《童女図(麗子立像)》(どうじょず・れいこりつぞう、1923年)は、大正期の洋画家・岸田劉生が、娘の麗子(れいこ)をモデルに描いた油彩画です。重要文化財に指定された代表作《麗子微笑》の陰に隠れがちですが、実は劉生自身が日記の中で「これは余の肖像画の中でも最もすぐれたものであらう」と、自らの全作品中の最高傑作と評した一枚でもあります。この記事では、この作品の見どころ、制作の背景、そして「麗子像」シリーズ全体における位置づけまでを解説します。
《童女図(麗子立像)》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | 岸田劉生(1891〜1929) |
| 制作年 | 1923年(前年の1922年から着手し、1923年4月15日完成) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 53.3×45.8cm |
| 所蔵 | 神奈川県立近代美術館 |
| 発表 | 1923年5月、第1回春陽会展に出品 |
| モデル | 岸田麗子(劉生の長女、当時9〜10歳頃) |
一言でいうと 《童女図(麗子立像)》は、赤い総しぼりの着物の質感を極限まで描き込みながら、麗子の切れ長の眼に凄みを漂わせた、劉生自身が生涯最高の肖像画と信じた一枚である。
制作背景 — なぜこの作品が生まれたのか
「麗子像」シリーズの中の位置
劉生は1918年、当時4歳(数えで5歳)だった娘・麗子を描いた油彩《麗子肖像(麗子五歳之像)》を皮切りに、以後、麗子をモデルにした肖像画を70点以上手がけたとされています(現存するのは50点前後)。《童女図(麗子立像)》は、その中でも麗子が9〜10歳頃、シリーズの円熟期に描かれた一枚です。
1年をかけた制作
劉生はこの作品を1922年から描き始め、かなりの時間をかけて1923年4月15日に完成させました。完成した日の日記には「これは余の肖像画の中でも最もすぐれたものであらう」と記されており、世に最も知られる《麗子微笑》ではなく、この作品こそを自らの肖像画の頂点と考えていたことが分かります。
見どころ徹底解説

構図 — 直立する麗子
タイトルの「立像」が示す通り、多くの麗子像が座った姿で描かれるのに対し、この作品では麗子が直立した姿勢で描かれています。正面性の強い構図が、見る者と対峙するような緊張感を生み出しています。
技法 — 西洋の写実と東洋の意匠の同居
赤い総しぼり柄の着物は、柄の一つひとつまで緻密に描き込まれ、しっとりとした重量感のある質感を伝えます。この徹底した写実描写は、劉生が傾倒したドイツ・ルネサンスの画家デューラーの細密描写の影響を色濃く残すものです。一方で、切れ長の眼を強調した麗子の顔立ちは、写実というより意匠的にデフォルメされており、西洋の写実主義と東洋的な様式美が同居する、劉生後期の画風の特徴がよく表れています。
図像学 — 「凄み」をたたえた表情
《麗子微笑》のような柔らかな微笑みとは対照的に、この作品の麗子は笑みを見せず、冷ややかとも言える表情を浮かべています。この表情には、しばしば「凄み」という言葉が使われます。愛らしい少女の肖像でありながら、どこか近寄りがたい緊張感を漂わせる点が、この作品の忘れがたい魅力になっています。
💡 ここに注目(編集部より) この作品を見るときは、ぜひ着物の柄と、麗子の眼の対比に注目してください。着物の柄は写真と見紛うほど緻密なのに、顔だけが独特にデフォルメされている——この「部分ごとに異なる時間のかけ方」こそ、劉生がこの絵に込めた執念の証です。
作品の来歴
本作は1923年5月、劉生が参加していた美術団体・春陽会の第1回展に出品されました。現在は神奈川県立近代美術館の所蔵作品となっています。
評価と影響
「麗子像」シリーズは、日本近代洋画史において最も広く親しまれる肖像画群の一つです。中でも《麗子微笑》は重要文化財に指定され最も知名度が高い一枚ですが、劉生自身の自己評価という観点から見ると、《童女図(麗子立像)》こそが本人にとっての到達点だったことは、シリーズを理解する上で見落とせない事実です。
類似作品と比べる
| 《童女図(麗子立像)》 | 《麗子微笑》 | 《麗子肖像(麗子五歳之像)》 | |
|---|---|---|---|
| 制作年 | 1923年 | 1921年 | 1918年 |
| 麗子の年齢 | 9〜10歳頃 | 8歳頃 | 4歳(数え5歳) |
| 所蔵 | 神奈川県立近代美術館 | 東京国立博物館 | 東京国立近代美術館 |
| 特徴 | 立像・冷ややかな表情・劉生の自信作 | 微笑み・重要文化財・シリーズ最有名作 | 油彩による最初の麗子像 |

実際に見るには
神奈川県立近代美術館(葉山館・鎌倉別館)が所蔵していますが、常設展示とは限らないため、鑑賞を希望する場合は事前に展示状況を公式サイトでご確認ください(最終確認日:2026年7月8日)。
よくある誤解
誤解①「劉生の代表作は《麗子微笑》だけである」→ 劉生自身が最高傑作としたのは別の作品
《麗子微笑》の知名度と重要文化財指定から、これが劉生の唯一の到達点と思われがちですが、劉生自身は日記の中で《童女図(麗子立像)》を「最もすぐれたもの」と評していました。世間的な評価と、画家自身の自己評価が必ずしも一致しないことを示す好例です。
誤解②「麗子像はすべて同じ画風で描かれている」→ 制作時期によって画風は大きく変化している
「麗子像」と一括りにされがちですが、劉生の画風は生涯に大きく変化しており、初期の油彩画(1918年頃)から、細密描写が極まる時期(1920年代前半)、さらに東洋絵画の影響を強く受けた時期へと展開しています。《童女図(麗子立像)》は、この中でも写実と東洋的デフォルメが共存する、劉生様式の一つの到達点にあたります。
FAQ
Q. 《童女図(麗子立像)》とはどんな作品ですか?
A. 洋画家・岸田劉生が、娘の麗子をモデルに1923年に完成させた油彩画です。赤い総しぼりの着物をまとって直立する麗子の姿を描いており、劉生自身が日記で自らの肖像画の最高傑作と評した作品です。
Q. なぜ「麗子立像」という名前なのですか?
A. 「立像」は、麗子が座った姿ではなく直立した姿で描かれていることに由来します。「童女図」という題も併記され、正式には《童女図(麗子立像)》と呼ばれています。
Q. この作品はどこで見られますか?
A. 神奈川県立近代美術館が所蔵しています。常設展示とは限らないため、鑑賞を希望される場合は事前に展示スケジュールを公式サイトでご確認ください。
Q. 麗子像は全部で何点ありますか?
A. 劉生は娘・麗子をモデルに70点以上描いたとされていますが、現存するのは50点前後といわれています。
まとめ
《童女図(麗子立像)》は、写実の極限と東洋的な意匠が同居する、岸田劉生の画業の到達点を示す一枚です。世間的な知名度では《麗子微笑》に譲るものの、画家自身が「最もすぐれたもの」と信じたという事実は、名画の評価が一様ではないことを教えてくれます。着物の緻密な質感と、麗子の眼にたたえられた凄み——その両方に、じっくりと向き合ってみてください。
