ゴーギャン《ニルヴァーナ(マイヤー・デ・ハーンの肖像)》とは|友の顔のまわりに渦巻く、苦悩する顔

《ニルヴァーナ(マイヤー・デ・ハーンの肖像)》(1889〜90年頃)は、ポール・ゴーギャンが、ブルターニュのル・プールデュで描いた、小さな作品です。オランダ人画家メイエル・デ・ハーンが、赤みを帯びた顔と、見開いた目で、こちらをにらむように座っています。その背後には、女性とも幻影ともつかない顔や姿が、波打つ海を背に、揺れています。題の「ニルヴァーナ」は、仏教で、煩悩の消えた境地をさす言葉です。

基本情報

作者はポール・ゴーギャン(1848〜1903)、制作年は1889〜90年頃です。サイズは縦20×横29cm前後の小品で、アメリカ、コネチカット州ハートフォードの、ワズワース・アテネウム美術館に所蔵されています。原題は「Nirvana, Portrait de Jacob Meyer de Haan」で、画面の右下には、薄い色で、「Nirvana」の文字が書き込まれています。

制作背景|ル・プールデュの宿

ゴーギャンは、1889年10月、ポン=タヴァンの混雑を避けて、海沿いの小村ル・プールデュへ移りました。同行したのが、デ・ハーンです。デ・ハーン(1852〜1895)は、オランダの裕福な家に生まれ、のちに画家となった人物で、ゴッホの弟テオを通じて、ゴーギャンと知り合いました。

二人は、女主人マリ・アンリが営む宿屋「ビュヴェット・ド・ラ・プラージュ」に滞在しました。宿屋の壁や天井、窓には、二人と仲間たちが、絵を描きました。デ・ハーンは、画家として、ゴーギャンを師と仰ぎ、ゴーギャンの滞在費を、支払っていたとも伝えられます。その後、デ・ハーンとマリ・アンリは、親しい関係になり、1891年には、娘イダが生まれました。ゴーギャンは、1890年11月に、この地を去りました。

見どころ|にらむ顔

画面の手前には、デ・ハーンの顔が、大きく描かれています。肌は、赤みがかった橙色で、鼻と頬は、鮮やかな赤で縁どられています。目は、薄い緑がかった色で、見開かれ、その視線は、画面の外へ向けられています。髪と帽子は、黒く、顎には、赤茶色の髭があります。服は、青紫の上着に、白い襟のシャツで、両手は、淡い色で描かれ、胸の前で、重ねられています。

見どころ|背後の姿

デ・ハーンの背後には、複数の姿が、重なっています。上部の中央には、青みがかった緑色の顔が、頬杖をつくように、手を頬に当てて、口を開いています。右側には、赤みを帯びた長い髪が、背中へ流れ、その向こうに、腕を頭の後ろへまわした、身をそらす姿が見えます。左には、黒褐色の、大きな髪の塊のようなものがあります。

その背後に広がるのは、緑と青の海で、白い波頭が、あちこちに立っています。浜辺は、黄色く塗られ、人物たちは、現実の場所ではなく、夢のなかの空間にいるように見えます。

WGA(ウェブ・ギャラリー・オブ・アート)は、デ・ハーンのまわりを、苦悩に満ちた奇妙な顔が、渦巻いていると解説しています。ゴーギャンは、肖像の背景に、神聖なものを置き、それを人物の顔と、表現上の調和に導こうとした、とされます。ゴーギャンは、神聖なものを、暗く、処女性と野蛮な力を持つものと、結びつけて考えていた、とも述べられています。

同じ人物を描いた作品

ゴーギャンは、デ・ハーンを、絵画や版画に、何度も描きました。ニューヨーク近代美術館には、ミルトンの『失楽園』と、カーライルの『衣装哲学』を、傍らに置いた、1889年の肖像画があります。この作品は、宿屋の扉のための装飾パネルとして、ゴーギャンの《光輪と蛇のある自画像》と、対にする予定で描かれたとされます。

晩年の《野蛮な物語》(1902年)にも、悪魔的な姿に変えられた、デ・ハーンが登場すると指摘されています。デ・ハーンは、1895年に、アムステルダムで亡くなっています。

まとめ

《ニルヴァーナ》は、友の肖像でありながら、現実の顔の描写を超えて、その内面を、幻想の姿とともに描いた作品です。「ニルヴァーナ」という題は、苦悩から解き放たれた境地を意味しますが、画面の人物の表情は、むしろ、不安や緊張を伝えています。その食い違いが、見る者に、さまざまな読みを促します。

あわせて読みたい
ゴーギャンとは|文明を捨てて楽園を求めた画家の生涯・代表作をわかりやすく解説 ポール・ゴーギャン(1848〜1903)は、フランス出身のポスト印象派を代表する画家です。株式仲買人として成功した後、35歳で画家一本の生活を選び、印象派から離れて色彩...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!