ダラスのメドウズ美術館に、屋根のない中庭で数人の男たちがもみ合う様子を描いた小さな油彩画がある。《精神病院の中庭(西:Corral de locos)》と題されたこの作品は、フランシスコ・デ・ゴヤが1793年から1794年頃に手がけたもので、彼自身が少年時代に目にしたという実際の光景をもとにしている。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828) |
| 制作年 | 1793〜1794年頃 |
| 技法・素材 | 油彩・ブリキ板 |
| サイズ | 32.7×43.8cm |
| 所蔵 | メドウズ美術館(ダラス) |
手紙に綴られた光景
本作の主題については、ゴヤ自身が1794年1月7日付でベルナルド・デ・イリアルテに宛てた手紙のなかで説明を残している。それによれば、精神を患う人々が集められた中庭で、2人の男が全裸のまま取っ組み合い、看守が鞭でこれを打ち、周囲には麻袋をまとった者たちがいるという光景を、彼自身がサラゴサで実際に目にしたのだという。この場面は、サラゴサにあったヌエストラ・セニョーラ・デ・グラシア病院の中庭を描いたものではないかとも考えられている。
宮廷画家から離れた個人的な小品として
本作が描かれたのは、ゴヤが重い病から回復した直後の時期だ。この病によって彼は聴力を完全に失っており、自身の健康と精神状態への不安が強まっていた時期でもあった。それまで王侯貴族の肖像画を数多く手がけてきたゴヤだったが、この頃から注文によらない、暗く内省的な小品群を独自に制作するようになる。本作はそのうちの1点で、キャビネット・ペインティングと呼ばれるこの一連の作品群は、理想化された美への関心から離れ、人間の愚かさと苦しみを見つめ直す方向へと、彼の関心が移り変わっていったことを示している。
見どころ

古典彫刻を思わせる2人の男の格闘
画面中央には、まるで古代ギリシャ・ローマの彫刻を思わせるような姿勢で取っ組み合う、上半身裸の2人の男が描かれている。その造形の美しさと、彼らが置かれている過酷な状況との落差が、見る者に強い違和感を与える。
棒を振るう看守の姿
格闘する2人のかたわらには、棒を振り上げて彼らを打とうとする看守の姿が描かれている。この暴力の描写は、当時の精神を患う人々に対する処罰的な扱いへの、ゴヤなりの告発ではないかと解釈されている。
光に溶ける天井と沈む闇
画面上部は、まぶしい光にほとんど溶け込むように白く描かれている一方、下部は深い陰影に沈んでいる。この極端な明暗の対比が、悪夢のような下方の光景を、いっそう際立たせている。
麻袋をまとい、思い思いの姿勢を取る人々
中庭の周囲には、麻袋のような粗末な衣をまとった人々が、座り込んだり、身構えたり、自らを戒めるような仕草を見せたりと、それぞれ異なる姿勢で描かれている。この多様な人物描写が、単なる1つの事件ではなく、そこに日常的に存在していた光景であることを物語っている。
20世紀に再発見された1枚
本作は19世紀初頭以降、長らく公の場から姿を消し、所在がほとんど記録されないまま時を経た。その後20世紀半ばに再発見され、収集家アルガー・H・メドウズの手に渡ったのち、1967年、彼の名を冠したメドウズ美術館へ寄贈されて現在に至っている。
実際に見るには
本作はダラスのメドウズ美術館に所蔵されている。ゴヤが同時期に手がけた他のキャビネット・ペインティング群とあわせて見ることで、彼が宮廷画家としての仕事から離れ、どのような主題に個人的な関心を向けていたかがうかがえる。
FAQ
Q. 《精神病院の中庭》はどこで見られますか?
ダラスのメドウズ美術館に所蔵されている。
Q. この絵はどんな場面を描いていますか?
ゴヤが少年時代にサラゴサで目にしたという、精神を患う人々が収容された中庭での出来事である。
Q. なぜこの絵は描かれたのですか?
明確な依頼によるものではなく、ゴヤ自身が個人的な関心から手がけた小品の1つとされている。
Q. なぜ看守が鞭を振るう場面が描かれているのですか?
当時の精神を患う人々への処罰的な扱いを告発する意図があったのではないかと解釈されている。
Q. この絵の来歴には何がありましたか?
19世紀以降長らく所在が分からなくなっていたが、20世紀に再発見され、収集家アルガー・H・メドウズの寄贈によって現在の美術館に収蔵された。
まとめ
《精神病院の中庭》は、ゴヤ自身が少年時代に目撃した光景を、聴力を失ったばかりの不安な時期に描き起こした1枚だ。古典彫刻さながらの2人の男の格闘と、それを打つ看守の姿を見つめていると、美と暴力がこれほど近くに同居しうるのかという、静かな戸惑いだけが残る。
