《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》(1907年)は、オーストリアの画家グスタフ・クリムトによる油彩画で、ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵する作品です。金箔と銀箔を贅沢に用い、幾何学模様や無数の眼で埋め尽くされた衣装をまとう女性を描いたこの絵は、ナチスによって略奪され、本来の題名すら奪われたまま数十年もの間展示され続けた末に、遺族のもとへと返還されるという、劇的な運命をたどった名画です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | グスタフ・クリムト(1862〜1918) |
| 制作年 | 1907年(1903〜1907年、約4年かけて制作) |
| 技法・素材 | 油彩・銀箔・金箔・カンヴァス |
| サイズ | 140×140cm |
| 所蔵 | ノイエ・ギャラリー(ニューヨーク) |
| モデル | アデーレ・ブロッホ=バウアー(ウィーンの社交界の名士) |
| 依頼主 | フェルディナント・ブロッホ=バウアー(アデーレの夫、銀行家・製糖業者) |
| 通称 | 「黄金の貴婦人」(ウーマン・イン・ゴールド) |
一言でいうと
《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》は、クリムトが「黄金様式」の頂点で完成させた、金箔と銀箔で覆われた幻惑的な肖像画でありながら、ナチスによって略奪された後、本来のモデルの名を隠すために「黄金の貴婦人」という別の題名を与えられたまま長年展示され続け、遺族による返還請求がアメリカ最高裁にまで及ぶ末に、ついに正当な持ち主のもとへ戻された、数奇な運命の作品である。
制作背景
モデルとなったアデーレ・ブロッホ=バウアーは、20世紀初頭のウィーンで著名なサロンを主催した社交界の名士であり、芸術のパトロンでもありました。彼女のサロンには、作曲家グスタフ・マーラー、作家シュテファン・ツヴァイク、ジャーナリストのベルタ・ツッカーカンドルといった、当時を代表する文化人たちが集っていたとされています。この肖像画は、アデーレの夫であり、ウィーンの銀行家・製糖業者だったフェルディナント・ブロッホ=バウアーの依頼によって制作されました。
クリムトはこの絵を、ビザンティン美術のモザイクから着想を得た「黄金様式」と呼ばれる時期に手がけており、完成までにおよそ4年もの歳月を費やしています。アデーレは、クリムトが全身像として二度肖像画を描いた唯一の人物とされており(《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像II》1912年、現在は中国の個人蔵)、さらに1901年の《ユディト》のモデルもアデーレだったのではないかとする説もあり、二人の間には単なる画家とモデル以上の深い結びつきがあったのではないかと、しばしば議論されてきました。
見どころ

構図:金色に輝く抽象的な背景の中に、アデーレが上品な姿勢で座り、その豊かな衣装は幾何学模様や無数の眼のようなモチーフで覆い尽くされています。これらの図像は、繁栄や守護、生命の循環を象徴するとも解釈されていますが、明確な意味は確定していません。
技法:油彩に加えて、銀箔と金箔を贅沢に使用したこの絵は、クリムトの「黄金様式」を代表する到達点の一枚です。平面的で装飾的なパターンと、写実的に描かれたアデーレの顔や手とのコントラストが、絵全体に独特の緊張感と幻惑的な輝きを与えています。
来歴
1938年、ナチス・ドイツによるオーストリア併合の後、ブロッホ=バウアー家が所有していた5点のクリムト作品(この絵を含む)はナチスによって没収され、フェルディナントはオーストリアを追われて亡命しました。その後この絵は、ウィーンのオーストリア絵画館(ベルヴェデーレ宮殿)で数十年にわたり展示され続けましたが、その間、モデルであるアデーレのユダヤ系としての出自を隠すために、「黄金の貴婦人(ウーマン・イン・ゴールド)」という別の題名で呼ばれ続けていました。
フェルディナントの姪であり、ロサンゼルスへ亡命していたマリア・アルトマンは、長年にわたりこの絵をはじめとする一族の財産の返還を求めて闘い続けました。1998年にオーストリアで美術品返還法が制定されたことを契機に、2000年にはオーストリア共和国を相手取って提訴し、この裁判はアメリカ合衆国最高裁判所にまで及ぶ国際的な注目を集める事件となります。2005年から2006年にかけて、仲裁パネルはついに遺族の主張を認め、この絵を含むクリムト作品はアルトマン家へと返還されました。返還後、この絵はノイエ・ギャラリーの共同創設者ロナルド・ローダーによって、当時としては破格の1億3500万ドルで購入され、現在はニューヨークのノイエ・ギャラリーに常設展示されています。この一連の出来事は、2015年公開の映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』としても映画化されました。
よくある誤解
誤解①「『黄金の貴婦人』が本来の正式なタイトルである」→ 実際はモデルの出自を隠すために付けられた別名である
広く知られた通称から、「黄金の貴婦人(ウーマン・イン・ゴールド)」が本来の題名だと思われがちですが、実際にはこの呼び名は、ナチス統治下からオーストリア絵画館での展示時代にかけて、モデルであるアデーレのユダヤ系としての出自を隠すために用いられた別名であり、本来の正式な題名は《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》です。
誤解②「クリムトがアデーレを描いた肖像画はこの一枚だけである」→ 実際は全身像として二度描かれた唯一の人物である
この絵の強い印象から、クリムトが手がけたアデーレの肖像画はこの一枚だけだと思われがちですが、実際にはアデーレは、クリムトが全身像として二度肖像画を描いた唯一の人物とされ、1912年には《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像II》も制作されているほか、1901年の《ユディト》のモデルだったとする説もあります。
FAQ
Q. 《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》とはどんな作品ですか?
A. クリムトが1907年に完成させた油彩画で、ウィーンの社交界の名士アデーレ・ブロッホ=バウアーを、金箔と銀箔で埋め尽くされた幻惑的な衣装とともに描いています。ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵しています。
Q. なぜこの絵はナチスに奪われたのですか?
A. 1938年のオーストリア併合の後、モデルの一族がユダヤ系であったことから、所有していた美術品がナチスによって没収されたためです。
Q. この絵はどのようにして遺族のもとへ戻ったのですか?
A. フェルディナントの姪マリア・アルトマンが長年にわたり返還を求めて闘い続け、裁判はアメリカ最高裁にまで及んだ末、2006年に正式に遺族へ返還されました。
Q. 《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》はどこで見られますか?
A. アメリカ・ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵しています。
まとめ
《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》は、クリムトが「黄金様式」の頂点で完成させた、金箔と銀箔で覆われた幻惑的な肖像画でありながら、ナチスによって略奪された後、本来のモデルの名を隠すために「黄金の貴婦人」という別の題名を与えられたまま長年展示され続け、遺族による返還請求がアメリカ最高裁にまで及ぶ末に、ついに正当な持ち主のもとへ戻された、数奇な運命の作品です。返還が実現した2006年、この絵は当時の絵画としては史上最高額でオークションにかけられましたが、それでもなお、失われていた数十年を埋め合わせるには足りなかったのかもしれません。

