1939年9月1日の明け方、ドイツ軍がポーランド国境を越えた。この一つの侵攻が、その後6年にわたって世界中を巻き込み、6000万人から8000万人もの命を奪うことになる、人類史上最悪の戦争の始まりだった。この記事では、この戦争がどのように広がり、どのように終わったのかを見ていく。
定義
第二次世界大戦とは、1939年から1945年まで、世界50か国以上を巻き込んで戦われた、人類史上最大かつ最も犠牲者の多い戦争を指す。ドイツ・イタリア・日本を中心とする枢軸国と、イギリス・フランス・アメリカ・ソビエト連邦を中心とする連合国との間で戦われ、最終的には人類史上初めて実戦で使用された核兵器によって、その終結を迎えた。
具体例
この戦争の展開は、以下のような具体的な出来事からうかがえる。
- 1939年9月1日、ドイツがポーランドへ侵攻し、同月3日にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告した
- 1941年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲し、アメリカが参戦した
- 1944年6月6日、連合軍がノルマンディー上陸作戦(Dデイ)を敢行した
- 1945年8月6日と9日、アメリカがそれぞれ広島と長崎に原子爆弾を投下した
背景
この戦争の背景には、第一次世界大戦後に残された未解決の緊張と、1929年に始まった世界恐慌による経済的な混乱があった。ドイツでは、ヴェルサイユ条約への不満と経済的な困窮を背景にナチス政権が台頭し、イタリアではムッソリーニのファシスト政権が、日本では軍国主義的な勢力が、それぞれ勢力を拡大していく。1936年のラインラント再武装、1938年のオーストリア併合とミュンヘン会談、そして1939年8月の独ソ不可侵条約の締結を経て、ヨーロッパの緊張はついに戦争へと転じることになった。
展開
電撃戦とヨーロッパの陥落
1939年9月1日、ドイツはポーランドへの侵攻を開始し、圧倒的な機動力を誇る「電撃戦」によって短期間でこれを制圧した。2日後、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、戦争は正式に始まる。翌1940年、ドイツはオランダ・ベルギー・フランスへと侵攻を続け、フランスは短期間で降伏した。同年夏から秋にかけての「バトル・オブ・ブリテン」では、ドイツ空軍とイギリス空軍が史上初めて航空戦力のみによる大規模な戦闘を繰り広げ、イギリスはこれを退けている。
独ソ戦と太平洋戦争の勃発
1941年6月、ドイツは独ソ不可侵条約を破り、ソビエト連邦への侵攻(バルバロッサ作戦)を開始した。同年12月7日には、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲し、これによってアメリカが正式に参戦する。こうして戦争は、ヨーロッパと太平洋という2つの主要な戦域を持つ、真に世界規模の紛争へと拡大していった。
戦局の転換
1942年から43年にかけてのスターリングラードの戦いは、ドイツ軍にとって決定的な敗北となり、東部戦線での戦局を転換させる契機となった。太平洋戦域でも、1942年のミッドウェー海戦での勝利を経て、アメリカは徐々に日本軍への反攻を強めていく。1944年6月6日、連合軍はノルマンディーへの大規模な上陸作戦(Dデイ)を敢行し、西ヨーロッパの解放を本格化させた。
終結
1945年5月、ソ連軍によるベルリン陥落を経て、ドイツは無条件降伏した。しかし太平洋戦域では、日本の抵抗が依然として続いていた。同年8月6日、アメリカは広島に人類史上初めて実戦で使用される原子爆弾を投下し、推定7万人から14万人が犠牲になったとされる。3日後の8月9日には長崎にも原子爆弾が投下され、さらに6万人から8万人が命を落とした。同日、ソ連も日本占領下の満州へ侵攻を開始する。8月15日、昭和天皇は「新型にして最も残虐なる爆弾」の存在に言及しながら、日本の降伏を発表し、9月2日、東京湾に停泊した戦艦ミズーリ艦上で正式な降伏文書が調印され、戦争は終結した。
現代への影響
第二次世界大戦は、6000万人から8000万人という、人類史上類を見ない規模の犠牲者を出した。この中には、ナチス・ドイツによって組織的に殺害された600万人のユダヤ人をはじめとする、ホロコーストの犠牲者も含まれている。戦後、この戦争の反省から国際連合が設立され、核兵器の存在は国際政治のあり方を根本から変えることになった。広島と長崎への原爆投下は、その後の核軍拡競争と冷戦構造の出発点ともなり、今日まで続く核兵器をめぐる国際的な議論の原点であり続けている。
よくある誤解
誤解①「第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻という単一の出来事だけで説明できる」→ 実際は複数の地域紛争が複合的に絡み合って拡大した
ヨーロッパでの開戦だけに注目が集まりがちだが、実際にはこの戦争は、日本による中国への侵略(1937年から)や、独ソ戦、そして日米開戦といった、複数の地域で進行していた紛争が複合的に絡み合い、最終的に一つの世界大戦へと統合されていったものである。
誤解②「原爆投下によって戦争は即座に終わった」→ 実際は投下後も降伏までに数日を要し、ソ連参戦も大きな要因だった
原爆投下が即座に降伏を引き出したように思われがちだが、実際には広島への投下から降伏発表まで9日間を要しており、この間にはソ連の対日参戦という要因も重なっている。歴史家の間では、原爆投下とソ連参戦のどちらがより決定的な要因だったかについて、今日でも議論が続いている。
FAQ
Q. 第二次世界大戦とはどんな戦争ですか?
A. 1939年から1945年まで、世界50か国以上を巻き込んで戦われた、人類史上最大の戦争です。枢軸国と連合国の間で戦われ、6000万人から8000万人もの犠牲者を出しました。
Q. なぜ第二次世界大戦は始まったのですか?
A. 第一次世界大戦後の未解決の緊張と世界恐慌による経済的混乱を背景に、ドイツ・イタリア・日本で拡張主義的な政権が台頭し、1939年のドイツによるポーランド侵攻が直接のきっかけとなりました。
Q. 原子爆弾はなぜ日本に投下されたのですか?
A. 日本本土への地上侵攻による莫大な犠牲者数を避けるための手段として検討され、最終的にポツダム宣言への日本の対応が不十分だったことを受けて、投下が実行されました。
Q. 第二次世界大戦はどのように終わったのですか?
A. 1945年5月にドイツが無条件降伏し、同年8月の広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦を経て、日本が8月15日に降伏を発表、9月2日の正式な降伏文書調印をもって終結しました。
まとめ
一つの国境侵犯から始まった戦争は、わずか数年のうちに、世界中の大陸と海を巻き込む規模へと膨れ上がった。ヨーロッパの電撃戦から太平洋の島々での死闘、そして人類が初めて手にした核兵器の使用まで、この戦争が示したのは、技術の進歩が破壊の規模をどこまで押し広げうるかという、恐るべき事実だった。6000万を超える犠牲者という数字は、今もなお、戦争というものが人類に何をもたらしうるかを、静かに、しかし雄弁に語り続けている。
