日本の北九州市立美術館に、右端が不自然に断ち切られた1枚の油彩画がある。《マネとマネ夫人像(仏:Monsieur et Madame Édouard Manet)》と題されたこの作品は、エドガー・ドガが1868年から69年にかけて手がけたものだ。だがこの絵の本来の姿は、もはや誰にも見ることができない。友人であったはずのエドゥアール・マネ自身が、ペンナイフでその一部を切り取ってしまったからだ。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | エドガー・ドガ(1834〜1917) |
| 制作年 | 1868〜1869年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 65×71cm(現状。当初はより横長だった) |
| 所蔵 | 北九州市立美術館(日本) |
記憶だけを頼りに描かれた贈り物
ドガとマネは10年ほど前、ルーヴル美術館のギャラリーで出会って以来の間柄だった。どちらもブルジョワ家庭に生まれながら反骨精神を持つ若き画家として、当時まだ比較的新しい存在だった「美術館」という場に足しげく通っていた者同士だった。本作は、2人が毎週開いていたサロンの後、ドガがマネへの贈り物として、記憶だけを頼りに描き上げた1枚だった。画面には、ソファに寛ぐマネと、その傍らでピアノを弾く妻シュザンヌの姿が描かれていたはずだった。
ある夜、切り裂かれた妻の肖像
ところがマネは、ドガが描いた妻シュザンヌの顔立ちが気に入らなかった。ドガがその場を去った後、マネはペンナイフを手に取り、画面右側、妻の顔が描かれた部分を切り取ってしまう。後日この惨状を目にしたドガは深く傷つき、絵を引き取ると同時に、かつてマネから贈られていた小さな静物画(果物を盛った鉢を描いたもの)を送り返すという形で、この侮辱に応えたと伝えられている。
なぜマネがそれほどまでに不満を抱いたのか、はっきりした理由は今も分かっていない。この絵が記憶だけをもとに描かれたという事実を思えば、シュザンヌの似顔絵としての精度に多少の甘さがあったとしても不思議ではない。皮肉なことに、マネはこの一件の後、自ら同じような構図で妻がピアノを弾く姿を描いている。まるでドガに「本来こう描くべきだった」と見せつけるかのように。
見どころ

ソファに寛ぐマネの無造作な姿勢
画面左手には、ソファに深く身を沈め、頬杖をついてくつろぐマネの姿が描かれている。この無防備な姿勢が、友人同士の気の置けない関係をそのまま映し出している。
断ち切られた画面右側の空白
画面右側には、本来シュザンヌの顔があったはずの部分が失われ、無地のカンヴァスがそのまま貼り継がれている。この生々しい欠落こそが、本作を単なる肖像画以上の存在にしている。
背後にわずかに残るピアノの気配
失われた部分の手前には、ピアノの一部と思われる赤い縁取りがかろうじて見える。シュザンヌが実際に弾いていたであろう楽器の存在が、この空白の意味をいっそう際立たせている。
傷ついてなお手放さなかったドガ
ドガはこの傷ついた絵を手元に置き続け、後年、マネの静物画《ハム》と並べて自宅に飾っていたとされる。マネの死後もドガは彼の作品を数多く収集し、政治的な理由で切り刻まれていたマネの《マクシミリアンの処刑》の断片を集めて修復する手助けまでしている。1度は絵を切り裂かれるほどの確執がありながら、ドガがマネの芸術そのものへの敬意を失うことはなかったことがうかがえる。
実際に見るには
本作は現在、日本の北九州市立美術館に所蔵されている。同時期に描かれたマネ自身による《ピアノを弾くマネ夫人》とあわせて見ることで、この一件がいかに2人の画家それぞれの筆致に痕跡を残したかを確かめることができる。
FAQ
Q. 《マネとマネ夫人像》はどこで見られますか?
日本の北九州市立美術館に所蔵されている。
Q. なぜ絵の一部が切り取られているのですか?
描かれた妻シュザンヌの顔立ちに納得できなかったマネが、ペンナイフで画面右側を切り取ってしまったためである。
Q. なぜマネはそれほど不満だったのですか?
はっきりした理由は分かっていないが、この絵が記憶だけをもとに描かれたものであることが一因ではないかと推測されている。
Q. この一件で2人の友情はどうなったのですか?
一時的に亀裂が生じたものの、ドガは後年もマネの作品を収集し続けるなど、完全に決裂することはなかったとされている。
Q. マネ自身も似たような絵を描いていますか?
《ピアノを弾くマネ夫人》という、よく似た構図の作品を自ら手がけている。
まとめ
《マネとマネ夫人像》は、友情の証として贈られながら、その友人自身の手によって傷つけられるという、皮肉な運命をたどった1枚だ。切り取られたまま残された画面の空白は、埋め合わせられることのないまま、2人の複雑な関係をいまも静かに物語り続けている。
