《瀕死の奴隷》とは|完成しなかった巨大な墓の計画から生まれた一体を追う

閉じた瞼、力の抜けた体、まるで深い眠りに落ちていくかのような静けさ。この人物は本当に「死につつある」のでしょうか、それとも安らかに眠っているだけなのでしょうか。《瀕死の奴隷》(1513〜1516年頃)は、ミケランジェロ・ブオナローティによる大理石彫刻で、パリのルーヴル美術館が所蔵しています。教皇の壮大な墓所計画のために制作されながら、最終的にはその構想から外され、思いがけない経路を経てフランスへ渡ることになった一体です。

目次

基本情報

作者:ミケランジェロ・ブオナローティ(1475〜1564)
制作年:1513〜1516年頃
技法・素材:大理石
サイズ:高さ約215〜230cm
所蔵:ルーヴル美術館(パリ)
原題:L’Esclave mourant(あるいはLo Schiavo morente)
別称:《眠れる奴隷》とも呼ばれる

一言でいうと

《瀕死の奴隷》は、体をひねらせながら片手を頭上に、もう片方の手を胸に当てて立つ、若い男性の裸体像です。その表情は苦悶ではなく、むしろ深い眠りに落ちていくかのような穏やかさをたたえており、この静けさこそが「瀕死」という題名とは裏腹の、独特の美しさを生み出しています。

制作背景

この像は、1505年に教皇ユリウス2世がミケランジェロに依頼した、自らの壮大な墓所計画の一部として構想されました。当初の計画は40体もの大彫像を配する、途方もない規模のものであり、ミケランジェロはこの計画のために大理石を選定すべく、カッラーラで半年以上を過ごしたと伝えられています。しかしユリウス2世自身が新サン・ピエトロ大聖堂の建設や軍事遠征といった別の事業に資金を割いたため、計画は生前から幾度も縮小を余儀なくされました。

ユリウス2世が1513年に世を去った後、教皇の遺族デッラ・ローヴェレ家からの依頼を受け、計画は改めて練り直されます。《瀕死の奴隷》と、これと対になる《反抗する奴隷》は、この第二次計画の中で制作されました。当初の構想では、この二体はモーセ像(現在ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂に所蔵)の両脇に配置される予定でしたが、1545年に完成した最終的な、大幅に簡素化された墓所デザインからは、結局この二体は除外されることになりました。

見どころ

眠りにも似た死の表現

右手は胸元に置かれ、かつて自らを縛る拘束を解こうとしていた名残を思わせます。左手は頭上に掲げられ、頭は右肩に向けてもたれかかるように傾けられています。右脚はまっすぐに張り詰め、左脚は力を抜いてかかとを浮かせており、この姿勢が骨盤全体をわずかに傾け、体全体に流れるような曲線を生み出しています。

支柱に隠された小さな猿

像を支える大理石の支柱、右脚の後ろの部分には、小さな猿(またはヒヒ)の姿が彫り込まれています。この細部が何を意味するのかは今も議論の的であり、単なる未完成の痕跡なのか、それとも何らかの寓意が込められているのか、はっきりとは分かっていません。

「奴隷」という呼び名の由来

この人物像は、実際には文字通りの奴隷ではなく、囚人を表しているとも考えられています。研究者たちの間では、ユリウス2世が軍事遠征によって征服した属州を擬人化したもの、あるいは教皇の死によって庇護を失った諸芸術を象徴しているとする解釈も示されています。「奴隷」という呼称が定着したのは、実は19世紀になってからのことでした。

評価と受容

ミケランジェロは1544年と1546年、病を患った際にローマでフィレンツェの貴族ロベルト・ストロッツィの邸宅に世話になっており、その感謝の印として、この《瀕死の奴隷》と《反抗する奴隷》の二体を彼に贈りました。ストロッツィはその後、コジモ1世デ・メディチの統治に反対したことでリヨンへの亡命を余儀なくされ、この二体の像も彼とともにフランスへ渡ることになります。フランス国王に献上された後、アンヌ・ド・モンモランシーへと譲られ、エクアン城に長く置かれた後、リシュリュー枢機卿のコレクションを経て、1794年にルーヴル美術館の所蔵品となりました。今日この像は、ミケランジェロが追い求めた「絶対的な真実への探求」を象徴する作品として、ルーヴルを代表する彫刻の一つに数えられています。

よくある誤解

誤解①「この像は最初からルーヴル美術館のために制作された」→ 実際は教皇の墓所を飾るために構想され、後にフランスへ渡った
現在の所蔵先から当初からフランスの美術品として作られたと思われがちですが、実際にはこの像は教皇ユリウス2世の墓所計画のために制作され、その後の複雑な経緯を経てフランスへ渡り、最終的にルーヴル美術館の所蔵品となりました。

誤解②「この像は完成した作品として意図された姿のままである」→ 実際は当初の計画から外され、未完成のまま扱われている
完璧な仕上がりから当初の意図通りに完成したと思われがちですが、実際にはこの像は最終的な墓所デザインからは除外されており、多くの研究者がこの作品を「未完成」と位置づけています。

FAQ

Q. 《瀕死の奴隷》とはどんな作品ですか?
A. ミケランジェロが1513年から1516年頃に手がけた大理石彫刻で、体をひねらせながら死(あるいは眠り)に身を委ねる若い男性の裸体像を描いています。ルーヴル美術館が所蔵しています。

Q. なぜこの像は「奴隷」と呼ばれているのですか?
A. 教皇ユリウス2世の墓所計画のために制作された囚人像の一つであり、この呼称が定着したのは19世紀になってからのことです。実際には征服された属州や、庇護を失った諸芸術を象徴しているという解釈もあります。

Q. なぜこの像はフランスにあるのですか?
A. ミケランジェロが病気療養中に世話になったロベルト・ストロッツィへの感謝としてこの像を贈り、その後ストロッツィの亡命に伴ってフランスへ渡り、複数の貴族の手を経てルーヴル美術館の所蔵品となりました。

Q. 《瀕死の奴隷》はどこで見られますか?
A. フランス・パリのルーヴル美術館が所蔵しています。

まとめ

教皇の壮大な野望のために生まれたはずのこの像は、結局その計画からは外され、感謝の贈り物として思いがけない旅路をたどることになりました。眠るように死を迎えるこの若者の穏やかな表情は、完成することのなかった巨大な計画の残響として、今もルーヴルの一角で静かに佇み続けています。

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