百年戦争とは|116年に及んだ英仏抗争とジャンヌ・ダルクの奇跡を徹底解説

「百年」という名前がついているのに、実際には116年も続いた戦争がある。イングランド王とフランス王という、遠い親戚同士の王位をめぐる争いは、幾度もの休戦と再開を繰り返しながら、14世紀から15世紀にかけてのヨーロッパを揺るがし続けた。そしてこの長い戦争の後半、一人の農家の娘が戦局をひっくり返してしまう。この記事では、百年戦争の全体像と、ジャンヌ・ダルクが果たした役割を見ていく。

目次

定義

百年戦争とは、1337年から1453年まで、実に116年にわたって断続的に続いた、イングランド王国とフランス王国の間の戦争を指す。フランスの王位継承権とガスコーニュ地方の領有をめぐる対立に端を発し、複数の休戦期間を挟みながら数世代にわたって続いたこの戦争は、19世紀の歴史家によって「百年戦争」と名付けられた。最終的にはフランス側の勝利に終わり、イングランドは大陸に持っていた領土のほとんどを失うことになった。

具体例

この長い戦争の展開は、以下のような具体的な出来事の連なりとしてたどることができる。

  • 1337年、フランス王フィリップ6世がガスコーニュ地方の没収を命じたことをきっかけに戦争が始まった
  • 1415年、イングランド王ヘンリー5世がアジャンクールの戦いで、数の上で劣勢だったにもかかわらずフランス軍に大勝した
  • 1429年、ジャンヌ・ダルクがオルレアンの包囲を解き、同年シャルル7世をランスで戴冠させた
  • 1453年、カスティヨンの戦いを経てイングランドがガスコーニュから追放され、戦争が終結した

背景

対立の根本には、複雑に絡み合った王家の血縁関係があった。イングランド王エドワード3世は、母方を通じてフランス王家の血を引いており、フランス王位継承権を主張できる立場にあった。一方、フランス側の貴族たちは、王位は男系の血筋のみに継承されるべきだとする「サリカ法」を根拠に、この主張を退けようとしていた。1337年、フランス王フィリップ6世が、イングランド王が大陸に保持していたガスコーニュ地方の没収を命じたことで、両者の緊張は戦争へと発展する。

展開

エドワード朝の戦争と初期の大勝

戦争前半、イングランド軍は長弓兵を巧みに活用し、数的に優位なフランス軍相手に、1346年のクレシーの戦いや1356年のポワティエの戦いで、立て続けに大きな勝利を収めた。しかしその後、フランス王シャルル5世の治世下で、フランスは失った領土の多くを着実に取り戻していく。

アジャンクールの戦いとランカスター朝の攻勢

14世紀末にはいったん和平の時期が訪れたが、1415年、イングランド王ヘンリー5世が戦争を再開させる。同年10月25日のアジャンクールの戦いでは、ぬかるんだ地形も味方につけたイングランドの長弓兵が、数で圧倒的に優勢だったフランス軍に壊滅的な打撃を与えた。この勝利を足がかりにヘンリー5世はノルマンディーを征服し、1420年のトロワ条約によって、自らをフランス王位の継承者とする地位を手に入れる。この時期、イングランドは大陸における支配領域を最大限にまで広げていた。

ジャンヌ・ダルクの登場

戦況が絶望的に見えたフランスに、思いがけない転機が訪れる。1412年、ロレーヌ地方の農家の娘として生まれたジャンヌ・ダルクは、13歳の頃から神の声を聞いたと主張するようになり、フランス王太子(後のシャルル7世)を正統な王位に就けるという使命を託されていると信じるようになった。彼女は王太子を説得して軍を率いる許可を得ると、1429年、包囲されていたオルレアンの解放に成功する。この勝利をきっかけに、彼女はさらに軍を率いてランスへの道を切り開き、同年7月17日、シャルル7世をランス大聖堂で正式に戴冠させることに成功した。

