印象派とは?誕生の背景・特徴・代表画家をわかりやすく解説

目次

印象派とは何か

印象派(いんしょうは、仏:Impressionnisme)とは、1860年代から1880年代にかけてフランス・パリを中心に展開した絵画運動、およびその様式を指します。それまでのアカデミックな美術が重視した歴史画や神話画、細密な仕上げから離れ、日常の風景や都市生活を題材に、光と色彩がもたらす「一瞬の視覚的印象」をキャンバスに定着させようとした点に最大の特徴があります。

「印象派」という名称は、当初は批判の言葉でした。1874年、モネやルノワールら若手画家たちがパリで開いたグループ展(第1回印象派展)に出品されたクロード・モネの《印象、日の出》(1872年)を見た批評家ルイ・ルロワが、風刺新聞で「印象しか描かれていない」と揶揄したことが語源とされています。しかし画家たち自身がこの呼び名をやがて受け入れ、美術史上もっとも広く知られる流派の名称となりました。

モネ《印象、日の出》

印象派が生まれた時代背景

印象派の誕生は、単なる様式の変化ではなく、19世紀フランスの社会と技術の変化と深く結びついています。

サロン(官展)への反発

当時のフランスでは、国家が主催する公募展「サロン」に入選することが画家として成功する事実上唯一の道でした。サロンの審査は保守的で、神話・歴史・宗教を主題とする理想化された絵画が評価される一方、身近な風景や現代生活を描く若い画家たちは落選を繰り返しました。こうした状況への不満が、審査のない自主的なグループ展という形で結実したのが印象派展です。印象派展は1874年から1886年まで、計8回開催されました。

チューブ絵具と鉄道の普及

19世紀半ばに金属チューブ入りの絵具が実用化されたことで、画家はアトリエの外へ絵具を持ち出せるようになりました。同時期に鉄道網が発達し、パリ近郊のセーヌ河畔やノルマンディーの海岸へ日帰りで出かけられるようになったことも、戸外制作(プレネール)を主軸とする印象派の実践を支えました。

写真の登場

1839年に発表された写真術は、「現実をそのまま写す」という役割を絵画から奪いつつありました。これにより画家たちは、写真には写らないもの——移ろう光、大気の震え、主観的な色彩感覚——を描くことへ向かったと考えられています。

印象派の特徴:技法と表現

印象派の絵画には、次のような共通する特徴が見られます。

ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

筆触分割(色彩分割)

絵具をパレット上で混ぜて中間色を作るのではなく、純度の高い色を小さなタッチで並置し、鑑賞者の目の中で色が混ざり合う効果(視覚混合)を狙う技法です。これにより画面は従来の絵画よりも明るく、震えるような光の感覚をたたえるようになりました。

戸外制作(プレネール)

アトリエでの構想画ではなく、実際に屋外にイーゼルを立て、目の前の光景をその場で描くことを重視しました。モネが同じ積みわらやルーアン大聖堂を時刻や季節を変えて何十点も描いた「連作」は、光の変化そのものを主題化した試みとして知られます。

現代生活の主題

鉄道駅、カフェ、舞踏会、競馬場、河畔の行楽——印象派の画家たちは、近代化するパリとその郊外の「いま」を描きました。これは詩人ボードレールが唱えた「現代生活の画家」という理念とも響き合っています。

影の色彩化

それまで黒や茶で塗られていた影を、青や紫などの色彩で表現した点も革新的でした。影は光の不在ではなく、反射光を含んだ色を持つものとして描かれます。

印象派の代表的な画家

ピサロ《赤い屋根》

クロード・モネ(1840–1926) は、印象派の中心人物であり、流派の名の由来となった《印象、日の出》の作者です。《睡蓮》の連作をはじめ、生涯にわたり光の探究を続けました。

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841–1919) は、《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》に代表されるように、人物、とりわけ女性や子どもを柔らかな光の中に描いた画家です。

エドガー・ドガ(1834–1917) は、踊り子や競馬を主題に、写真的な大胆な構図で瞬間を切り取りました。戸外制作にはこだわらず、印象派の中でも独自の位置を占めます。

