《ライオン狩り》とは|ルーベンス晩年の狩猟画を徹底解説

《ライオン狩り》(独:Löwenjagd、1621年)は、フランドルのバロック期を代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスが油彩・キャンバスに描いた大作で、現在はミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。縦249cm×横377cmの画面には、馬上と徒歩の狩人たちが2頭のライオンに襲いかかる、あるいは逆に襲われる様子が渦を巻くように描き込まれています。ルーベンスが手がけた一連の狩猟画のなかでも最後にあたる作品であり、彼の造形力が最も円熟した時期の到達点とされます。

目次

《ライオン狩り》とは — 基本情報

項目内容
作者ピーテル・パウル・ルーベンス(1577〜1640)
制作年1621年
技法・素材油彩・カンヴァス
サイズ249×377cm
所蔵アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
原題Löwenjagd(独)/The Lion Hunt(英)
主題2頭のライオンと狩人たちの死闘

一言でいうと

《ライオン狩り》は、獲物としての動物ではなく人と猛獣の対等な死闘を描くことで、それまでの狩猟画の常識を塗り替えた作品です。狩人が優位に立つ勝利の場面ではなく、馬から振り落とされ牙にかかろうとする人間の姿を画面の中心に据えている点に、この絵の独自性があります。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

狩猟画という系譜のなかで

ルーベンスは1610年代後半から狩猟を主題とする作品を手がけています。同時代のフランドルでは、フランス・スナイデルスのような専門画家による狩猟画のジャンルが発展していましたが、これらは獲物の豊かさや猟の成果を見せる「記録」としての性格が強いものでした。これに対しルーベンスは、レオナルド・ダ・ヴィンチが手がけた壁画《アンギアーリの戦い》に見られる劇的な戦闘表現を狩猟という題材に持ち込みました。獲物を捕らえた結果ではなく、人と獣が生死を賭けて渡り合う「その瞬間」そのものを主題とする、新しい狩猟画を作り上げたのです。

イギリス大使からの依頼

1621年9月付けの手紙で、ルーベンスは「大作が完成した。すべて自分自身の手で制作した、これが一番いいことだ。ライオン狩りの絵である」と書き残しています。この記述が本作を指しているとすれば、ブリュッセル駐在のイギリス大使からの委嘱によって制作されたことになります。弟子任せにせず自らの筆で仕上げたと誇らしげに述べている点に、当時の彼が本作にどれほど力を注いでいたかがうかがえます。

見どころ徹底解説

構図 — 横倒しのS字が生む緊張感

人物と動物の身体は、空間のなかで横倒しのS字を描くように絡み合っています。馬が棹立ちになり、狩人の一人が長槍をライオンに突き立て、もう一人は剣を振りかざして斬りつけようとしています。ライオンに向かって扇状に集中する槍の配列は、単なる混乱ではなく計算された求心的な構図となっており、躍動感と統一感を同時に成立させています。

図像の典拠 — 過去の名作からの引用

甲冑をまとい剣を振り下ろす騎士の姿は、ルーベンスがイタリア滞在中に手がけた《聖ゲオルギウスと竜》(プラド美術館)の図像を転用したものです。ライオンの爪が馬の身体に食い込む描写は古代美術に由来するモティーフであり、暴れる馬の動きにはレオナルドの《アンギアーリの戦い》の影響が見られます。宗教画・古代彫刻・ルネサンスの戦闘図という異なる系統の視覚的記憶を組み合わせ、一つの説得力ある場面へとまとめ上げているところに、ルーベンスの手腕が表れています。

落馬する男 — 画面の焦点

画面の中心を占めているのは、ライオンに襲われて馬から振り落とされようとしている人物です。勝者ではなく命の危機にさらされている者を主役に据えている点は、当時の狩猟画としては異例といえます。この人物像は同館が所蔵する油彩の下絵にも描かれており、ルーベンスが構図のドラマの頂点をこの一人にどう凝縮させるか、特に強いこだわりを持って練り上げていったことがうかがえます。

