ローマのドーリア・パンフィーリ美術館に、若い女性が皿の上に載った男の首を抱える、小さな油彩画がある。《サロメ》と呼ばれるこの作品は、ヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノが1515年頃、まだ画業の初期にあった時期に手がけたものだ。だがこの絵、実は「誰が誰を殺したのか」という基本的な部分からして、いまだに研究者のあいだで意見が分かれている。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90年頃〜1576) |
| 制作年 | 1515年頃 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 約90×72cm |
| 所蔵 | ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ) |
サロメか、ユディトか、それともヘロディアか
一般に本作は、洗礼者ヨハネの首を求めたサロメの物語を描いたものとされている。しかし研究者のなかには、これがユディトとホロフェルネスの物語を描いたものではないかと主張する声も根強い。さらにややこしいことに、歴史的にはこの絵の主役が、サロメではなくその母ヘロディアだと呼ばれていた時期もある。近年の研究では、初期の所蔵記録の多くがこの絵を「サロメ」として扱っていたことから、当初からサロメの物語として構想されたとする見方が優勢になりつつあるが、決着したとは言い難い。
首の正体は画家自身?
もう1つ興味深い議論がある。美術史家エルヴィン・パノフスキーは、皿に載せられたこの男の首が、ティツィアーノ自身の自画像なのではないかと指摘した。もしそうだとすれば、彼はこの絵のモデルとなった女性と何らかの私的な関係を暗示していたのかもしれない。実際、このモデルは、同時期にティツィアーノ(あるいはジョルジョーネ)が手がけた《ドレスデンのヴィーナス》や《ヴィーナスとキューピッド》に登場する女性と同一人物だと考えられている。
この「切り落とされた首に画家自身の顔を重ねる」という奇妙な発想は、後の時代にも受け継がれることになる。1613年、画家クリストフォロ・アッローリは《ホロフェルネスの首を持つユディト》を手がけた際、切り取られた首を自らの自画像とし、ユディトとその侍女には自分の元恋人とその母親の顔を借りたとされている。ティツィアーノの本作は、いわばこうした「斬首された自画像」という奇妙な系譜の先駆けだったことになる。
見どころ

見る者を真っ直ぐ見つめる女性の視線
画面中央の女性は、正面からこちらを見つめている。この視線の据え方は、ティツィアーノが後年の作品でも繰り返し用いた手法で、鑑賞者を絵の内側に引き込むような、独特の親密さを生み出している。
柔らかな髪と肌の質感
女性の髪は、油彩ならではの柔らかな筆致で描かれており、クリームのような肌との対比が、触れられそうなほどの質感を作り出している。この技巧は、当時まだ発展途上にあったティツィアーノ独自の画風を、はっきりと物語っている部分だ。
傍らで様子をうかがう侍女
画面左手には、もう1人の女性が控えめに顔をのぞかせている。彼女の視線は主役の女性へと向けられており、この場面に第三者の目撃者としての緊張感を添えている。
半世紀近い時を経て所蔵者を転々とした来歴
この絵は16世紀を通じて、フェラーラ公アルフォンソ1世デステの一族から枢機卿ピエトロ・アルドブランディーニへ、そしてその姪オリンピア・アルドブランディーニを経てパンフィーリ家へと、複数の名門一族の手を渡り歩いてきた。以来、同家によって代々受け継がれ、現在に至っている。
実際に見るには
本作はローマのドーリア・パンフィーリ美術館に所蔵されている。ティツィアーノは同時期に、フィレンツェのウフィツィ美術館にある《フローラ》やルーヴル美術館の《鏡を持つ女》など、よく似た半身の女性像を連作として手がけており、あわせて見比べることで、この時期の彼の様式の展開をたどることができる。
FAQ
Q. 《サロメ》はどこで見られますか?
ローマのドーリア・パンフィーリ美術館に所蔵されている。
Q. この絵は本当にサロメを描いているのですか?
古い所蔵記録の多くはサロメとして扱っているが、ユディトの物語だとする説や、母ヘロディアを描いたとする説も根強く、確定的な結論は出ていない。
Q. 首の正体が画家自身だという説は本当ですか?
美術史家パノフスキーによる指摘であり、確定した事実ではないが、モデルとの私的な関係を示唆する仮説として議論され続けている。
Q. モデルは誰ですか?
特定の人物名は分かっていないが、同時期の《ドレスデンのヴィーナス》などに登場する女性と同一人物とされている。
Q. この絵はどんな来歴をたどってきましたか?
フェラーラ公家からアルドブランディーニ家を経てパンフィーリ家へと渡り、以後同家に代々受け継がれてきた。
まとめ
《サロメ》は、主題の特定すら定まらないまま500年近くを生き延びてきた、謎に満ちた1枚だ。皿の上の首がもし本当にティツィアーノ自身の顔だとすれば、この絵は単なる聖書や外典の一場面ではなく、画家自身の私生活をひそかに描き込んだ、きわめて個人的な告白だったのかもしれない。
