《鉄道》とは|見えない汽車を、あえて主役から外した一枚を追う

黒い鉄柵の前で、一人の女性が本を膝に置いたまま、まっすぐこちらを見つめています。その傍らでは、幼い少女が背を向けたまま柵にしがみつき、その下を通り過ぎる汽車を見つめています。しかし、その汽車の姿はどこにも描かれていません。《鉄道》(1873年)は、フランスの画家エドゥアール・マネによる油彩画で、ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。近代都市パリの一場面を主題にしながら、その主役であるはずの鉄道そのものを画面から意図的に隠してしまった、マネらしい仕掛けに満ちた一枚です。

目次

基本情報

作者:エドゥアール・マネ(1832〜1883)
制作年:1873年
技法・素材:油彩・カンヴァス
サイズ:約93.3×111.5cm
所蔵:ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)
発表:1874年、パリ・サロン
原題:Le Chemin de fer(別名:ガール・サン=ラザール)

一言でいうと

《鉄道》は、パリのサン=ラザール駅近くの鉄柵越しに、女性と幼い少女の姿を描いた作品です。当時パリで最も繁忙な駅の一つを舞台にしていながら、汽車そのものは蒸気に隠されてほとんど見えず、代わって二人の人物とその視線の交わらなさが、画面の中心に据えられています。

制作背景

この絵が描かれた1873年、マネはちょうど新しいアトリエに移り住んだばかりで、《鉄道》はその新居で最初に手がけた作品でした。舞台となったのは、隣人であり同じ画家仲間だったアルフォンス・イルシュの庭です。イルシュはマネにこの庭を使うことを許しており、画面左上に描かれた扉は、マネ自身のアトリエへと続く入口だとされています。

座って本を手にする女性は、マネが1860年代に最も好んで起用したモデル、ヴィクトリーヌ・ムーランです。彼女は《草上の昼食》や《オランピア》にも登場しており、この《鉄道》は、マネが彼女をモデルに起用した最後の作品となりました。一方、少女役を務めたのは、庭の持ち主であるイルシュの娘です。

見どころ

隠された汽車

この絵が描いている場所は、当時パリで最大かつ最も混雑していた駅、サン=ラザール駅のすぐそばです。しかし画面には汽車の姿は一切描かれておらず、線路の切通しから立ちのぼる蒸気だけが、その存在を暗示しています。鉄道という近代技術の象徴を、あえて見えない背景へと退けたこの選択が、この絵の最大の仕掛けです。

背を向けた少女と正面を見る女性

少女は鉄柵をつかみながら見る者に背を向け、汽車が通り過ぎる様子に見入っています。一方、隣に座る女性はまっすぐにこちらを見つめており、二人は互いに視線を交わすことも、同じ方向を見ることもありません。女性の髪が結い上げられず垂らされたままであることから、彼女は少女の母親ではなく、付き添いの人物か年上の姉妹ではないかとも考えられています。

隔てる黒い鉄柵

画面を横切る太い黒の鉄柵は、二人の人物を、その下に広がる産業的な鉄道の空間から明確に隔てています。この柵は、19世紀後半のフランス社会に広がりつつあった階級の分断を象徴しているという見方もあります。画面右上には、当時の印象派の画家たち(モネやカイユボットも同じ場所を描いています)に好まれた欧州橋の一部も見えています。

評価と受容

1874年のパリ・サロンでこの絵が発表されると、その型破りな構成は物議を醸しました。主役であるはずの鉄道は姿を隠し、人物の一人は見る者に背を向け、駅そのものもほとんど判別できないほど霧に包まれている――こうした空間的な曖昧さは、当時の絵画の常識からは大きく逸脱していました。この絵は完成後まもなく、バリトン歌手ジャン=バティスト・フォールの手に渡り、1881年には画商ポール・デュラン=リュエルが5,400フランで購入しています。デュラン=リュエルはその後、この絵に「線路を眺める子ども」「欧州橋」「サン=ラザール駅にて」といった複数の別名を与えており、最終的には単に「サン=ラザール駅」という通称でも広く知られるようになりました。1956年、この絵はナショナル・ギャラリー・オブ・アートへ寄贈されています。

よくある誤解

誤解①「この絵はサン=ラザール駅の様子を写実的に描いた鉄道画である」→ 実際は駅も汽車もほとんど見えないように描かれている
タイトルや舞台設定から、鉄道そのものを主題にした絵だと思われがちですが、実際には汽車は蒸気に隠されて見えず、駅の建物もほとんど判別できないほど曖昧に処理されており、鉄道は背景の気配としてしか存在していません。

誤解②「画面の女性は少女の母親である」→ 実際は付き添いや年上の姉妹である可能性が指摘されている
二人が並んで座っていることから母娘の関係だと思われがちですが、実際には女性の髪型が既婚女性の慣習的な結い上げとは異なることから、母親ではなく、付き添い役や年上の姉妹ではないかという見方が示されています。

FAQ

Q. 《鉄道》とはどんな作品ですか?
A. マネが1873年に手がけた油彩画で、パリのサン=ラザール駅近くの鉄柵越しに、女性と幼い少女の姿を描いています。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。

Q. なぜこの絵には汽車が描かれていないのですか?
A. マネが鉄道という近代技術の象徴を、あえて見える背景としてではなく、蒸気だけが漂う気配として扱うことを選んだためで、これがこの絵の大きな特徴になっています。

Q. モデルは誰だったのですか?
A. 座っている女性はマネのお気に入りのモデルだったヴィクトリーヌ・ムーラン、少女はマネの隣人で画家仲間だったアルフォンス・イルシュの娘です。

Q. 《鉄道》はどこで見られますか?
A. アメリカ・ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵しています。

まとめ

鉄道という主題を選びながら、その主役をあえて画面の外に追いやってしまうというマネの選択は、当時としては型破りなものでした。見る者と目が合う女性と、見る者に背を向ける少女――この二つの視線の行き違いこそが、汽車そのものよりもずっと雄弁に、近代都市パリの断片を切り取っているのかもしれません。

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