雷鳴が轟き、遠くの火山が不気味に赤く煙る夜。木の下に座り込む一人の女性の背後には、亡き夫のものだったらしい弓矢と武器が吊るされています。《インディアンの寡婦》(1783〜84年)は、イギリスの画家ジョセフ・ライト・オブ・ダービーによる油彩画で、正式な題は《亡き夫の武具を見つめるインディアン酋長の寡婦》といいます。現在はダービー美術館が所蔵しています。画家自身が「これほど誰からも好まれた絵はない」と語ったにもかかわらず、生前は一度も買い手がつかなかったという、皮肉な運命を背負った一枚です。
基本情報
作者:ジョセフ・ライト・オブ・ダービー(1734〜1797)
制作年:1783年末〜1784年初め
初公開:1785年、ロンドンでの個展
技法・素材:油彩・カンヴァス
サイズ:約101.6×127cm
所蔵:ダービー美術館(イギリス)
正式題名:The Widow of an Indian Chief watching the Arms of her deceased Husband
一言でいうと
《インディアンの寡婦》は、亡き夫の武具が吊るされた木の下に座り込む、先住民の酋長の未亡人を描いた作品です。荒れ狂う雷雲と火山の噴煙が彼女を取り囲み、その心の内に渦巻く動揺を、自然そのものが映し出しているかのように演出されています。
制作背景
ライトは生涯を通じて、光と闇の劇的な対比を得意とした画家として知られ、蝋燭の光を用いた作品や、科学と啓蒙をテーマにした絵で名を馳せました。1773年から75年にかけてのイタリア旅行中、彼はナポリ湾を訪れ、ヴェスヴィオ山を主題にした絵を生涯で30点以上も手がけています。この《インディアンの寡婦》に描かれた噴煙を上げる火山も、実際に大噴火を目撃したわけではないものの、こうしたナポリでの体験に着想を得たものだと考えられています。
一方でライト自身はアメリカ大陸を訪れたことがなく、画面に描かれた先住民の道具の細部の正確さは、他の視覚資料を参考にしたものと見られています。ライトは1784年に書いた手紙の中で「これほど誰からも普遍的に好まれた絵を描いたことはない」と綴っていますが、実際にはこの絵は買い手がつかないまま、1797年に彼が亡くなるまで手元に残り続けました。
見どころ

吊るされた武具
木の枝には、弓矢や斧といった、亡き夫のものだったとおぼしき武具が下げられています。彼女はそれを見つめながら座っており、この視線の先にあるものが、絵全体の物語を静かに語っています。
荒れ狂う自然との呼応
画面左手には稲妻が走る暗い雲が広がり、遠景には赤く煙る火山が描かれています。この荒々しい自然の描写は、単なる背景ではなく、女性の胸の内に渦巻く悲しみと動揺を映し出す装置として機能しています。
単純な悲しみを超えた読み方
この絵は、酋長を失った寡婦の哀悼という、一見すると分かりやすい物語として見ることができます。しかし研究者の間では、当時のイギリスがアメリカ独立戦争の余波の中にあったことを踏まえ、この絵に同時代の政治的な出来事への言及が込められていたのではないかという見方も示されています。ライトの周辺には、ベンジャミン・フランクリンと親交のあった人物や、独立戦争後の王党派イギリス人への補償問題に関わった政治家もおり、当時の話題と無縁ではなかったと考えられています。
評価と受容
この絵は1785年、ライトがロンドンで開いた個展で初めて公開されました。同じ展覧会には、ミルトンの詩に登場する女性の不屈の精神を描いた対をなす作品《ミルトンのコーマスにおける貴婦人》も展示されており、この個展はイギリスにおける最初期の「個展」の一つだったとも言われています。ライトはちょうどこの年、ロイヤル・アカデミー会員への就任を辞退してもおり、独立した立場で自らの作品を発表しようとする姿勢がうかがえます。この絵をもとにした版画は、1785年にジョン・ラファエル・スミスの手によって制作されており、よく似た構図の複製画も存在しましたが、そちらは火災によって失われています。
よくある誤解
誤解①「この絵はライトが実際にアメリカで見た光景をもとにしている」→ 実際はライトは一度もアメリカ大陸を訪れていない
先住民の道具の描写が細やかなことから、実地での観察に基づくと思われがちですが、実際にはライトはアメリカを訪れたことがなく、他の資料を参考にしながらこの絵を組み立てたと考えられています。
誤解②「この絵は発表当初から高く評価され、すぐに買い手がついた」→ 実際は画家の生前、一度も売れなかった
画家自身が「誰からも好まれた」と語ったことから、すぐに評価され売却されたと思われがちですが、実際にはこの絵はライトが1797年に亡くなるまで、買い手がつかないまま手元に残り続けていました。
FAQ
Q. 《インディアンの寡婦》とはどんな作品ですか?
A. ライトが1783年から84年にかけて手がけた油彩画で、亡き夫の武具を見つめる先住民の未亡人を、雷雲と火山を背景に描いています。ダービー美術館が所蔵しています。
Q. なぜこの絵には火山や雷雲が描かれているのですか?
A. ライトがイタリア旅行中にナポリ湾のヴェスヴィオ山を繰り返し描いていた経験が反映されているとされ、荒れ狂う自然が女性の心の動揺を映し出す役割を果たしています。
Q. この絵にはどんな別の解釈がありますか?
A. 単純な哀悼の場面として見る解釈のほかに、当時のアメリカ独立戦争をめぐる政治的な状況への言及が込められていたのではないかという見方も示されています。
Q. 《インディアンの寡婦》はどこで見られますか?
A. イギリスのダービー美術館が所蔵しています。
まとめ
「誰からも好まれた」と自負しながら、ついに買い手を見つけられなかったこの絵は、評判と実際の評価とがすれ違うこともあるという、美術の世界の一面をそのまま体現しているようです。荒れ狂う自然を背に一人座り続ける寡婦の姿は、240年近く経った今も、当時の観客が抱いた称賛と、市場が示した沈黙との落差を静かに物語っています。
