葛飾北斎《百物語 さらやしき》とは|井戸から皿の首を伸ばす、お菊の幽霊

《百物語 さらやしき》は、葛飾北斎が、1831〜32年(天保2〜3年)頃に手がけた、中判の錦絵です。深い藍色の夜を背景に、古い井戸から、青白い女の顔が、横向きに浮かび上がっています。黒く長い髪は、後ろへ流れ、そのまま、何枚もの皿が連なった、蛇のような胴体へと変わって、井戸の中へ続いています。怖ろしい怪談を題材にしながら、どこか、ユーモラスな味わいを持つ作品で、北斎の「百物語」の連作のなかでも、とりわけよく知られた一枚です。

基本情報

作者は葛飾北斎(1760〜1849)、制作年は、天保2〜3年(1831〜32)頃とされます。形式は、中判の錦絵(多色刷りの木版画)で、サイズは、所蔵する美術館により、縦26.3〜27.3×横19.0〜19.3cm程度の差があります(島根県立美術館は、縦26.3×横19.0cm)。版元は、鶴屋喜右衛門(仙鶴堂)とされます。英語の題は、「The Mansion of the Plates」です。

画面の左上の題箋には、「さらやしき」「百物語」「前北斎為一筆」「鶴喜板」といった文字が、読み取れます。

「百物語」という連作

「百物語」は、鶴屋喜右衛門の依頼により、北斎が手がけた、怪談をテーマにした揃物です。百物語とは、江戸時代に流行した遊びで、夜に数人が集まり、交代で怪談を語ります。百本の蝋燭を、一話ごとに消していき、最後の一本が消えたとき、怪異が起こると信じられていました。

シリーズの題から、全百図を想定していたと考えられますが、確認されているのは、5図だけです。その5図は、「さらやしき」「笑ひはんにや」「お岩さん」「こはだ小平二」「しうねん」で、途中で中断したようです。明治26年(1893年)には、復刻版が制作されており、東京国立博物館に収蔵されています。

題材|皿屋敷の怪談

「皿屋敷」は、日本各地に伝わる、よく知られた怪談です。この作品は、浄瑠璃『播州皿屋敷』を題材にしたものとする解説と、江戸を舞台とする『番町皿屋敷』を題材にしたものとする解説が、あります。いずれにしても、奉公人のお菊が、主人が大切にしていた十枚組の皿のうち、一枚を割ってしまったとして責められ、殺されて、井戸に投げ込まれた、という筋です。その後、お菊の霊が、夜ごと、井戸から現れて、「一枚、二枚」と、皿を数える声が聞こえるといいます。

米国議会図書館は、この伝説の最も有名な形が、1795年に確立したと述べています。その年、古い井戸に、お菊虫と呼ばれる虫が大量に発生し、その姿が、縄で縛られた女のように見えたため、お菊の生まれ変わりと信じられたそうです。

見どころ|皿でできた蛇の体

画面の中央から上では、お菊の顔が、右を向いています。白く塗られた顔は、横顔で、細い目は、ややうつむき加減に、前を見ています。眉と口元は、淡く描かれ、素朴で、どこか間の抜けた、表情に見えます。ある解説は、北斎のお菊が、若い美人ではなく、垂れ目の中年女性のように描かれていると述べています。

黒く長い髪は、頭の後ろから、細かい線で、下へ流れ、途中から、青い縁取りのある白い皿へと、変わっていきます。皿は、幾枚も重なり、うねる蛇のような胴体を作り、その鱗のように見えます。日本語版ウィキペディアは、髪に絡まった7枚の皿が、蛇体のようにうねる姿を、ろくろ首のようにも見えると解説しています。

口からは、細い白い息が、まっすぐに伸び、途中で、くるりと渦を巻いて、立ちのぼっています。文化庁の解説は、これを、煙草の煙か、ため息のようだと述べ、島根県立美術館や萩美術館も、似た見方を紹介しています。

見どころ|井戸と夜の青

画面の下には、桶を重ねたような、木の井戸が、描かれています。縦の板の列は、墨の線で表され、井戸の周りには、黒い縄が、一周巻かれています。井戸の上部の右側には、橙色の部分も見えます。井戸の周りには、大きな葉が茂っています。葉は、青や緑の濃淡で、細い葉脈まで描き込まれています。

背景は、上のほうが藍色で、下へ向かうにつれ、黒へと深まるぼかしになっています。この夜の青が、お菊の白い顔と、皿の白を、いっそう際立たせます。

評価

美術史家の安村敏信は、「百物語」5図のなかで、「さらやしき」と「こはだ小平二」が、特に出色の出来栄えだと評価しています。一方で、読本の挿絵の時代にあった、生々しい臨場感や熱っぽさが薄められたと指摘し、「乾いた恐怖の世界」とも述べています。鈴木重三や尾崎周道も、北斎の数多い作品のなかでは、必ずしも高い評価ではないと述べています。この絵のユーモラスな表現は、恐怖を煽る作品としては物足りないとする見方と、独創的な解釈として楽しむ見方に、分かれているようです。

所蔵

この図は、多くの美術館に所蔵されています。東京国立博物館、島根県立美術館、すみだ北斎美術館、萩美術館・浦上記念館のほか、ボストン美術館(ウィリアム・スタージス・ビゲロー・コレクション)、スミソニアン国立アジア美術館、米国議会図書館などです。

まとめ

《百物語 さらやしき》は、怪談のなかの亡霊を、皿を連ねた蛇体の姿として描いた、北斎の独創です。恐ろしさと、おかしさが、一枚の画面に同居し、見る者を、笑うべきか、怖がるべきか、迷わせます。藍色の闇のなかで、静かに煙をくゆらせるお菊は、江戸の人々が楽しんだ、怪談の遊びの気分を、今に伝えています。

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