ゴーギャン《セザンヌの静物画の前の女》とは|愛蔵したセザンヌを、肖像の背景に取り込んだ一枚

《セザンヌの静物画の前の女》(1890年)は、ポール・ゴーギャンが、自分の所有するセザンヌの静物画を、背景にそのまま取り込んで描いた肖像画です。ピンクの衣に白い襟をつけた女性が、無表情で椅子に腰かけ、その後ろに、果物鉢とリンゴの絵が大きく広がっています。人物画と静物画、ゴーギャンとセザンヌが、一つの画面で重なり合う、特異な作品です。

基本情報

作者はポール・ゴーギャン(1848〜1903)、制作年は1890年です。技法は油彩・リネンのカンヴァスで、サイズは縦65.3×横54.9cm。シカゴ美術館のジョセフ・ウィンターボサム・コレクションに所蔵されています。署名は、画面の右寄りに、「P. Go. / 90」と入っています。日本語では、《セザンヌの静物画の前のマリ・デリアン》とも呼ばれますが、モデルの名前は、確定していません。

制作背景|ゴーギャンが愛蔵したセザンヌ

ゴーギャンは、銀行員として働いていた1874年から1884年のあいだに、セザンヌの作品を、5、6点購入しました。そのなかで、最も大切にしていたのが、《果物鉢のある静物》(1879〜80年、ニューヨーク近代美術館所蔵)です。この作品を、「よほどの窮地に陥らないかぎり、手放さない」と語り、「類いまれな真珠」「目の中のリンゴ」と呼んで、愛したと伝えられます。のちに、タヒチでの治療費をまかなうために、手放しました。

本作は、その愛蔵のセザンヌを、描き込んだ作品です。シカゴ美術館は、背景の静物画が、原作とほぼ同じ大きさで描かれていると説明しています。

見どころ|女と静物の重なり

画面の中央には、短い黒髪を結い上げた女性が、座っています。ピンクがかった紫の衣に、白い襟をつけ、胸もとには、青緑色の丸い飾りをつけています。濃い緑の長いスカートに、左では、紫の肘掛け椅子に、花模様の布が張られています。視線は、画面の右へ流れ、表情は動かず、感情を読み取らせません。

背景には、セザンヌの静物画が、画面の半分以上を占めています。青緑の果物鉢、脚のついたグラス、緑のリンゴと、赤みを帯びた橙のリンゴ、白いテーブルクロスに置かれたナイフ。青と緑を基調にした背景は、女性の衣のピンクと対照をつくっています。

女性の頭は、背景の鉢やグラスと、ほとんど同じ平面にのっていて、人物が、静物のなかに埋め込まれているように見えます。シカゴ美術館は、この、緻密に織り込まれた構成に、セザンヌの影響が見えると解説しています。また、画面が平らに扱われているため、女性が、椅子から前へ倒れ出そうに見える、とも指摘しています。

「写し」ではなく「翻訳」

ゴーギャンは、背景のセザンヌを、セザンヌの筆づかいに近づけて描こうとしました。しかし、シカゴ美術館は、これは写しというより、翻訳だと述べています。リズミカルな曲線は、セザンヌではなく、ゴーギャンの画風を示すものです。

また、画面の平らさと、線の強調には、ゴーギャンが関心を寄せていた、日本の浮世絵の影響が見えるとされます。皮肉なことに、セザンヌは、この特徴を理由に、ゴーギャンの作品を、「中国の絵」と、軽蔑的に呼んだと伝えられます。X線調査では、ゴーギャンが、女性の位置など、多くの細部を、何度も描き直したことが分かっています。

モデルは誰か

女性が誰なのかは、長く議論されており、確かな答えは出ていません。この作品は、20世紀のあいだ、展覧会で、《アルル女》《マリ・アンリ嬢》《マリ・アンリの肖像》《マリ・デリアン》などと、さまざまな題で出品されてきました。ブルターニュのポン=タヴァンの、モデルを務めた女性マリー・ラガデュ(マリー・デリアン)とする説もあります。

制作の時期と場所も、変遷しています。以前は、ブルターニュで描かれたと考えられていましたが、1890年11月にパリへ戻ったあと、友人のエミール・シュフネッケルのもとに滞在していた時期に、描かれたのではないか、という説が出ています。この仮説は、描かれた女性の特徴からも、裏づけられるとされます。

評価と展示

本作は、2022年にシカゴ美術館とロンドンのテート・モダンで開かれたセザンヌ展に出品されました。シカゴでは、ゴーギャンが背景に取り込んだセザンヌの原作(ニューヨーク近代美術館から貸し出された作品)と、本作が、並べて展示されました。

まとめ

《セザンヌの静物画の前の女》は、ゴーギャンが、敬愛したセザンヌを、自分の画面のなかに迎え入れ、人物の背景として描き直した作品です。静物画への憧れと、自分の様式への自負が、同じ画面で、静かにせめぎ合っています。モデルの謎とともに、今も、さまざまな読みを誘う絵です。

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