アインシュタインとは
1879年、ドイツのウルムに生まれたアインシュタインは、26歳のとき、スイスの特許庁で審査官をしていた。その傍らで、彼は1905年のうちに、光電効果、ブラウン運動、特殊相対性理論という、物理学を塗り替える論文を、立て続けに書き上げる。この年は後に「奇跡の年」と呼ばれることになる。10年後の1915年には、一般相対性理論を発表した。「E=mc²」という式は、今や世界で一番有名な数式と言っていい。1921年、ノーベル物理学賞を受賞。1933年、ナチスの台頭を機にアメリカへ渡り、1955年、プリンストンで亡くなった。
ニュートン力学が揺らぎ始めていた時代
19世紀末の物理学は、ニュートンが築いた古典力学を、ほぼ完成された建物のように見なしていた。ただし、光の速度や電磁気学に関する一部の観測結果は、その建物の隙間から、少しずつ違和感を漏らし始めていた。当時の物理学界の一部には、あとは細部を詰めるだけだという、やや呑気な空気すらあったと言われている。アインシュタインが現れたのは、まさにその隙間が、誰の目にも見え始めた頃だった。
生涯
ユダヤ系の家に生まれて
ウュルテンベルク州ウルムで、ユダヤ系の両親のもとに生まれた。幼少期はミュンヘンで、カトリック系の学校に通っている。父の事業の都合で、一家は後にイタリアへ移り住んだ。
ドイツ国籍を捨てる
1894年、家族とともにスイスのアーラウへ移り、チューリヒの工科学校で学んだ。在学中、彼は自らドイツ国籍を放棄している。しばらく無国籍のまま過ごし、1901年にスイス国籍を取得した。
特許庁での「奇跡の年」
卒業後、教職には就けず、1901年からベルンの特許庁で審査官として働き始める。決して恵まれた研究環境ではなかったが、彼は仕事の合間に、自分の考えを、こつこつと形にしていった。それが実を結んだのが1905年だ。光電効果、ブラウン運動、特殊相対性理論。この年だけで、複数の重要な論文を送り出している。
重力という宿題
特殊相対性理論を発表した2年後、アインシュタインは、この理論だけでは重力や加速度をうまく説明できないことに気づく。それから8年、彼はこの問題と格闘し続けた。1915年、一般相対性理論が完成する。重力とは、遠くから引っ張る力ではなく、時空という布そのものが歪むことだった。この理論が、ブラックホールや宇宙の膨張を、後に説明することになる。
ノーベル賞
1921年、ノーベル物理学賞を受賞。ただし理由は、彼が最も有名になった相対性理論ではなく、光電効果の発見だった。当時、相対性理論はまだ、評価が定まりきっていなかったからだとも言われている。
アメリカへ
1933年の春、アインシュタインは妻エルザとアメリカに滞在していた。ちょうどそのあいだに、ナチ党がドイツで政権を握る。彼らは激しい反ユダヤ主義を掲げ、アインシュタインの理論を「ユダヤ的物理学」と呼んで攻撃した。彼はもうドイツへ戻らないことを決め、プリンストン高等研究所を新たな拠点とした。
最期
晩年は、重力と電磁気力を一つにまとめる「統一場理論」に取り組み続けたが、これは完成しなかった。1955年4月18日、大動脈瘤の破裂によって、プリンストンで亡くなっている。死の直前まで、量子物理学について考えていたという。
なぜ重要な人物なのか
当たり前を疑った
彼の理論は、いずれも「当然そうだろう」と誰もが思っていた前提を、根本から問い直すことから始まっている。時間や空間が絶対的なものではないという発想は、当時としてはかなり大胆だった。
恵まれない場所からの発見
特許庁という、学問の中心からは程遠い場所で、彼は物理学史に残る理論を、ほぼ独学で組み立てた。良い発見は、良い研究室からしか生まれないわけではないらしい。
科学の外側でも語り続けた
物理学者としてだけでなく、平和運動や社会問題についても、彼は積極的に発言を続けた。その思想は、後の国際連盟や国際連合の理念にも、一定の影響を与えたとされる。
主要な功績
- 光電効果の理論(1905年)。ノーベル賞の受賞理由になった業績
- 特殊相対性理論(1905年)。時間と空間が絶対ではないことを示した
- E=mc²。質量とエネルギーの等価性を表す式
- 一般相対性理論(1915年)。重力を時空の歪みとして説明した
- 統一場理論への挑戦。生涯をかけたが、未完に終わった
人物相関
- ミレヴァ・マリッチ。最初の妻。チューリヒ工科学校の同窓生
- エルザ・アインシュタイン。2番目の妻。いとこにあたる
- マックス・プランク。量子論の提唱者。若きアインシュタインを後押しした
- ニールス・ボーア。量子力学をめぐり、生涯論争を交わした相手
後世への影響
相対性理論は、量子力学と並んで、今日の物理学を支える二本柱の一つだ。GPSの時刻補正から、ブラックホールの観測、原子力技術まで、応用範囲は広い。
現代とのつながり
スマートフォンの位置情報は、実は一般相対性理論による時間の補正なしには、正確に機能しない。2015年、彼が予言していた重力波が、実際に観測された。100年前の計算が、当たっていたということだ。
よくある誤解
誤解①学校の成績が悪く、数学が苦手だった
「変わり者の天才」というイメージから、よくこう語られる。だが実際には、彼は数学や物理学で優秀な成績を収めていた。この誤解は、当時のドイツとスイスで、成績の採点基準(数字の大小の意味)が違っていたことへの混同から生まれた、という説が有力だ。
誤解②相対性理論でノーベル賞を取った
これも定番の勘違いだが、1921年の受賞理由は光電効果の発見であって、相対性理論そのものは、受賞の対象になっていない。
年表
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1879年 | ウルムで誕生 |
| 1900年 | チューリヒ工科学校卒業 |
| 1901年 | ベルン特許庁に勤務開始 |
| 1905年 | 奇跡の年 |
| 1915年 | 一般相対性理論を発表 |
| 1921年 | ノーベル物理学賞受賞 |
| 1933年 | アメリカへ移住 |
| 1955年4月18日 | プリンストンで死去 |
FAQ
Q. アインシュタインとはどんな人物ですか?
A. 1879年生まれのドイツの理論物理学者。特殊相対性理論と一般相対性理論を打ち立てた。
Q. 「奇跡の年」とは何ですか?
A. 1905年、特許庁に勤めながら、複数の重要な論文を立て続けに発表した年のことだ。
Q. なぜアメリカへ移住したのですか?
A. 1933年、ナチ党が政権を握り、ユダヤ系の彼を攻撃対象としたためだ。
Q. E=mc²とはどういう意味ですか?
A. 質量とエネルギーが等価であることを示す式。わずかな物質が、莫大なエネルギーに変わりうることを意味する。
まとめ
窓口業務の合間に、彼は宇宙の仕組みについて考えていた。肩書きも、立派な研究室もなかった。あったのは、当たり前を当たり前だと思わない、しつこさだけだ。最後まで追い続けた統一理論は、結局完成しなかった。それでも構わないのだろう。答えが出ないことも、科学の一部だ。
