《スフィンクスの前のボナパルト》(1886年)は、フランスのアカデミー画家ジャン=レオン・ジェロームによる歴史画で、アメリカ・カリフォルニア州のハースト城が所蔵する作品です。エジプトの砂漠に佇む巨大なスフィンクスの前に、馬に乗った小さなボナパルトの姿が描かれています。この記事では、この絵がなぜ発表当時「オイディプス」という題名を与えられていたのか、そしてジェロームがボナパルトという主題に生涯を通じて何度も立ち返った理由を解説します。
ジェローム《スフィンクスの前のボナパルト》とは|基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ジャン=レオン・ジェローム |
| 制作年 | 1886年(サロン発表年) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 61.6×101.9cm |
| 所蔵 | ハースト城(カリフォルニア州サンシメオン) |
| ジャンル | 歴史画・オリエンタリズム絵画 |
| 発表時の題名 | 《オイディプス》 |
一言でいうと 《スフィンクスの前のボナパルト》は、古代の謎かけと若き将軍の野心とを重ね合わせ、巨大な石の顔と対峙する一人の人間の姿として、エジプト遠征という歴史的事件を描き直した作品である。
制作背景|なぜこの作品は生まれたのか
ボナパルトを描き続けた画家
ジェロームは1824年、フランス東部のヴズールに生まれました。歴史画家ポール・ドラローシュに師事し、若くしてサロンで注目を集め、のちに国立美術学校の教授として2000人を超える弟子を指導した、アカデミー絵画を代表する画家です。彼は中近東を繰り返し訪れ、オリエンタリズム(東方趣味)を代表する作品を数多く手がけました。ナポレオンのエジプト遠征という主題にも生涯を通じて関心を持ち続け、1863年の《エジプトのナポレオン》をはじめ、同じ遠征を題材にした作品を複数制作しています。本作はそうした一連の探求の中で、1880年代半ばに新たな構図で描き直されたものです。
《オイディプス》という発表時の題名
本作は1886年のサロンに《オイディプス》の題名で出品されました。ギリシャ神話において、旅人はテーバイへ向かう道でスフィンクスの謎かけに答えなければ命を落とすとされ、オイディプスだけがその謎を解いたと伝えられています。ジェロームはこの神話を踏まえ、エジプトのスフィンクスと対峙するボナパルトの姿に、謎を解く者としてのオイディプスのイメージを重ね合わせました。この作品は、以後の美術や風刺画において「スフィンクスの前のナポレオン」という主題を広く定着させるきっかけにもなっています。
見どころ徹底解説

対照的な大きさ
画面の右手には、朝日を浴びて存在感を放つ巨大なスフィンクスの顔が描かれています。一方、左手の馬上のボナパルトは画面の中でごく小さく描かれており、この極端な大きさの対比が、悠久の時を生き抜いてきた古代の遺物と、まだ何者でもない若き将軍との隔たりを際立たせています。
徹底して削ぎ落とされた背景
批評家たちは、ピラミッドさえ画面には描き込まれていないことを指摘しています。雲ひとつない空と、遠くにかすかに見える軍勢の影だけが背景として残され、余分な要素をすべて削ぎ落とした構成が、スフィンクスとボナパルトの対峙という主題を際立たせています。
静止した思索の時間
馬上のボナパルトは、身振りらしい身振りを見せることなく、ただ静かにスフィンクスの巨大な顔を見つめています。行動する英雄としてではなく、謎を前にして立ち尽くす一人の人間として描かれたこの姿は、ジェロームが過去に手がけた、指揮する将軍としてのナポレオン像とは一線を画すものです。
評価と影響
本作は、同じ構図・同じ寸法で対をなす《カイロのボナパルト》とともに、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストに買い取られ、現在もハースト城で並べて展示されています。ジェロームは1897年、本作と同じ主題をもとに、カイロに入城する若きボナパルトの彫刻も制作しており、これは後年、ワシントンやフリードリヒ大王、カエサルといった歴史上の人物を騎馬像として手がけていく、彫刻家としての最初の作品となりました。
実際に見るには
アメリカ・カリフォルニア州サンシメオンのハースト城の所蔵作品です。同館は新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストが築いた邸宅で、現在は博物館として一般公開されています。訪問前には開館日・見学ツアーの内容を公式サイトで確認することをおすすめします。
よくある誤解
誤解①「制作された年に発表された」→ 制作時期については資料により見解が分かれる
本作は1886年のサロンで発表されましたが、実際の制作時期については1860年代とする資料も存在し、確定した見解は得られていません。この記事では、広く採用されているサロン発表年の1886年を基準に紹介しています。
誤解②「単独の作品として構想された」→ 対をなす作品とセットで購入・展示されている
本作は同じ寸法を持つ《カイロのボナパルト》と対をなす作品として、ハーストに一括して購入されました。現在も両作品はハースト城で並べて展示されており、単独の作品としてではなく、対比の中で鑑賞されることを前提とした構成になっています。
FAQ
Q. 何が描かれていますか?
A. エジプト遠征中のボナパルトが、馬上から巨大なスフィンクスの顔を見つめている場面です。
Q. 作者はどんな画家ですか?
A. ジャン=レオン・ジェローム(1824〜1904)。フランスのアカデミー絵画を代表する画家で、歴史画とオリエンタリズム絵画の両方で高い評価を得ました。
Q. なぜ「オイディプス」という題名がついていたのですか?
A. 謎かけに答えなければ命を落とすというギリシャ神話のスフィンクスの逸話を踏まえ、謎を前にした人物としてのボナパルトの姿を、謎を解く者オイディプスに重ねて名付けられたためです。
Q. どこで見られますか?
A. アメリカ・カリフォルニア州のハースト城です。訪問前に公式サイトで見学ツアーの内容を確認することをおすすめします。
まとめ
《スフィンクスの前のボナパルト》は、行動する英雄としてではなく、古代の謎を前に立ち尽くす一人の人間としてナポレオンを描き直した作品です。巨大な石の顔と対峙する小さな騎馬の姿を見つめていると、歴史上の英雄もまた、答えの出ない問いの前では等しく無力であったことに気づかされます。
