《抽象的速度+音(伊:Velocità astratta + rumore)》は、イタリア未来派の画家ジャコモ・バッラが1913年から14年にかけて手がけた油彩画で、現在はヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションに所蔵されている。青、赤、緑の断片が交錯するこの絵は、走り去る自動車を描いた抽象画だ。目に見えるはずのない「音」までもがこの画面には描き込まれている。今回はこの絵が属する三部作の構成と、未来派が自動車という主題に込めた思想について見ていく。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ジャコモ・バッラ(1871〜1958) |
| 制作年 | 1913〜14年 |
| 技法・素材 | 油彩・厚紙(ミルボード)、画家自身が彩色した額縁付き |
| サイズ | 54.5×76.5cm |
| 所蔵 | ペギー・グッゲンハイム・コレクション(ヴェネツィア) |
一言でいうと
自動車1台が走り抜けたあとの風景の揺らぎと、そのエンジン音までも、幾何学的な色の断片だけで表現してしまった1枚。
制作背景
未来派宣言に描かれた自動車の美
この絵の主題である自動車には、未来派創始者フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが1909年の「未来派宣言」で書き残した有名な一節が反映されている。彼は「世界の壮麗さは新たな美によって豊かになった、それは速さの美である」と宣言し、「爆薬の息を吐く蛇のような大きな管で飾られた、榴散弾の上を走るかのように轟く自動車は、サモトラケのニケよりも美しい」と述べた。バッラはこの思想を継承し、自動車を「抽象的な速度」の象徴として選び取った。
光の分割から運動の探求へ
バッラは1912年末から1913年にかけて、それまで取り組んでいた光の分割という主題から、運動、とりわけレーシングカーの速度の表現へと関心を移していった。この転換のなかで生まれたのが、1913年から14年にかけての一連の速度研究であり、《抽象的速度+音》はその代表的な成果の一つに数えられる。
3枚組の中央パネルという説
この絵は単独の作品ではなく、自動車が風景のなかを通過していく様子を語る3枚組の絵画の中央部分だったのではないかという説がある。前段にあたる《抽象的速度+風景(Velocità + paesaggio)》、後段にあたる《抽象的速度―車は通り過ぎた(Velocità astratta – l’auto è passata)》とともに、1つの風景を共有しながら、自動車の速度をそれぞれ異なる形で断片化して描いていたと考えられている。
見どころ

交錯する色の帯
画面全体には、青や赤、緑、ピンクといった色彩が鋭い角度で交わり合う帯として広がっている。これらは単なる装飾的な模様ではなく、自動車が通過した際に景色そのものが引き裂かれ、渦を巻くように変形していく様子を表現したものとされている。
十字に交わる線が示す「音」
画面のところどころに、細い線が交差してX字型を作っている部分がある。これは自動車のエンジン音や走行音を視覚化したものとされ、タイトルにある「音(rumore)」がこの十字の模様によって画面に組み込まれている。目には見えないはずの音を、線の交錯というかたちで描き出そうとした点に、この絵の実験性が表れている。
額縁まで続く構図
バッラはこの絵の構図を、カンヴァスの内部だけにとどめず、画家自身が彩色した額縁の部分にまで連続させている。絵と額縁の境界を意識的にあいまいにすることで、疾走感がカンヴァスの外へとあふれ出していくような効果を狙ったと考えられる。
実際に見るには
本作はヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションに所蔵されている。関連する習作の一つはフィラデルフィア美術館にも所蔵されており、あわせて見ることでバッラがどのように速度の表現にたどり着いたのか、その試行錯誤の過程をうかがい知ることができる。
よくある誤解
この絵はしばしば「単なる抽象的な色彩構成」として鑑賞されがちだが、実際には自動車という具体的なモチーフの速度と音を、幾何学的な断片へと変換した作品である。何も描かれていないように見えて、実は明確な主題と物語の構造を持っている点が見過ごされやすい。
FAQ
Q. 《抽象的速度+音》はどこで見られますか?
ヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションに所蔵されている。
Q. この絵に描かれているのは何ですか?
走り去る自動車が引き起こす景色の変化と、その走行音を、色の断片や交差する線によって表現している。
Q. この絵は単独の作品ですか?
自動車の風景通過を描く3枚組の絵画の中央部分だったのではないかという説があり、前後の2枚と主題を共有していると考えられている。
Q. なぜ自動車が主題に選ばれたのですか?
未来派創始者マリネッティが1909年の宣言で速度の美を称賛したことに影響を受け、バッラは自動車を「抽象的な速度」を象徴するモチーフとして選んだ。
Q. いつごろ制作された作品ですか?
1913年から1914年にかけて制作された。
まとめ
《抽象的速度+音》は、目に見えるはずのない速度と音を、色と線の交錯だけで画面に定着させてしまった実験的な1枚だ。額縁にまで及ぶ構図と合わせて見ると、バッラがこの絵に込めた疾走感が、今も色褪せずに伝わってくる。
