署名入り作品を、1908年のサロン・ドートンヌの審査に提出しましたが、審査員(マティスやジョルジュ・ルオー、シャルル・ゲランを含む)によって、全作品が拒絶されてしまいます。審査員のうちゲランとアルベール・マルケは2点だけでも残そうとしましたが、ブラックはこれに抗議し、マティスを非難しながら、すべての作品を取り下げました。
サロンからの拒絶を受けたブラックに手を差し伸べたのが、画商ダニエル=アンリ・カーンワイラーでした。彼はブラックのためにパリのヴィニョン通りにある自身のギャラリーで、1908年11月9日から28日にかけて、27点の作品からなる個展を開催します。この展覧会は、今日「最初のキュビスム展」と呼ばれています。
「キュビスム」という名称の由来
批評家ルイ・ヴォークセルによれば、マティスは彼に、ブラックがサロンに「小さな立方体でできた絵」を提出したと語ったと伝えられています。批評家シャルル・モリスもこの「小さな立方体」という表現を伝えており、ヴォークセルは1908年11月14日の批評の中で、ブラックが「形態を軽視し、風景も人物も家も、すべてを幾何学的な模様、立方体へと還元している」と評しました。翌1909年、アンデパンダン展のブラック作品を評した際、ヴォークセルは初めて「キュビスム」という言葉そのものを用いています。興味深いことに、画商カーンワイラー自身はこの呼び名を「無意味な言葉」として快く思っていなかったと伝えられていますが、結局この名称はそのまま定着し、一般に広く使われるようになりました。
見どころ

幾何学的な解体:画面には、木の幹が円柱状に単純化され、家々や岩肌が、立方体を思わせる面の集積として描かれています。伝統的な単一の消失点による遠近法や、自然な陰影による立体表現は放棄され、より構造的で、建築物のような形態表現へと置き換えられています。もっとも、画面奥の家々が手前のものより小さく描かれている点など、古典的な遠近法の名残も一部に見て取れます。
セザンヌへの応答:ブラックがこの絵で試みた、自然の風景を幾何学的な形態へと還元する手法は、同じくエスタックを愛した先人セザンヌの、晩年の様式への直接的な応答だったと考えられています。
評価
《エスタックの家々》は、プロト・キュビスムを代表する重要な風景画、あるいは最初期のキュビスム風景画として位置づけられています。詩人ギヨーム・アポリネールは、カーンワイラーの個展のカタログ文を執筆した際、「立方体」という言葉こそ使いませんでしたが、ブラックの「総合的なモチーフ」について言及しています。この一連のエスタック風景画は、後にピカソとの緊密な協働を通じて、20世紀美術における最も重要な芸術運動の一つへと発展していくことになります。
よくある誤解
誤解①「『キュビスム』という名称は、画家自身が客観的な様式名として名付けた」→ 実際は批評家への皮肉な発言から偶然生まれた
中立的な様式の呼称として定着していることから、画家自身が名付けたと思われがちですが、実際にはこの名称は、画家仲間マティスが批評家ヴォークセルに語った皮肉な発言に由来しており、画商カーンワイラー自身もこの名称を快く思っていなかったと伝えられています。
誤解②「この絵は発表当初から美術界に高く評価されていた」→ 実際はサロンに拒絶された
今日の高い評価から、発表当初から称賛されていたと思われがちですが、実際にはこの絵を含む一連の作品は、1908年のサロン・ドートンヌの審査(マティス自身も審査員の一人でした)によって拒絶され、画商カーンワイラーによる個展を通じてようやく世に知られることになりました。
FAQ
Q. 《エスタックの家々》とはどんな作品ですか?
A. ブラックが1908年に手がけた油彩画で、マルセイユ近郊エスタックの家々と木々を、幾何学的な形態へと解体して描いています。ベルン美術館が所蔵しています。
Q. なぜ「キュビスム」という名称はこの絵から生まれたのですか?
A. マティスが批評家ヴォークセルに、ブラックの作品を「小さな立方体でできた絵」と評したことがきっかけとなり、この表現がそのまま運動の名称として定着しました。
Q. なぜこの絵はサロンに拒絶されたのですか?
A. マティスを含む審査員たちが、この幾何学的で伝統的な遠近法から逸脱した様式を受け入れず、提出された全作品を拒絶したためです。
Q. 《エスタックの家々》はどこで見られますか?
A. スイス・ベルン美術館が所蔵しています。同様の主題を扱った別バージョンは、フランス・リール近代美術館にも所蔵されています。
まとめ
《エスタックの家々》は、マルセイユ近郊の村エスタックの家々と木々を、円柱状の木の幹や立方体状の建物として解体的に描いた作品でありながら、その様式が批評家ルイ・ヴォークセルによって「小さな立方体ばかりだ」と評され、この一言から「キュビスム」という運動そのものの名称が生まれることになった、20世紀美術史における出発点の一枚です。批評家が何気なく口にした皮肉の一言が、100年以上経った今も、ある美術運動全体の名前として残っています。
