カール・マルクスの生涯|「万国の労働者よ、団結せよ」を書いた男の困窮

目次

マルクスとは(3分で分かる要点)

カール・マルクスは、1818年、プロイセン王国・トリーアに生まれた哲学者・経済学者・革命家だ。1848年、盟友フリードリヒ・エンゲルスとともに『共産党宣言』を発表し、階級闘争と社会主義革命の理論を、世に問うた。1867年には、資本主義経済の構造を分析した主著『資本論』の第1巻を、刊行している。生涯を通じて、ドイツ・フランス・ベルギーから、次々と国外追放を受け、最終的にロンドンで、その生涯の大半を過ごすことになった。経済的には常に困窮し、盟友エンゲルスからの、金銭的な援助に頼り続けた。1883年、ロンドンで死去。彼の思想は、20世紀を通じて、世界人口の3分の1近くが、何らかの形で共産主義体制のもとで生活する事態を、招くことになった。

マルクスが生きた時代(産業革命が生んだ格差)

19世紀のヨーロッパは、産業革命の進行によって、工場労働者という新たな階級が、急速に拡大していた時代だった。都市に流れ込んだ労働者たちは、長時間労働と低賃金、劣悪な生活環境の中で、働かされている。同時に、この時代は、ヘーゲル哲学をはじめとする、ドイツ観念論の思想が、知識人の間で盛んに論じられ、社会の変革を求める、急進的な運動も、各地で芽生えつつあった。マルクスは、こうした思想的・社会的な土壌の中から、自らの理論を、築き上げていくことになる。

マルクスの生涯

ユダヤ系の家庭に生まれて

マルクスは、1818年5月5日、プロイセン領トリーアで、9人兄弟の一人として生まれた。父ハインリヒは、著名な弁護士で、カントやヴォルテールを敬愛する、プロイセン改革の熱心な支持者だった。両親はいずれもユダヤ系の家系だったが、当時、ユダヤ人が法律家として活動することを禁じる法律があったため、父は、マルクスが幼い頃、プロテスタントへと改宗している。

学生時代とヘーゲル左派

マルクスは、ボン大学、続いてベルリン大学で、法律を学んだ。ベルリン大学在学中、彼は「青年ヘーゲル派」と呼ばれる、急進的な学生グループに加わり、ヘーゲル哲学を用いて、支配階級への批判を試みる、思想運動に、深く関わるようになる。1841年、イェーナ大学から、博士号を取得した。

ジャーナリストとしての出発、そして国外追放の連続

学業を終えたマルクスは、ジャーナリストとしてのキャリアを、歩み始めた。しかし、彼が携わった新聞は、その急進的な論調を理由に、プロイセン当局によって、閉鎖されている。1843年、彼はパリへと移り住み、この地で、自らを革命家、そして共産主義者として、明確に位置づけるようになった。

エンゲルスとの出会い

パリ滞在中の1844年、マルクスは、生涯の盟友となる、ドイツの思想家フリードリヒ・エンゲルスと、出会っている。この出会いは、彼にとって、決定的な意味を持つものだった。2人は、資本主義社会への批判という、共通の情熱を共有し、以後、生涯にわたる、知的な協力関係を、築いていくことになる。

『共産党宣言』の発表

1848年、マルクスとエンゲルスは、「共産主義者同盟」の綱領として、『共産党宣言』を発表した。この小冊子は、階級闘争こそが、歴史を動かす原動力であるという考えを、世に示している。この発表からまもなく、マルクスはベルギーから追放され、フランスへと移るも、ここでも国外退去を命じられた。プロイセンも彼の再帰化を認めなかったため、彼は最終的に、ロンドンへと移り住むことになる。

ロンドンでの困窮した亡命生活

ロンドンに落ち着いたマルクスは、以後の生涯を、この地で過ごすことになった。彼はジャーナリストとしての活動を続け、10年にわたり、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙の、通信員も務めている。しかし、彼が生活に十分な収入を、得ることはなく、その暮らしは、常にエンゲルスからの、経済的な援助によって、支えられ続けた。この間、彼はロンドンの共産主義者たちとの間で、次第に孤立を深める一方、自らの経済理論の構築に、より深く没頭していく。

『資本論』の刊行

1864年、マルクスは「国際労働者協会(第一インターナショナル)」の設立に関わり、その創立宣言を、執筆している。1867年、彼は自らの代表作となる『資本論』の第1巻を、刊行した。この著作の中で、彼は、資本主義を、自己崩壊の種を内包しながらも、やがて共産主義の勝利へと至る、動的なシステムとして、描き出している。彼はその後の生涯を、続巻の執筆に費やしたが、これらは彼の存命中には、完成しなかった。

マルクスは、1883年3月14日、ロンドンで、気管支炎(あるいは胸膜炎)により、その生涯を閉じた。享年64歳(あるいは63歳)だった。未完成のまま残された『資本論』第2巻・第3巻は、エンゲルスの手によって編集され、彼の死後に、刊行されている。

なぜ重要な人物なのか

経済を歴史の原動力として捉えた視座

マルクスの最大の功績は、経済構造こそが、政治・文化・思想のあり方を、規定するという視座を、体系的に提示したことにある。この考え方は、後の社会科学全般に、計り知れない影響を、及ぼすことになった。

