大きな緑の瞳をした猫の顔が、画面いっぱいに広がっています。額のあたりには小さな鳥がぽつんと描かれていますが、よく見るとこれは猫の前にいるのではなく、猫の頭の中を飛んでいるように配置されています。《猫と鳥》(1928年)は、スイス出身の画家パウル・クレーによる油彩・インクの作品で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。バウハウス・デッサウで教鞭を執っていた時期に手がけられたこの一枚は、単純な線と形の中に、猫の思考そのものを閉じ込めるという発想が仕込まれています。
基本情報
作者:パウル・クレー(1879〜1940)
制作年:1928年
制作時期:バウハウス・デッサウでの教職期間中
技法・素材:石膏下地を施した紗布に油彩・インク、板に貼付
サイズ:約38.1×53.2cm
所蔵:ニューヨーク近代美術館(MoMA)
一言でいうと
《猫と鳥》は、画面の大部分を占める猫の顔と、その額の位置に描かれた小さな鳥を組み合わせた作品です。この鳥は猫の前を飛んでいるのではなく、猫の頭の内側に浮かんでいるかのように配置されており、まるで獲物への欲望がそのまま可視化されたような構図になっています。
制作背景
クレーは1928年当時、ドイツのバウハウス・デッサウで教壇に立っていました。この時期の彼は、線や形、色彩をそれ自体のために用いる、いわば「手段そのものを純粋に育てる」絵画のあり方を追求していたと語っています。目に見えるものをそのまま写し取るのではなく、思考や空想、欲求といった、目には見えないものを描き出すことに関心が向いていたのです。
クレーは子どもの描く絵に強い魅力を感じており、創造性の源泉に近い存在だと考えていました。この作品でも、猫の瞳や瞳孔には楕円、耳や鼻には三角形といった、子どもの絵を思わせる単純な形が用いられています。
見どころ

頭の中を飛ぶ鳥
この絵の最大の仕掛けは、鳥の配置にあります。ふつうに考えれば、鳥は猫の視界の中、つまり額の前にいるはずですが、クレーはこれを額の内側に描き込みました。つまりこの鳥は、猫が今まさに思い描いている獲物のイメージなのです。顔全体を頭だけで埋め尽くすことで、クレーは猫という生き物が持つ思考・空想・食欲といった、脳の内側の働きそのものに焦点を当てています。
心臓の形をした鼻先
猫の赤い鼻の先端は、よく見るとハート形になっています。これは猫が抱く「欲望」を示す印であり、単なる装飾ではなく、猫の内面を語る記号として配置されています。
警戒と静けさが同居する表情
猫の表情は油断なく獲物を見据えているようでいて、同時にどこか落ち着いた雰囲気も漂わせています。黄褐色からバラ色、ところどころに差し込まれる青緑という抑えられた色調が、この緊張と静けさの同居を支えています。
評価と受容
この作品は、クレーの作品の中でも特によく知られる動物画の一つとされています。額の中に鳥を描き込むという構図は、絵画が単に見えるものを写し取るのではなく、頭の中で起きていることそのものを視覚化できるという、クレー独自の美術観を端的に示す例として、しばしば取り上げられています。現在はMoMAのコレクションの中核をなす作品の一つとして、常設展示でも紹介され続けています。
よくある誤解
誤解①「鳥は猫の目の前にいる獲物として描かれている」→ 実際は猫の頭の内側、つまり思考の中に描かれている
猫が鳥を見つめている場面のように見えますが、実際には鳥は額の位置、すなわち猫の頭の内部に配置されており、猫が今まさに思い浮かべている獲物のイメージとして描かれています。
誤解②「この絵はシュルレアリスムの作品である」→ 実際はクレー独自の造形言語による表現主義的な作品
夢のような不思議な構図から超現実主義の作品だと思われがちですが、実際にはクレーはどの運動にも完全には属さず、子どもの絵に着想を得た単純な形と色彩によって、独自の表現を築いていました。
FAQ
Q. 《猫と鳥》とはどんな作品ですか?
A. クレーが1928年、バウハウス・デッサウで教えていた時期に手がけた作品で、猫の顔とその額に浮かぶ小さな鳥を描いています。ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。
Q. なぜ鳥は額の位置に描かれているのですか?
A. 鳥は猫の目の前にいる存在ではなく、猫が思い描く獲物のイメージ、つまり頭の中の思考そのものを表すために、額の内側に配置されています。
Q. なぜ猫の鼻先はハート形なのですか?
A. 猫が抱く欲望や食欲を示す印として、鼻の先端がハートの形で描かれています。
Q. 《猫と鳥》はどこで見られますか?
A. アメリカ・ニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。
まとめ
猫の顔をキャンバス一杯に描きながら、クレーはその内側で起きていることまで一枚の絵に収めてしまいました。獲物を見つめる目つきの奥には、すでに獲物を捕らえた気でいる頭の中身が透けて見えます。単純な線と形だけで、これほど雄弁に「考えていること」を語れるという事実こそ、この絵が今も見る人の足を止める理由なのでしょう。
