《カール5世のアントワープ入城》とは|50平方メートルの大画面が巻き起こした、裸体をめぐる論争を追う

ウィーンの展示会場に足を運んだ人々は、わずか数日で3万人を超えたと伝えられています。目当ては、床から天井まで届くほどの巨大な一枚の絵。《カール5世のアントワープ入城》(1878年)は、オーストリアの歴史画家ハンス・マカルトによる油彩画で、ドイツ・ハンブルク美術館(ハンブルガー・クンストハレ)が所蔵しています。同館が誇る最大サイズの作品でありながら、その内容――皇帝の行列に寄り添う裸体の女性たち――は、発表当初から今日に至るまで、議論の的であり続けています。

目次

基本情報

作者:ハンス・マカルト(1840〜1884)
制作年:1878年
技法・素材:油彩・カンヴァス
サイズ:約50平方メートル(壁画に匹敵する大画面)
所蔵:ハンブルガー・クンストハレ(ドイツ・ハンブルク)
主題:神聖ローマ皇帝カール5世のアントワープ入城(1520年9月23日)

一言でいうと

《カール5世のアントワープ入城》は、若き皇帝カール5世が馬にまたがり、熱狂する群衆の間をアントワープの街へと進んでいく行列の場面を描いた作品です。マカルトはこの行列のまわりに、あらわな肌をさらす若い女性たちを配置しており、この演出こそが発表当時から現在まで、この絵をめぐる議論の中心になっています。

制作背景

この絵が描いている出来事は、1520年9月23日、神聖ローマ皇帝カール5世がアントワープの港町に迎え入れられた、実際の歴史的な祝典です。この式典には、画家アルブレヒト・デューラーも居合わせており、彼はネーデルラント旅行の日記の中に、当時の様子を書き留めています。デューラーの記録によれば、この種の祝典では、裸体の女性たちが高い台の上に立ち、寓意を表す「生きた絵画」として披露されるのが慣例でした。

マカルトはこの記録を出発点にしながらも、実際の歴史的な記録から大きく踏み込んだ演出を選びました。デューラーが記した女性たちが群衆から離れた台上の存在だったのに対し、マカルトの絵では彼女たちが皇帝の行列に直接寄り添い、その支配のもとに従属する存在として描かれています。作品は1878年、ウィーンのキュンストラーハウスで公開されると、わずか数日のうちに3万4千人もの来場者を集める大反響を呼びました。

見どころ

見渡しきれない群衆

画面はあまりに巨大で、あまりに多くの人物で埋め尽くされているため、鑑賞者が一度にすべてを把握することはほとんど不可能です。それでも視線は自然と、馬上で堂々と構える皇帝カール5世へと吸い寄せられていきます。見上げるようなこの構図によって、皇帝という一人の権力者と、それを取り巻く群衆の無力さとが、対照的に浮かび上がってきます。

論争を呼んだ裸体の女性たち

行列に寄り添う裸体の女性たちの存在は、この絵が発表された瞬間から、批評家たちの間で激しい議論を巻き起こしました。近代以前の歴史的な場面に、なぜこれほど官能的な裸体表現が必要なのかという疑問が投げかけられ、マカルトが世間の注目を集めるための扇情的な仕掛けとして裸体を利用したのではないかという批判も寄せられています。

装飾性と色彩の饗宴

金色の装飾、鮮やかな旗、花で埋め尽くされた桟敷席など、画面のあらゆる部分が過剰なまでの華やかさで彩られています。この装飾性と官能性への傾倒は、後にウィーンの文化全体に「マカルト・シュティール(マカルト様式)」と呼ばれる流行を生み出すことになり、帽子から特定の色調に至るまで、マカルトの名前が一種の様式そのものを指すようになりました。

評価と受容

発表当初の批判にもかかわらず、この絵はマカルトの名声をさらに押し上げる結果となりました。ウィーンでの展示の後、この絵はパリ万国博覧会にも出品され、あるアメリカ人批評家は「このパリ万博で、マカルトの《カール5世のアントワープ入城》ほど注目を集め、またそれにふさわしい作品はなかった」と評しています。マカルトはその後、ウィーン美術アカデミーで歴史画を教える専門の講座を任され、その教え子の中には、後年マカルトの遺産を受け継ぐことになる若き日のグスタフ・クリムトもいました。今日ではこの絵は、19世紀の歴史画とサロン絵画を象徴する一枚として、また史実の脚色という問題を考える上で欠かせない作品として、ハンブルク美術館の主要な所蔵品の一つに位置づけられています。

よくある誤解

誤解①「画面の裸体の女性たちは史実に忠実な描写である」→ 実際は歴史的な記録を大きく脚色している
デューラーの日記に記録が残っていることから、忠実な再現だと思われがちですが、実際にはデューラーが記した女性たちは群衆から離れた台上の存在であり、マカルトはこれを行列そのものに組み込み、皇帝により直接的に従属する形へと演出し直しています。

誤解②「この絵は発表当初から批判一色で受け止められた」→ 実際は批判と同時に熱狂的な人気も集めた
裸体表現への批判ばかりが取り沙汰されがちですが、実際にはウィーンでの公開直後から数万人規模の観客を集め、パリ万博でも高い評価を受けるなど、批判と称賛が同時に渦巻く形でこの絵は広く知られていきました。

FAQ

Q. 《カール5世のアントワープ入城》とはどんな作品ですか?
A. マカルトが1878年に手がけた油彩画で、1520年に神聖ローマ皇帝カール5世がアントワープに迎え入れられた祝典の場面を描いています。ハンブルガー・クンストハレが所蔵する、同館最大級の作品です。

Q. なぜこの絵は発表当初から論争を呼んだのですか?
A. 皇帝の行列に寄り添う裸体の女性たちの描写が、歴史的な記録から大きく踏み込んだ、扇情的な演出だと批判されたためです。

Q. マカルトはどんな画家でしたか?
A. オーストリアの歴史画家で、装飾性と官能性を強調した独自の画風によって、19世紀後半のウィーン文化に「マカルト様式」と呼ばれる流行を生み出した人物です。グスタフ・クリムトを教え子に持っていたことでも知られています。

Q. 《カール5世のアントワープ入城》はどこで見られますか?
A. ドイツ・ハンブルクのハンブルガー・クンストハレが所蔵しています。

まとめ

デューラーが日記に書き留めた小さな一場面を、マカルトは50平方メートルという規格外の大画面へと膨らませました。史実に対してどこまで忠実であるべきかという問いは今も答えが出ていませんが、当時の観客が押し寄せた事実そのものが、この絵の持つ求心力を物語っています。

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