ハバナ港の海面には、すでに片脚を失った少年の血が広がっています。小舟から差し伸べられた手と、少年に向かって伸びるロープ。その背後では、巨大な鮫が今まさに二度目の襲撃を仕掛けようとしています。《ワトソンとサメ》(1778年)は、アメリカ生まれの画家ジョン・シングルトン・コプリーによる油彩画で、ワシントンのナショナル・ギャラリーが所蔵する最初のバージョンをはじめ、現在アメリカ国内に三点の異なるバージョンが伝わっています。実際に起きた事故をもとにしたこの絵は、後年イギリスの政治家となる人物の若き日の九死に一生を描いた作品です。
基本情報
作者:ジョン・シングルトン・コプリー(1738〜1815)
制作年:1778年(最初のバージョン)
技法・素材:油彩・カンヴァス
所蔵:ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.、最初のバージョン)
題材となった人物:ブルック・ワトソン(1735〜1807、後のロンドン市長)
事故発生地:キューバ・ハバナ港(1749年)
一言でいうと
《ワトソンとサメ》は、1749年、ハバナ港で一人泳いでいた14歳の少年ブルック・ワトソンが鮫に襲われ、仲間の乗組員たちに救助された実際の出来事を描いた作品です。少年はすでに右脚の膝から下を失いながらも、間一髪のところで小舟に引き上げられようとしています。
制作背景
事故が起きたのは1749年、ワトソンが商船の給仕係としてハバナ港に滞在していたときのことでした。一人で港内を泳いでいたところを鮫に襲われ、三度にわたる攻撃の末に右脚を失いましたが、仲間の乗組員たちの手によって間一髪で救助されています。回復までにはキューバの病院で3か月ほどを要したと伝えられています。
ワトソンは後年、成功した商人としてイギリスで活躍し、1774年頃にロンドンで画家コプリーと出会いました。コプリー自身はキューバを訪れたことも、鮫を実際に目にしたこともなく、地図や版画を参考にしながらハバナ港の情景を組み立てたとされています。この絵は1778年、ロンドンのロイヤル・アカデミー展に出品されて大きな反響を呼び、コプリーが同アカデミーの会員に選ばれる後押しにもなりました。
見どころ

三度目の襲撃という緊迫の瞬間
画面には、鮫が三度目の攻撃を仕掛けようとする、まさにその瞬間が描かれています。すでに脚を失ったワトソンは血の気の引いた顔で助けを求め、小舟の上の乗組員たちはロープや銛を手に、必死の形相で彼を引き上げようとしています。この緊張感の高い構図が、絵全体に強い動きと臨場感を与えています。
頂点に立つ黒人の水夫
画面の構図の頂点には、ロープを手にした黒人の水夫が描かれています。当初の下絵ではこの位置に白人の人物が描かれていたことが分かっており、最終的にこの人物に変更された経緯については諸説あります。ワトソンの依頼によるものだという説もありますが、その真意ははっきりとは分かっていません。当時のハバナが大西洋奴隷貿易の主要な港であったことを踏まえると、この人物の配置には見過ごせない意味が込められているとする指摘もあります。
血で染まる海面
画面左下、ワトソンの体のすぐそばの海面には、赤く染まった水が描かれており、すでに脚を失ったという事実を静かに伝えています。派手な演出を避けながらも、事故の深刻さを見る者にはっきりと突きつける、抑制の効いた描写です。
評価と受容
この絵はコプリーによって、生涯で三度描かれています。最初のバージョンは1778年に完成し、現在はワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。1782年には縦長の構図に描き直した三点目のバージョンが制作され、現在はデトロイト美術館が所蔵しています。コプリー自身の手元に残された複製は、彼の息子に引き継がれた後、複数のコレクションを経て1889年にボストン美術館へ寄贈されました。
主人公のワトソンは、この事故の後も順調にキャリアを重ね、1796年から97年にかけてロンドン市長を務め、1803年には准男爵の称号も授かっています。彼は遺言の中でこの絵をロンドンのクライスツ・ホスピタルに遺贈しており、そこには「この絵は、ブルック・ワトソンの人生における特筆すべき出来事を描いたものである」という一文が今も添えられています。
よくある誤解
誤解①「この絵は歴史上の英雄的な戦いを描いた作品である」→ 実際は一人の少年の個人的な事故を主題にしている
勇壮な構図から神話や戦争の場面を思い浮かべがちですが、実際にはこの絵が描いているのは、当時まだ無名だった14歳の少年が遭遇した、個人的な海難事故です。歴史画の伝統的な主題とは異なる、市井の出来事を大画面で描いたという点に、この絵の新しさがありました。
誤解②「この絵は一枚しか存在しない」→ 実際はコプリー自身の手による複数のバージョンが伝わっている
単一の作品として語られがちですが、実際にはコプリーはこの主題を生涯で三度手がけており、それぞれワシントン、ボストン、デトロイトの美術館に所蔵されています。
FAQ
Q. 《ワトソンとサメ》とはどんな作品ですか?
A. コプリーが1778年に手がけた油彩画で、1749年にハバナ港で鮫に襲われ右脚を失った少年ブルック・ワトソンの救助劇を描いています。最初のバージョンはワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。
Q. ブルック・ワトソンとはどんな人物ですか?
A. 事故当時14歳の給仕係でしたが、その後イギリスで商人として成功し、1796年から97年にかけてロンドン市長を務め、1803年には准男爵となった人物です。
Q. なぜコプリーは実際に見たこともないハバナや鮫を描けたのですか?
A. 地図や版画などの資料を参考にしながら構図を組み立てたためで、コプリー自身はキューバを訪れたこともなければ、鮫を実際に見たこともなかったとされています。
Q. 《ワトソンとサメ》はどこで見られますか?
A. 最初のバージョンはワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。ほかにボストン美術館とデトロイト美術館にも異なるバージョンがあります。
まとめ
一人の少年が味わった恐怖の瞬間は、画家の手によって額縁の中に永遠に閉じ込められました。ワトソン自身はこの絵を、自分の人生の転機として遺言にまで残しています。九死に一生を得た経験が、その後の人生をどう変えていったのかを思うと、この絵はただの海難事故の記録以上の重みを持って見えてきます。
