枯れたタンポポの綿毛が一面に広がる野原で、甲冑をまとった騎士が若い女性の腰をそっと抱き寄せています。彼女の瞳には、期待とも不安ともつかない色が浮かんでいます。《騎士と乙女》(1897年)は、スウェーデンの画家リッカルド・ベリによる油彩画で、ストックホルムのティエルスカ美術館が所蔵しています。国民ロマン主義の時代を象徴する一枚でありながら、この絵を完成させるまでに、一人の少女が丸一年にわたってモデルを務め続けたという、地道な制作過程を持つ作品でもあります。
基本情報
作者:リッカルド・ベリ(スヴェン・リッカルド・ベリ、1858〜1919)
制作年:1897年
技法・素材:油彩・カンヴァス
所蔵:ティエルスカ美術館(ストックホルム)
制作地:スウェーデン・ヴァルベリ
関連作品:1894年の下絵はストックホルムの国立美術館(ナショナルミュージアム)が所蔵
一言でいうと
《騎士と乙女》は、輝く甲冑をまとった男と、まだあどけなさの残る若い女性が、枯れたタンポポの野原で寄り添う姿を描いた作品です。伝記作家トール・ヘドベリの言葉を借りれば、これは男女が初めて出会い、初めてためらいがちに触れ合う瞬間を描いたものであり、征服者のように鎧を身にまとった男に対して、女性はなかば囚われ、なかば無垢なまま、これから訪れる未来を大きな瞳で見つめています。
制作背景
ベリは1893年からヴァルベリに移り住み、画家仲間のニルス・クルーゲル、カール・ノールストレムとともに、後に「ヴァルベリ派」と呼ばれることになる芸術家コロニーを築いていました。この時期の三人は、風景と光がもたらす神秘性やロマンティシズムへの意識を高めていったとされ、《騎士と乙女》もまさにこの時期に生まれた作品です。
この絵のモデルは、いずれもヴァルベリの住人でした。女性役を務めたのは当時17歳だったアンナ・フリベリという少女で、1年間にわたって1日2時間、時給75エーレでモデルを続けたと記録されています。男性役を演じたのは、鉄道員として働いていたヨハン・ヴィルヘルム・ペッテションという人物でした。
見どころ

枯れたタンポポの意味
画面を埋め尽くす枯れたタンポポの綿毛について、美術評論家ウルフ・リンデはこれを、生と死の関係を語る象徴として解釈しています。今にも風に吹き飛ばされそうな綿毛の儚さが、二人の関係が持つ移ろいやすさとも重なり合っています。
女性が握る小さな守り
女性は片手に何かを握りしめており、この小道具についてヘドベリは、彼女を満たす夢そのものが、この「騎士の合言葉」と同じくらい繊細で、儚く消えやすいものだと表現しています。彼女がこれをやや意図的に手にしている様子も、この場面の緊張感を静かに強めています。
抱き寄せる腕とためらう視線
男性は片腕で女性の腰を抱き寄せていますが、女性の側は完全に身を委ねているわけでも、まったく無関心というわけでもありません。この「なかば囚われ、なかば無垢」という中間的な状態こそが、この絵全体の緊張感を作り出しています。
評価と受容
《騎士と乙女》は、スウェーデン美術史の中でも特に象徴的な一枚として位置づけられています。この作品が描かれた時期のベリは、歴史的な題材を用いながら象徴主義的な思索を深めるという作風を特徴としていましたが、後年手がけた《北欧の夏の夕べ》(1899〜1900年)では、こうした「もの思わしげな象徴主義」から離れ、より直接的な表現へと転じていくことになります。その意味でも《騎士と乙女》は、ベリの画業の中でも象徴主義がもっとも色濃く表れた時期を代表する作品と言えます。ベリ自身は後年、ストックホルムの国立美術館の館長も務めています。
よくある誤解
誤解①「この絵は完成までに一度で描き上げられた」→ 実際は1894年の下絵を経て1897年に完成している
一枚の完成作としてまとめて描かれたと思われがちですが、実際にはベリは1894年にすでに構図の下絵を手がけており、そこから3年の歳月を経て1897年に本作を完成させています。
誤解②「モデルの女性は騎士との恋愛関係を象徴する架空の存在である」→ 実際は実在するヴァルベリの少女がモデルを務めた
純粋に象徴として作り出された人物だと思われがちですが、実際にはアンナ・フリベリという実在の17歳の少女が、1年にわたって実際にポーズを取り続けたことが記録に残っています。
FAQ
Q. 《騎士と乙女》とはどんな作品ですか?
A. ベリが1897年に手がけた油彩画で、甲冑姿の男性が、枯れたタンポポの野原で若い女性を抱き寄せる場面を描いています。ストックホルムのティエルスカ美術館が所蔵しています。
Q. モデルは誰だったのですか?
A. 女性役は当時17歳だったアンナ・フリベリ、男性役は鉄道員のヨハン・ヴィルヘルム・ペッテションで、いずれもベリが暮らしていたヴァルベリの住人でした。
Q. 画面いっぱいのタンポポにはどんな意味がありますか?
A. 美術評論家ウルフ・リンデは、この枯れたタンポポの綿毛を、生と死の関係を語る象徴として解釈しています。
Q. 《騎士と乙女》はどこで見られますか?
A. スウェーデン・ストックホルムのティエルスカ美術館が所蔵しています。1894年の下絵は同じくストックホルムの国立美術館にあります。
まとめ
一人の少女が時給75エーレで一年間ポーズを取り続けた末に、この絵は完成しました。画面に描かれた出会いの一瞬の裏側に、これほど地道な時間の積み重ねがあったことを知ると、枯れたタンポポの静けさもまた違って見えてきます。