来歴 — 制作から現在まで

本作は1621年、ブリュッセル駐在のイギリス大使の依頼で制作されたと推測されていますが、その後どのような経路でバイエルンの王室コレクションに収められたのかは文献ごとに記述が分かれており、確定的な来歴は断定できません。現在はアルテ・ピナコテークの所蔵作品としてミュンヘンで公開されており、同館が所蔵する《カバとワニ狩り》など他の狩猟画と併せて鑑賞できます。

評価と影響 — ドラクロワが受け継いだもの

ルーベンスの狩猟画は、200年以上後のフランス・ロマン主義を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワに大きな影響を与えました。ドラクロワはルーヴルでルーベンス作品を模写しながら自らの様式を築いた画家として知られ、うねるような筆致や渦を巻くような構図の組み立て方には、その学びが色濃く反映されています。1850年代にはドラクロワ自身も《ライオン狩り(Chasse aux lions)》と題する連作を制作しており、なかでも1855年のボルドー美術館版が最も記念碑的とされます(同作は1870年の火災で上半分が損傷)。その後もボストン美術館やシカゴ美術館に類似作が収蔵されており、人と猛獣が渾然一体となる構図や躍動する馬の描写など、ルーベンスの《ライオン狩り》が確立した表現は世代を超えて受け継がれました。

類似作品との比較

ルーベンス《ライオン狩り》スナイデルスの狩猟画ドラクロワ《ライオン狩り》連作
制作年代1621年17世紀前半1850年代
主眼人と猛獣の死闘そのもの狩りの成果・獲物人と猛獣が渾然一体となる混沌
構図の性格劇的だが求心的にまとまる動物群像が中心より流動的で色彩優先
参照元古代美術・レオナルド・自作《聖ゲオルギウスと竜》動物画の伝統ルーベンスの狩猟画

実際に見るには

本作はドイツ・ミュンヘンのアルテ・ピナコテークで常設展示されています。画面が非常に大きいため、実物では槍の穂先や馬の筋肉の描写、ライオンの爪が馬の胴体に食い込む部分まで克明に確認でき、印刷物では伝わりにくい迫力を体感できます。

よくある誤解

この絵は「ライオンを狩る人間の勇壮な勝利」を描いた作品だと誤解されがちですが、画面の中心にあるのはライオンに襲われ落馬する人物であり、勝敗はまだ決していません。タイトルから「狩猟の記録画」も連想されがちですが、ルーベンスの関心は狩りの成果ではなく、人と猛獣が拮抗する瞬間の劇性そのものにありました。

FAQ

Q. 《ライオン狩り》は何頭のライオンが描かれていますか?
画面には2頭のライオンが描かれており、複数の狩人がそれぞれ異なる角度から攻撃を仕掛けています。

Q. ルーベンスは実際にライオン狩りを見たことがあるのですか?
本人が狩りに同行した記録は確認されておらず、古代美術や過去の巨匠作品のモティーフを組み合わせて構成したと考えられています。

Q. この作品はルーベンス一人の手によるものですか?
1621年の手紙で本人が「すべて自分自身の手で制作した」と述べており、工房任せではなく本人主体で仕上げたとされています。

Q. 同じ主題の作品は他にもありますか?
《カバとワニ狩り》《イノシシ狩り》《狼と狐狩り》など、1610年代後半から複数の狩猟画を手がけています。

Q. なぜドラクロワと結び付けて語られるのですか?
ドラクロワが19世紀半ばに手がけた《ライオン狩り》連作の劇的な構図や人と猛獣の絡み合いが、ルーベンスの狩猟画から着想を得たとされているためです。

まとめ

《ライオン狩り》は、狩りの勝利を誇示する絵ではなく、人間が猛獣と拮抗し、時に劣勢に立たされる瞬間を切り取った作品です。過去の名作からモティーフを引用しながらも一つの渦のような構図にまとめ上げたところに円熟期のルーベンスの手腕が集約されており、その表現は200年の時を経てドラクロワに受け継がれ、ロマン主義絵画の一つの源流となりました。

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