カール・ラーション《男性モデル、冬至の生贄のための習作》とは|裸の男が緑の庭を歩く、大作のための試み

《男性モデル、冬至の生贄のための習作》(1914年)は、スウェーデンの画家カール・ラーションが、代表作の大壁画《冬至の生贄》(1915年)のために描いた、油彩の習作です。画面には、キャップをかぶった裸体の男性が、頭を深く垂れ、横向きで、緑の草地を歩く姿が描かれています。木漏れ日の黄色と、緑の濃淡が、光に満ちた庭の空気を伝え、大作の暗い主題とは、対照的な明るさを持つ作品です。

基本情報

作者はカール・ラーション(1853〜1919)、制作年は1914年です。技法はキャンバスに描いた油彩で、スウェーデン語の題は、「Manlig modell, studie till Midvinterblot」です。サイズは、確認できていません。ウィキメディア・コモンズの記載によれば、スンドボーンにある、リッラ・ヒュットネース(カール・ラーション・ゴーデン)の所蔵です。画面の右下には、円で囲んだ、モノグラム(署名)のようなものが見えます。

大作《冬至の生贄》とは

《冬至の生贄》(スウェーデン語でMidvinterblot)は、ラーションが、1915年に完成させた、縦640×横1,360cmの、巨大な油彩画で、ストックホルムの国立美術館(ナショナルミュージアム)が所蔵しています。北欧の伝説にある、スウェーデン王ドーマルディが、飢饉を避けるために、民の手で、ウプサラの神殿に捧げられる場面を描いています。

この絵は、国立美術館の中央階段の壁画として、ラーション自身が、提案したものですが、「儀式の殺人」を描いたとして、美術館や批評家から、長く批判され、受け入れを拒まれました。ラーションの死後、数十年にわたって流転し、1987年に、ロンドンのサザビーズで、日本の収集家に売られました。1992年に、国立美術館の200周年を記念した「カール・ラーション大回顧展」に貸し出されて、展示され、評価が一変し、1997年に、国立美術館が購入して、本来の場所に掛けられました。

習作としての位置づけ

英語版ウィキペディアによれば、ラーションは、1914年5月に、自分の意思で、制作を再開しました。そして、1915年に提示した、油彩の下絵では、王の姿が、1914年に描いた、油彩画(No.240、ラーションの作品番号)をもとに、描き直されています。その油彩画は、リュードベリという名の、男性モデルを使って、描かれたものでした。王の姿勢は、より劇的で、表情豊かになり、これは、犠牲が、王の自発的なものであるという、ラーションの解釈の変化に、対応していたと説明されています。

この記事の習作が、No.240にあたる作品かどうかは、確認できていません。ただし、題名と制作年(1914年)が、一致するため、関係が深い作品と考えられます。

見どころ|歩く男性

画面の中央に、横向きの男性が、立っています。灰色と白の編み目のキャップをかぶり、顔は、下を向いて、影になっています。肩から腕は、体の脇に、重く垂れ、拳は、軽く握られています。体は、黄色、橙色、赤みの強い茶の絵の具で、光を受ける面と、影の面が、はっきりと塗り分けられ、彫刻のような量感を持っています。足もとは、草を踏み、野の花(白く小さな花)が、その脚のそばに、揺れています。

背景は、木々の幹と葉が、青、緑、黄の色の斑点で、描かれた庭で、光が、画面の右へ抜けていきます。画面全体は、印象派や、ポスト印象派を思わせる、明るい色の対比で、まとめられています。

見方

この習作は、大作の暗い主題とは別に、人体の量感と、野外の光を、ラーションが、まっすぐ見つめた絵でもあります。頭を垂れて、静かに歩く姿は、犠牲として歩む王の姿を、思わせますが、この印象は、私の見方で、画家自身の言葉ではありません。

日本での展示

この作品は、2018年9月22日から12月24日まで、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(現SOMPO美術館)で開かれた「カール・ラーション スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家」展に、出品されました(展覧会の出品リストでは、《冬至の生贄》のための男性モデルの題)。

まとめ

《男性モデル、冬至の生贄のための習作》は、論争の的となった、大作の準備の過程を伝える、貴重な一枚です。ラーションが、儀式の場面に、どれほどの人間の実在感を与えようとしたのかが、野外の光のなかを歩く、一人の男の姿から、静かに伝わってきます。

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