カミーユ・ピサロ(1830–1903) は、8回の印象派展すべてに出品した唯一の画家で、グループの精神的支柱でした。農村風景を多く描いています。

ベルト・モリゾ(1841–1895)メアリー・カサット(1844–1926) は、女性画家として印象派に参加し、家庭や母子の情景を描きました。女性の社会的制約が大きい時代に職業画家として活動した点でも重要です。

このほか、アルフレッド・シスレー、ギュスターヴ・カイユボット、また印象派に先行して大きな影響を与えたエドゥアール・マネも、印象派を語るうえで欠かせない存在です(マネ自身は印象派展には一度も出品していません)。

印象派と日本:ジャポニスムの影響

モネ《ラ・ジャポネーズ》

印象派を理解するうえで見逃せないのが、日本美術との関係です。19世紀後半のヨーロッパでは、開国後の日本から流入した浮世絵が大流行し、「ジャポニスム」と呼ばれる日本趣味の潮流が生まれました。葛飾北斎や歌川広重の版画に見られる大胆な構図、平面的な色面、身近な風景への眼差しは、モネやドガら印象派の画家たちに強い刺激を与えたとされます。モネは浮世絵を収集し、ジヴェルニーの自宅に日本風の太鼓橋を架けた庭を造り、そこから《睡蓮》の連作が生まれました。

逆に、印象派は日本でも早くから愛好され、黒田清輝ら明治期の洋画家に影響を与えたほか、現在も国内の美術館(国立西洋美術館、ポーラ美術館、大原美術館など)で多くの作品を鑑賞できます。

印象派のその後:ポスト印象派へ

1886年の第8回展を最後に印象派展は終わりを迎えますが、その影響は消えるどころか拡大しました。印象派の色彩理論を科学的に推し進めたスーラらの新印象派(点描)、印象派を出発点としつつ独自の造形を追求したセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらのポスト印象派が続き、やがて20世紀のフォーヴィスムや抽象絵画への道を開きます。「近代絵画は印象派から始まる」と言われるゆえんです。

よくある質問(FAQ)

Q. 印象派と後期印象派(ポスト印象派)の違いは?

印象派が「目に映る光と色の印象」の再現を重視したのに対し、ポスト印象派の画家たちはそれを土台にしながら、構築的な画面(セザンヌ)、感情表現(ゴッホ)、象徴性(ゴーギャン)など、より主観的・個性的な表現へ進みました。ポスト印象派は統一された流派ではなく、印象派以後の多様な展開を指す総称です。

Q. 「印象派」という言葉は誰が名付けた?

批評家ルイ・ルロワが1874年の風刺記事でモネの《印象、日の出》を揶揄した表現に由来します。当初は蔑称でしたが、画家たち自身が受け入れ、正式な呼称として定着しました。

Q. 印象派の絵はなぜ当時批判された?

輪郭が曖昧で筆跡が残る画面は、細密な仕上げを「完成」とみなす当時の基準では「描きかけ」「未完成」と見えたためです。また日常的な主題は、歴史画を頂点とする伝統的な絵画の序列(ジャンルのヒエラルキー)から見て「低俗」とされました。

Q. 日本で印象派の作品はどこで見られる?

国立西洋美術館(東京)、ポーラ美術館(箱根)、大原美術館(倉敷)、ひろしま美術館などが印象派のコレクションで知られています。また国内では毎年のように印象派関連の企画展が開催されています。

まとめ

印象派とは、19世紀後半のフランスで、光と色彩の一瞬の印象を描くことを追求した絵画運動です。サロンへの反発、チューブ絵具や鉄道、写真の登場といった時代の条件のもとで生まれ、筆触分割や戸外制作といった技法によって絵画を根本から刷新しました。モネ、ルノワール、ドガらの試みは、当初の嘲笑をよそに近代絵画の出発点となり、日本の浮世絵との相互影響も含め、今日まで世界中で愛され続けています。

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