パリ郊外、サン=ジェルマン=アン=レー市立美術館に、路上で手品を演じる男とそれを取り囲む群衆を描いた小さな板絵がある。《手品師(仏:L’Escamoteur、英:The Conjurer)》と題されたこの作品は、初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボッシュ、あるいはその工房によって1502年頃に手がけられたものだ。この絵にはもう1つの物語、目の前で繰り広げられる手品よりもさりげない、もう1つの騙しの場面が隠されている。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ヒエロニムス・ボッシュ、またはその工房・追随者 |
| 制作年 | 1502年頃 |
| 技法・素材 | 油彩・オーク板 |
| サイズ | 53.7×65.2cm |
| 所蔵 | サン=ジェルマン=アン=レー市立美術館(フランス) |
5つの類似作のなかで最も信頼される1枚
本作には現在5点の絵画ヴァージョンと1点の版画が確認されており、専門家のあいだでは、サン=ジェルマン=アン=レー美術館が所蔵するこの1枚が最も信頼のおける作例だと広く考えられている。この絵は1872年、同市の元市長で公証人だったルイ・アレクサンドル・デュカステルの遺贈によって美術館に収蔵された。デュカステル自身の父、画家であり収集家でもあったアレクサンドル・ジャン・デュカステルが、このコレクションの基礎を築いたと伝えられている。
フランドルの諺に基づく道徳劇
本作が描いているのは、単なる街頭手品の光景ではない。杯と玉を使った古典的な手品に見入る少年の背後で、頭巾をかぶった人物がそっと彼の財布を盗み取っている。この場面は、手品に騙される者は金を失い子どもたちの笑いものになる、という当時のフランドルの諺、そしてもう1つ、みずから望んで愚か者になる者ほど救いようのない愚か者はいない、という別の諺に基づいて構成されたとされている。研究者のあいだでは、この手品師の正体そのものをめぐっても議論が続いており、無実の芸人が異端の疑いをかけられている場面なのか、教会の愚かさを暴く道化なのか、あるいは単なる詐欺師なのか、解釈は一様ではない。
見どころ

手品に見入る少年と、その背後の泥棒
画面中央では、少年が手品師の手にある真珠(あるいはコイン)に夢中になっている。しかしその隙に、背後の人物が彼の財布をひそかに抜き取っている。群衆のなかの1人がこの盗みを指差しており、鑑賞者にだけその真実が明かされる仕掛けになっている。
華やかな衣装をまとう手品師
画面右手には、赤と黄の鮮やかな衣装をまとった手品師が、杯と玉を使った手品を披露している。その堂々とした立ち姿が、群衆の注意を完全に引きつけている。
卓上の小さな蛙とフクロウ
テーブルの上には小さな蛙が置かれ、頭上にはフクロウの姿も確認できる。フクロウは知恵、あるいは欺瞞の象徴として、中世の図像伝統のなかでしばしば用いられてきたモチーフだ。
多様な表情を見せる群衆
手品師を取り囲む群衆は、驚き、感心し、あるいは無関心な表情など、実に多様な反応を見せている。この群像表現の豊かさが、単なる風俗画を超えた、人間観察としての深みを本作に与えている。
1978年の盗難事件
本作は1978年12月1日、実際に美術館から盗まれるという事件に見舞われている。翌1979年2月2日に無事返還されたが、フランスの新聞はこの一件を「消し去る者(エスカモトゥール)が消し去られた」と皮肉を込めて報じた。以来この絵は金庫に厳重に保管され、展覧会への貸し出しも限られた機会にしか行われていない。
実際に見るには
本作はフランスのサン=ジェルマン=アン=レー市立美術館に所蔵されているが、常時展示されているわけではなく、公開の機会は限られている。ボッシュが同時期に手がけた寓意的な風俗画とあわせて知ることで、彼がいかに人間の愚かさを繰り返し見つめ続けていたかがうかがえる。
FAQ
Q. 《手品師》はどこで見られますか?
サン=ジェルマン=アン=レー市立美術館に所蔵されているが、公開は限定的である。
Q. この絵にはどんな教訓が込められていますか?
手品に気を取られて騙される者は、金を失い子どもたちの笑いものになる、という当時の諺に基づいているとされる。
Q. 少年の背後で何が起きているのですか?
手品に夢中になっている隙に、別の人物が彼の財布を盗み取っている。
Q. なぜ5点ものヴァージョンが存在するのですか?
ボッシュ自身、あるいはその工房によって複数回制作されたためとされ、どれが真の原作かは今も議論が続いている。
Q. この絵は本当に盗まれたことがあるのですか?
1978年に美術館から盗まれ、翌年返還されている。
まとめ
《手品師》は、目の前の手品に気を取られた瞬間、もっと身近な場所で本当の被害が起きているという、二重の騙しの構造を持つ1枚だ。少年の夢中な表情と、その背後で静かに進む盗みを見比べていると、注意というものがいかにたやすく操られてしまうか、500年前の絵がそのまま今に語りかけてくる。
