《幼児虐殺》(英:Massacre of the Innocents)は、フランドルのバロック期を代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスが1611年から1612年ごろに手がけた油彩画で、現在はトロントのオンタリオ美術館(AGO)に所蔵されています。ヘロデ王の命令によってベツレヘムの幼い男児たちが虐殺されるという聖書の一場面を、むき出しの暴力と母親たちの必死の抵抗を通じて描いた作品です。長らく行方知れずだったこの絵が21世紀に再発見され、当時としては史上最高額でオークションに落札された経緯まで含めて見ていきます。
《幼児虐殺》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ピーテル・パウル・ルーベンス(1577〜1640) |
| 制作年 | 1611〜1612年ごろ |
| 技法・素材 | 油彩・板 |
| サイズ | 142×182cm |
| 所蔵 | オンタリオ美術館(トロント) |
| 主題 | ヘロデ王によるベツレヘムの幼児虐殺 |
| 典拠 | 「マタイによる福音書」2章13〜18節 |
一言でいうと
《幼児虐殺》は、聖書に記された悲劇を英雄的な殉教としてではなく、母親たちが子を奪われまいと必死に抵抗する生々しい暴力の場面として描いた作品です。兵士たちを怪物のようにではなく職務を淡々とこなす者として描いている点が、かえって出来事の恐ろしさを際立たせています。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
ヘロデ王による幼児虐殺という主題
「マタイによる福音書」によると、新しい王の誕生を予言によって知ったヘロデ王は、その脅威を取り除くためベツレヘムに住む2歳以下の男児をすべて殺すよう命じました。イエスの両親ヨセフとマリアは、御告げによってこれを知りエジプトへ逃れたため難を逃れたとされています。ルーベンスはこの物語のうち、逃げ場を失った母親たちのもとに兵士が押し入り、幼子を引き離そうとする瞬間を選んで描いています。
イタリア留学からの帰国直後
ルーベンスは1600年から1608年にかけてイタリアに滞在し、カラヴァッジオをはじめとするイタリア・バロックの画家たちの作品に直接触れて研鑽を積んだと広く考えられています。故郷アントウェルペンに戻って間もなく手がけられた本作には、強いドラマ性やダイナミックな場面構成、劇的な明暗表現(キアロスクーロ)など、その学びの成果が色濃く表れています。制作時期は《キリスト降架》とほぼ重なっており、ルーベンスが自らの様式を確立していく過程の一枚に位置づけられます。
見どころ徹底解説

母親たちの抵抗
画面の中心では、複数の母親が兵士に組み付き、幼子を取り返そうと必死にもがいています。ある母親は兵士の顔を引っかき、別の母親は倒れ込みながらも子どもを離すまいとしています。ルーベンスは母親たちを一方的な犠牲者としてではなく、抵抗する意志を持った存在として描いており、この身体的な闘争そのものが画面の緊張感を生み出しています。
感情を排した兵士たち
兵士たちの表情には、憎悪や残虐さよりもむしろ職務的な無表情が浮かんでいます。悪魔や怪物としてではなく、命令に従って淡々と任務をこなす者として描かれている点が、かえって出来事の異様さを際立たせています。暴力が個人の悪意ではなく、組織だった命令によって引き起こされているという恐ろしさが、この抑制された表情から伝わってきます。
右上に舞い降りる二体のプット
画面右上には、殉教のしるしである棕櫚の葉と薔薇の冠を手にした二体のプットが舞い降りる姿が描かれています。地上での凄惨な暴力とは対照的に、この超自然的な存在は、殺された幼子たちがキリスト教における最初の殉教者として位置づけられていることを示す、画面のなかで唯一の宗教的な救いの要素になっています。
来歴 — 発見と史上最高額のオークション
本作は18世紀初頭、《サムソンとデリラ》とともにウィーンのリヒテンシュタイン家のコレクションに収められていました。しかし1767年、収蔵目録の作成者ヴィンツェンツィオ・ファンティによる誤りから、ルーベンスの弟子ヤン・ファン・デン・ヘッケの作品と誤って記録されてしまいます。1920年にオーストリアの一家に売却された後、1923年からはオーストリア北部の修道院に貸し出され、長らくルーベンスの真筆とは認識されないまま眠っていました。
2001年、サザビーズの専門家ジョージ・ゴードンが《サムソンとデリラ》と同じ様式的特徴を持つことからルーベンスの真筆と鑑定し、翌2002年のオークションで4950万ポンド(手数料込み、当時のレートで約90億円)という、旧巨匠絵画としては当時史上最高額で落札されました。落札者はカナダの新聞王ケネス・トムソン男爵で、本作はロンドンのナショナル・ギャラリーへの貸与期間を経て、2008年にトロントのオンタリオ美術館へ寄贈されています。
別バージョンとの比較
| 幼児虐殺(1611〜1612年ごろ) | 幼児虐殺(1636〜1638年) | |
|---|---|---|
| 所蔵 | オンタリオ美術館(トロント) | アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン) |
| 制作時期 | イタリア帰国直後 | 晩年 |
| 特記事項 | 21世紀に再発見・史上最高額で落札 | パウルス・ポンティウスにより1643年に版画化 |
ルーベンスは同じ主題を晩年にも再び手がけており、こちらは早くから所在が知られミュンヘンのアルテ・ピナコテークに収蔵され続けてきました。同じ画題でありながら、一方は長らく行方不明という劇的な運命をたどった点も、この2作を語るうえで欠かせない違いです。
実際に見るには
本作はカナダ・トロントのオンタリオ美術館で公開されています。同館はケネス・トムソン男爵のコレクションを中核とする充実した所蔵品で知られており、《幼児虐殺》はそのなかでも中心的な展示作品の一つです。画面は決して大きくありませんが、密集した人物描写と激しい明暗の対比は、実物を間近で見ることで一層強く伝わってきます。
よくある誤解
本作は聖書の一場面を描いた宗教画であるため、殉教という美化された物語として穏やかに描かれていると思われがちですが、実際には母親たちの生々しい抵抗と兵士たちの無表情な暴力がきわめて直接的に描かれています。また、行方不明だった期間が長かったことから「近年の贋作騒動」と混同されることがありますが、これは誤認による所蔵者の記録違いが原因であり、専門家の鑑定によって真筆であることが確認されています。
FAQ
Q. 《幼児虐殺》はどの聖書の場面を描いていますか?
「マタイによる福音書」に記されたヘロデ王によるベツレヘムの幼児虐殺の場面を描いています。
Q. なぜ長らく行方不明だったのですか?
1767年の収蔵目録作成の際に別の画家の作品と誤って記録されてしまい、20世紀初頭まで真筆と認識されないまま所蔵者を転々としていたためです。
Q. オークションではいくらで落札されましたか?
2002年のサザビーズのオークションで4950万ポンドで落札され、当時の旧巨匠絵画としては史上最高額でした。
Q. 同じ主題の別の作品もあるのですか?
晩年の1636〜1638年にも同じ主題の作品を手がけており、こちらはミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。
Q. 画面右上に描かれているものは何ですか?
殉教のしるしである棕櫚の葉と薔薇の冠を持つ二体のプットで、殺された幼子たちを最初の殉教者として位置づける宗教的な要素です。
まとめ
《幼児虐殺》は、聖書の悲劇を英雄譚としてではなく、母親たちの必死の抵抗と兵士たちの職務的な無表情という生々しい対比によって描き出した作品です。長く所在が分からなくなっていた本作が21世紀に再発見され、史上最高額で落札されるという劇的な運命をたどったこと自体も、この絵の物語の一部になっています。
