《ウェリントン公爵の肖像》とは|ゴヤが描いた英雄の疲れた素顔を徹底解説

《ウェリントン公爵の肖像》は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが1812年から1814年にかけて手がけた油彩画で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。半島戦争でフランス軍からマドリードを解放した英雄アーサー・ウェルズリー(のちの初代ウェリントン公爵)を描いたこの肖像画は、勲章に彩られた輝かしい軍服とは裏腹に、どこか疲れきった表情が印象的な一枚です。さらに1961年には、ナショナル・ギャラリーから盗み出されるという前代未聞の事件の舞台にもなりました。この記事では、この絵がどのように描かれ、なぜこれほど数奇な運命をたどることになったのかを見ていきます。

目次

《ウェリントン公爵の肖像》とは — 基本情報

項目内容
作者フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828)
制作年1812〜1814年
技法・素材油彩・マホガニー板
所蔵ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
モデルアーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン公爵)
制作背景半島戦争・マドリード解放

一言でいうと

《ウェリントン公爵の肖像》は、勝利の栄光を称えるはずの軍人の肖像画でありながら、長期の遠征に疲れきった一人の人間の素顔を隠さず描き出した作品です。輝かしい勲章の数々と、どこか虚ろな表情との対比こそが、本作の見どころになっています。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

マドリード解放の直後に

1812年7月22日、ウェルズリー率いる連合軍はサラマンカの戦いでフランス軍に勝利し、同年8月12日、意気揚々とマドリードへ入城しました。宮廷画家として活動していたゴヤは、この解放直後のマドリードで、実際にウェルズリーを前にして本作の制作に取りかかったとされています。当時ウェルズリーは43歳でした。

2年をかけた加筆修正

ゴヤはこの肖像を一度に描き上げたわけではなく、1814年まで数か所に加筆を重ねてようやく完成させています。たとえば首から下げられた金十字勲章は、当初はイベリア半島勲章として描かれていましたが、ウェルズリーがウェリントン公爵に叙せられた年に描き換えられました。左胸には、イギリスのバス勲章、スペインのサン・フェルナンド十字勲章、ポルトガルの塔と剣勲章という3つの勲章が描き込まれ、右肩にはそれぞれの勲章に対応する幅広の帯が掛けられています。首には金羊毛勲章と陸軍金十字勲章のリボンが下がっていますが、本来9個の留め金を受け取る権利があったにもかかわらず、画面には3個しか描かれておらず、これは1812年夏に制作が始まった時点までの戦功を反映しているとみられています。

見どころ徹底解説

輝かしい軍服と疲れた表情の対比

本作でもっとも印象的なのは、鮮やかな軍服や数々の勲章とは裏腹に、ウェルズリーの顔にまったく勝利の高揚感が感じられない点です。長期にわたる遠征の疲労がそのまま表情に刻まれており、軍事的な成功を誇るような様子は見て取れません。比較的控えめだったとされる身長に対抗するためか、頭を高く上げ、まっすぐに立つ姿勢で描かれている一方、その顔つきはどこか虚ろで、ぼんやりとした印象を与えます。

素早い筆致で描かれた勲章

顔の部分は注意深く丁寧に描かれているのに対し、軍服に付けられた勲章の多くは、数回の筆運びで大きなエネルギーをもって素早く描かれています。目や口といった一部の領域では下地の茶色がそのまま残されており、明暗の対比を際立たせる効果を生んでいます。丹念な人物描写と、勢いのある装飾の描写という、異なる筆致を使い分けている点も本作の見どころです。

事件 — ナショナル・ギャラリーからの盗難

本作は1961年8月2日、ロンドンのナショナル・ギャラリーで初めて展示されましたが、そのわずか19日後の同年8月21日、何者かによって盗み出されるという事件が起きました。ロンドン警視庁は、これほど厳重な美術館の警備をかいくぐった手口から、国際的な犯罪組織による周到な犯行だと考えていましたが、実際の犯人は60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントンでした。

バントンは、高齢者にとって大切な娯楽であるテレビを、より多くの人が受信料の負担なく楽しめるようにしたいという思いから、盗んだ絵の身代金を公共放送の受信料無料化のために使おうと目論んでいたと伝えられています。事件から4年後の1965年、バントンは新聞社に連絡を取り、バーミンガム・ニューストリート駅の手荷物一時預かり所を通じて絵を自ら返却しました。その後の裁判で、彼は絵画そのものを盗んだ罪については無罪となったものの、額縁を盗んだ罪については有罪判決を受けています。

ポップカルチャーへの影響

この前代未聞の盗難事件は大きな話題を呼び、翌1962年に公開されたジェームズ・ボンド映画第1作『007は殺しの番号』のなかで、盗まれた本作が悪役ジュリアス・ノオ博士の隠れ家に飾られているという形で言及されました。また事件とその後の裁判は、2015年のBBCラジオドラマ『ケンプトンと公爵』の題材となったほか、2022年にはジム・ブロードベントとヘレン・ミレン主演の映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』としても映像化されています。

実際に見るには

本作はイギリス・ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。同館は本作を1961年、実業家チャールズ・ライツマンによる競売出品を受け、ウォルフソン財団とイギリス政府の資金拠出によって14万ポンドで購入しました。ゴヤはこのほかにもウェリントン公爵を描いた騎馬肖像画やチョーク画を手がけており、あわせて鑑賞することで、当時の英雄がどのような姿で記録されていたかを知ることができます。

よくある誤解

本作はしばしば「勝利に沸く英雄を称えた肖像画」として紹介されがちですが、実際にはウェルズリー自身の疲労した表情がそのまま描き込まれており、単純な勝利の高揚感は感じられません。また盗難事件についても、国際的な犯罪組織による大掛かりな犯行と考えられていましたが、実際には年金暮らしの一人の高齢者による、テレビの受信料問題という身近な社会的動機に基づく犯行だったという点が、事件の意外な一面として知られています。

FAQ

Q. 《ウェリントン公爵の肖像》はいつ、どこで描かれましたか?
1812年8月、フランス軍からマドリードが解放された直後、実際に現地でウェルズリーを前にして描かれ始めたとされています。

Q. なぜウェルズリーの表情はどこか疲れて見えるのですか?
サラマンカの戦いでの勝利とマドリード入城までの長期にわたる遠征の疲労が、そのまま表情に表れているためと考えられています。

Q. 1961年の盗難事件の犯人は誰でしたか?
60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントンで、テレビの受信料を無料化させたいという動機から本作を盗んだとされています。

Q. 盗まれた絵はどうなりましたか?
4年後の1965年、バントン自身がバーミンガムの駅の手荷物預かり所を通じて絵を返却しました。

Q. この事件はどんな作品の題材になっていますか?
映画『007は殺しの番号』での言及のほか、2022年公開の映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』として映像化されています。

まとめ

《ウェリントン公爵の肖像》は、輝かしい勲章の数々と、そこに隠しきれない疲労の色を同居させることで、英雄という存在の裏側にある一人の人間の姿を描き出した作品です。20世紀に起きた前代未聞の盗難事件までもがこの絵の背景に加わり、名画がたどる数奇な運命を示す一例となっています。

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