理論と実践を結びつけようとした姿勢

マルクスは、単なる書斎の理論家ではなく、実際の労働運動の組織化にも、深く関わり続けた。『共産党宣言』や、国際労働者協会の設立は、彼の理論を、現実の政治運動へと、結びつけようとする試みだった。

経済的な困窮の中で書き続けた執念

生活のほとんどを、盟友の援助に頼らざるを得なかったにもかかわらず、マルクスは、生涯を通じて、膨大な量の著作を、書き続けた。この執念こそが、彼の思想を、後世まで残すことになった、大きな要因の一つだ。

主要な著作5選

  1. 『共産党宣言』(1848年)。エンゲルスとの共著、階級闘争の理論を世に問うた小冊子
  2. 『資本論』第1巻(1867年)。資本主義経済の構造を分析した、代表作
  3. 『ドイツ・イデオロギー』(執筆1846年、死後出版)。唯物史観の理論的な骨格を示した著作
  4. 『経済学・哲学草稿』(執筆1844年、死後出版)。疎外論をはじめとする、初期思想をまとめた草稿
  5. 『資本論』第2巻・第3巻(死後出版)。エンゲルスの編集により、刊行された続巻

人物相関(マルクスをめぐる人々)

  • 父ハインリヒ。弁護士で、プロイセン改革の支持者。ユダヤ教からプロテスタントへ改宗した
  • フリードリヒ・エンゲルス。生涯の盟友・共同研究者。マルクスを経済的に支え続け、死後は未完成の著作を編集した
  • イェニー・フォン・ヴェストファーレン。妻。貴族の家系の出身で、マルクスとともに、困窮した亡命生活を送った

後世への影響(20世紀を二分した思想)

マルクスの死後、彼の思想は、ロシア革命をはじめとする、世界各地の革命運動を、理論的に支えることになった。20世紀を通じて、ソビエト連邦、中華人民共和国をはじめとする、数多くの国家が、彼の名にちなむ体制のもとで、統治を行っている。彼の理論は、経済学・社会学・歴史学といった、学問分野にも、今日まで続く、大きな影響を、及ぼし続けている。

現代とのつながり

今日、マルクスの理論は、純粋な政治体制としてよりも、資本主義社会を分析するための、批判的な視座として、学術の世界で、広く参照され続けている。彼の墓は、ロンドンのハイゲート墓地にあり、1954年、イギリス共産党によって建てられた大きな記念碑が、今日も、多くの訪問者を、集めている。

マルクスのよくある誤解

誤解①マルクスは、20世紀の共産主義国家の、統治のあり方を直接構想していた

ソビエト連邦や中国が、彼の名を掲げて統治を行ったことから、彼自身が、こうした具体的な国家体制を、構想していたと、思われがちだ。しかし実際には、マルクスは、資本主義の分析と、階級闘争の理論を中心に、著作を残しており、共産主義社会の、具体的な統治の仕組みについては、詳細に論じていない。20世紀の各国における実践は、後継者たちによる、独自の解釈と実装によるものだった。

誤解②マルクスは、経済的に成功した思想家だった

彼の思想の、後世への圧倒的な影響力から、生前も、それなりの地位と収入を、得ていたと、思われがちだ。しかし実際には、彼は生涯のほとんどを、経済的な困窮のうちに過ごし、盟友エンゲルスからの援助なしには、生活を維持することさえ、できなかった。

年表

年代出来事
1818年トリーアで誕生
1841年イェーナ大学で博士号取得
1843年パリへ移住
1844年エンゲルスと出会う
1848年『共産党宣言』発表
1849年ロンドンへ移住
1864年国際労働者協会(第一インターナショナル)設立
1867年『資本論』第1巻刊行
1883年3月14日ロンドンで死去

FAQ

Q. カール・マルクスとはどんな人物ですか?
A. 1818年、プロイセンに生まれた哲学者・経済学者で、エンゲルスとともに『共産党宣言』を著し、『資本論』を通じて、資本主義社会の構造を分析した人物だ。

Q. なぜマルクスは、各国から追放され続けたのですか?
A. 彼の急進的な思想と著作が、既存の体制への脅威と見なされ、プロイセン・フランス・ベルギーの、それぞれの政府から、危険視されたためだ。

Q. マルクスはどうやって生計を立てていたのですか?
A. ジャーナリストとしての活動も行っていたが、生活に十分な収入は得られず、生涯を通じて、盟友エンゲルスからの、経済的な援助に頼り続けた。

Q. マルクスの思想は、その後どうなりましたか?
A. 20世紀を通じて、ロシア革命をはじめとする、世界各地の革命運動の、理論的な支柱となり、多くの国家が、彼の名にちなむ体制のもとで、統治を行うことになった。

まとめ

マルクスの生涯は、経済的な困窮と、度重なる国外追放を経験しながらも、資本主義社会を分析する、壮大な理論を、書き続けた物語だ。生前の彼は、決して裕福でも、広く成功した人物でもなかった。それでも、盟友エンゲルスの支えを受けながら書き上げた著作は、彼の死後、20世紀の世界地図を、大きく塗り替えることになった。思想の影響力の大きさと、それを生み出した本人の暮らし向きとは、必ずしも一致しないということを、この生涯は示している。

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