真っ白なカンヴァスの上に、ほんのわずかに温かみを帯びた白の正方形が、斜めに傾いて浮かんでいます。輪郭は曖昧で、目を凝らさなければその存在すら見失ってしまいそうです。《白の上の白(シュプレマティスム構成:白の上の白)》(1918年)は、ロシアの画家カジミール・マレーヴィチによる油彩画で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。絵画から色彩という最後の要素までも取り除こうとした、シュプレマティスム(至上主義)の到達点を示す一枚です。
基本情報
作者:カジミール・マレーヴィチ(1879〜1935)
制作年:1918年
技法・素材:油彩・カンヴァス
サイズ:約79.4×79.4cm
所蔵:ニューヨーク近代美術館(MoMA)
様式:シュプレマティスム(至上主義)
関連作品:《黒の正方形》《赤の正方形》とともに、マレーヴィチの三つの代表的な正方形連作を構成
一言でいうと
《白の上の白》は、わずかに色調の異なる白い正方形を、白い地の上に斜めに配置しただけの作品です。マレーヴィチはこの絵によって、絵画から奥行きや量感の錯覚をなくすだけでなく、それまで絵画にとって最後の必須要素だと考えられていた「色彩」そのものまでをも取り払おうとしました。
制作背景
マレーヴィチはシュプレマティスムという自らの理論に、「絵画芸術における純粋な感覚・知覚の至上性」という意味を込めていました。彼にとって純粋な知覚とは、絵の形態が自然界のいかなるものとも一切関わりを持たないことを意味していました。この絵が描かれたのは、ロシア十月革命の翌年にあたる1918年です。マレーヴィチは革命に対して楽観的な見方を抱いており、新たに得られた自由が、物質主義が精神の自由をも許容するような新しい社会への扉を開くと考えていたと伝えられています。
彼はまた航空写真の研究も行っており、この絵に描かれた傾いた正方形は、カンヴァスの上空に浮遊しているかのような錯覚を生み出す試みでもありました。1919年、モスクワで初めてこの連作が公開された際に添えられた宣言文の中で、マレーヴィチは「私は色彩の空の裏地を乗り越えた……白い自由な深淵を泳げ、無限は目の前にある」と記しています。
見どころ

色彩を手放した絵画
この絵の最大の特徴は、奥行きや量感の錯覚を排するだけでなく、色彩そのものをほとんど取り払ってしまった点にあります。残されているのは、地よりもわずかに温かみを帯びた白の正方形という、ほとんど識別できないほどの差異だけです。
傾きが生む浮遊感
正方形は画面の中心からずれ、わずかに傾いた状態で配置されています。この斜めの位置取りによって、静止しているはずの図形に、あたかも動いているかのような錯覚が生まれています。
筆致が語る物質性
一見すると均一な白い画面に見えますが、実際には豊かな質感を持つ表面と、繊細な筆致がはっきりと見て取れます。この物質的な手触りの強調こそが、絵画という媒体そのものを根底から作り直そうとする、マレーヴィチの野心を物語っています。
評価と受容
《白の上の白》は、絵画が自らの外にある現実を一切参照する必要がないこと、そして純粋に幾何学的な形態だけでも、運動や無限の空間という錯覚を生み出せることを示した、最初期の作品の一つとされています。ポーランドの彫刻家カタジナ・コブロは、1920年代初めにロシアでマレーヴィチと交流を持ち、自らの彫刻がこの絵から着想を得たことを認めており、空間における重さと質量の配分という問題を、マレーヴィチがこの絵を通じて提起したのだと語っています。
この絵の来歴も波乱に満ちています。マレーヴィチは1927年、この作品をベルリンでの大規模な展覧会に持ち込みましたが、レニングラードへ帰国する際、建築家フーゴ・ヘーリングに預けたまま持ち帰りませんでした。1930年、ヘーリングはこれをハノーファーの州立美術館館長アレクサンダー・ドルナーに引き渡し、1933年にナチスが政権を握ると、ドルナーはこの絵を保管庫にしまい込みました。マレーヴィチは絵の返還を求めることなく、1935年、遺産の扱いについて何の指示も残さないまま世を去っています。同じ年、この絵はニューヨーク近代美術館の初代館長アルフレッド・バーによって購入され、館内で展示された後、1963年に正式に同館のコレクションに加えられました。
よくある誤解
誤解①「この絵はただの白い画面で、何も描かれていない」→ 実際は色調の異なる二つの白が対比されている
遠目には無地の画布に見えることから、何も描かれていないと思われがちですが、実際には正方形とその背景の間には、微妙ながら確かな色調の違いがあり、その対比を丹念に見ることがこの絵を鑑賞する上での前提になります。
誤解②「この絵は制作後すぐにマレーヴィチの手元からアメリカへ渡った」→ 実際はドイツで保管されたまま複雑な経緯をたどっている
アメリカの美術館に収まっていることから、単純な経路で渡ったと思われがちですが、実際にはベルリンでの展示後、複数の人物の手を転々とし、ナチス政権下での保管を経て、ようやくニューヨーク近代美術館に落ち着くという、波乱に満ちた経緯をたどっています。
FAQ
Q. 《白の上の白》とはどんな作品ですか?
A. マレーヴィチが1918年に手がけた油彩画で、白い地の上に、わずかに色調の異なる白い正方形を斜めに配置しています。ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。
Q. なぜマレーヴィチは色彩を排除しようとしたのですか?
A. 絵画が自然界の事物を模倣することをやめ、純粋な知覚や感覚だけを追求すべきだという、シュプレマティスムの理論を突き詰めた結果、色彩という要素そのものを最小限に抑えることになりました。
Q. この絵はどのようにしてMoMAの所蔵品になったのですか?
A. マレーヴィチが1927年にベルリンへ持ち込んだ後、複数の人物の手を経てドイツで保管され、1935年にMoMA初代館長アルフレッド・バーが購入し、1963年に正式に同館の所蔵品となりました。
Q. 《白の上の白》はどこで見られますか?
A. アメリカ・ニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。
まとめ
奥行きも量感も、そして最後には色彩までも手放したこの一枚は、絵画に何が残りうるのかという問いへの、マレーヴィチなりの答えでした。ナチス政権下の保管庫に眠っていたこの絵が、結局は大西洋を越えてニューヨークにたどり着いたという経緯を思うと、白い正方形の静けさの裏に、思いのほか波乱に満ちた旅路が隠されていたことが分かります。