しかしこの快進撃も長くは続かなかった。同年9月のパリ攻略には失敗し、1430年5月、コンピエーニュでブルゴーニュ派の軍勢に捕らえられてしまう。ブルゴーニュ側は彼女をイングランド側に引き渡し、1431年、イングランドの影響下にあった教会法廷は、彼女を異端とウィッチクラフトの罪で裁いた。同年5月30日、19歳のジャンヌはルーアンの広場で火刑に処された。彼女の名誉は死後25年を経た1456年、シャルル7世の命による再審によってようやく回復され、1920年には正式に列聖されている。

フランスの巻き返しと戦争の終結

ジャンヌの死後も、彼女がもたらした士気の高まりはフランス軍を後押しし続けた。1450年のフォルミニーの戦いでノルマンディーを奪還し、1453年のカスティヨンの戦いを最後に、イングランドは大陸領土のほとんどを失う。この年、イングランド軍がガスコーニュ最後の拠点ボルドーから追放されたことをもって、116年に及んだこの戦争は事実上の終わりを迎えた。イングランドが大陸に保持し続けたのは、カレー周辺のわずかな地域だけだった。

現代への影響

百年戦争は、両国それぞれの国家的アイデンティティの形成に大きな影響を与えたとされる。フランスでは、この戦争を通じてより中央集権的な王権と国民意識が育まれ、ジャンヌ・ダルクは今日でもフランスの国民的英雄として、そして正教会の聖人として広く尊敬され続けている。イングランド側でも、この戦争は騎士道文学や国民意識の形成に影響を与え、長弓兵の活躍は今日でも英雄的な逸話として語り継がれている。

よくある誤解

誤解①「百年戦争は文字通り100年間、絶え間なく続いた戦争だった」→ 実際は116年間にわたる断続的な紛争だった

「百年戦争」という名前から、100年間ノンストップで戦闘が続いたと思われがちだが、実際には合計116年に及び、その間には数十年に及ぶ休戦期間や和平の時期も含まれていた。「百年戦争」という呼称自体、当時の人々が使っていたものではなく、19世紀の歴史家が後から名付けたものである。

誤解②「ジャンヌ・ダルクは単独で戦争全体を勝利に導いた」→ 実際は戦局を好転させるきっかけを作った人物だった

ジャンヌ・ダルクの活躍があまりに劇的なため、彼女一人が戦争全体を終わらせたかのように思われがちだが、実際には彼女が処刑された1431年の時点で戦争はまだ終わっておらず、その後も約20年にわたって戦闘が続いた。彼女の功績は、オルレアンの解放とシャルル7世の戴冠を通じて、フランス側の士気と正統性を決定的に押し上げた点にある。

FAQ

Q. 百年戦争とはどんな戦争ですか?
A. 1337年から1453年まで、116年にわたって断続的に続いた、イングランドとフランスの王位継承権をめぐる戦争です。最終的にフランス側が勝利し、イングランドは大陸の領土のほとんどを失いました。

Q. なぜ「百年戦争」という名前なのに116年も続いたのですか?
A. この呼称は当時のものではなく、19世紀の歴史家が後から名付けたもので、実際の戦争は複数の休戦期間を挟みながら116年にわたって断続的に続きました。

Q. ジャンヌ・ダルクはどんな人物ですか?
A. ロレーヌ地方の農家に生まれ、神の声を聞いたと主張してフランス軍を率い、1429年にオルレアンを解放してシャルル7世を戴冠させた人物です。翌年捕らえられ、1431年、19歳で異端の罪により火刑に処されました。

Q. 百年戦争はどのように終わったのですか?
A. 1453年、カスティヨンの戦いを経てイングランド軍がガスコーニュ最後の拠点ボルドーから追放され、大陸の領土のほとんどを失ったことで、戦争は事実上終結しました。

まとめ

王家の血縁関係をめぐる対立から始まった百年戦争は、長弓兵の活躍による初期のイングランド優位から、一人の農家の娘の出現によって流れが変わり、最終的にフランスの勝利という形で幕を閉じた。ジャンヌ・ダルクは戦争の終わりを見ることなく火刑台の露と消えたが、彼女が生み出した希望と正統性は、彼女の死後もフランス軍を支え続けた。一人の人間が歴史の流れを変えるとき、その本人がその結末を見届けられるとは限らない。

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