《ニュートン》(1795年、1804〜05年頃加筆)は、詩人にして画家のウィリアム・ブレイクが手がけた版画で、ロンドンのテート・ブリテンが所蔵する代表作です。海底の岩に腰掛け、コンパスで何かを測定することに没頭する科学者アイザック・ニュートンの姿を描いたこの作品は、理性偏重の時代への痛烈な批評であると同時に、ブレイクが生涯敬愛したミケランジェロへのオマージュでもあります。この記事では、この作品の見どころ、ニュートンに込められた批判の中身、そしてミケランジェロとのつながりまでを解説します。
《ニュートン》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ウィリアム・ブレイク(1757〜1827) |
| 制作年 | 1795年(1804〜1805年頃に加筆) |
| 技法・素材 | モノタイプ版画に水彩・ペンで加筆 |
| サイズ | 46×60cm |
| 所蔵 | テート・ブリテン(ロンドン) |
| モデル | 科学者アイザック・ニュートン(1642〜1727) |
一言でいうと 《ニュートン》は、周囲に広がる豊かな自然の営みに目もくれず、抽象的な図形の測定にのみ没頭する科学者の姿を通じて、理性偏重の時代精神への複雑な問いを投げかけた、ブレイク版画の代表作である。
制作背景 — なぜこの作品が生まれたのか
12点からなる大型カラー版画連作の一つ
《ニュートン》は、ブレイクが1795年に手がけた12点からなる大型カラー版画連作の一つです。同じ連作には《エロヒムによるアダムの創造》《ネブカドネザル》なども含まれ、いずれも聖書や歴史上の人物を主題にした、ブレイク独自の図像表現による作品群です。
ニュートン・ロック・ベーコンへの批判
ブレイクは、ニュートンを、哲学者ジョン・ロック、思想家フランシス・ベーコンと並ぶ3人組として位置づけ、想像力や精神的な幻視を軽んじる、唯物論的・機械論的な世界観の象徴とみなしていました。理性と科学によって世界のすべてを説明しようとする姿勢は、ブレイクにとって、人間の豊かな内面世界を切り捨てる危険な思想だったのです。
見どころ徹底解説

構図 — ミケランジェロからの引用
ニュートンが座る中腰の姿勢は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天井の隅、半円形の壁面(ルネット)に描いた人物像(アビアス像)を下敷きにしていると言われています。ミケランジェロは、ブレイクにとって生涯にわたるインスピレーションの源であり、《ニュートン》の理想化された筋肉質の肉体表現にも、その影響が色濃く表れています。
技法 — 海底という舞台設定
ニュートンは、色とりどりの苔や地衣類に覆われた岩に腰掛け、暗い海の底に一人佇んでいます。この岩の表面を彩る有機的な質感は、生命に満ちた物質世界そのものを象徴していると解釈されています。ブレイク独自の技法であるモノタイプ版画に、ペンと水彩で仕上げを加えるという手法により、幻想的でありながら緻密な質感が生み出されています。
図像学 — 理性への両義的な態度
ニュートンは、コンパスを片手に、目の前の羊皮紙に幾何学的な図形を描くことに没頭しており、周囲に広がる豊かな海の世界にはまったく気づいていません。この構図は、理性だけを追い求めることで、世界の豊かさそのものを見失ってしまうという、ブレイクの批判を象徴的に表現しています。ただし、これは単純な嘲笑というよりも、より複雑な態度の表れだとも指摘されています。理想化されたニュートンの肉体と、集中しきった真剣な表情には、ある種の敬意すら感じさせる要素があり、ブレイクの理性への態度は、一筋縄ではいかない両義性を帯びています。
💡 ここに注目(編集部より) この作品を見るときは、ニュートンの足元の岩肌の質感に注目してみてください。色とりどりの苔や地衣類が丁寧に描き込まれたこの部分は、単なる背景ではなく、ニュートンが見ようとしない「豊かな物質世界」そのものを象徴しています。理性と想像力、どちらが本当に世界を豊かに見せてくれるのか——ブレイクはこの一枚を通じて、静かにその問いを投げかけているのです。
評価と影響
《ニュートン》は、生前ほとんど評価されなかったブレイクの作品の中でも、死後の再評価を通じて特に有名になった一枚です。1995年、この図像をもとにしたエドゥアルド・パオロッツィによる大型ブロンズ彫刻が制作され、ロンドンの大英図書館前庭に設置されました。ブレイクの絵が、200年近い時を経て、公共空間を飾る立体作品として生まれ変わったこの事例は、《ニュートン》という図像が持つ普遍的な訴求力を物語っています。19世紀のロマン主義の詩人・画家たち(ブレイク、キーツ、イェイツら)は、いずれもニュートンを「詩情の破壊者」と評しており、《ニュートン》はこうした時代精神を象徴する作品としても位置づけられています。
実際に見るには
ロンドンのテート・ブリテンが所蔵しています。同館はブレイク作品を90点以上収蔵しており、2019年には300点を超える大規模な回顧展も開催されました。訪問前に公式サイトで展示状況を確認することをおすすめします(最終確認日:2026年7月10日)。
よくある誤解
誤解①「《ニュートン》は科学そのものを全面的に否定した作品である」→ より複雑な両義性を含んでいる
理性と科学への批判というテーマから、この絵が科学そのものを全否定していると解釈されがちですが、実際にはニュートンの理想化された肉体や真剣な表情には、ある種の敬意も感じられ、単純な嘲笑にはとどまらない複雑さがあります。ブレイクの意図は、理性を否定することではなく、理性だけに偏ることで見失われる、想像力や感性の豊かさを訴えることにあったと考えられています。
誤解②「この構図はブレイクの完全なオリジナルである」→ ミケランジェロの図像を下敷きにしている
ブレイク独自の幻想的な発想から生まれた構図だと思われがちですが、実際にはミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた人物像を明確に参照しています。生涯敬愛したミケランジェロへのオマージュという側面も、この作品を理解する上で欠かせない要素です。
FAQ
Q. 《ニュートン》とはどんな作品ですか?
A. ウィリアム・ブレイクが1795年に制作した版画で、海底の岩に座り、コンパスで図形を測定することに没頭する科学者ニュートンの姿を描いています。理性偏重の時代への批評とされる作品です。
Q. なぜブレイクはニュートンを批判的に描いたのですか?
A. ブレイクは、ニュートンを哲学者ロック、思想家ベーコンと並ぶ、想像力や精神的な幻視を軽視する唯物論的世界観の象徴とみなしていたためです。理性だけに頼ることで、世界の豊かさが見失われることへの懸念が込められています。
Q. 《ニュートン》とミケランジェロにはどんな関係がありますか?
A. ニュートンの姿勢は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた人物像を下敷きにしているとされています。ミケランジェロは、ブレイクが生涯敬愛したインスピレーションの源でした。
Q. 《ニュートン》はどこで見られますか?
A. ロンドンのテート・ブリテンが所蔵しています。1995年には、この図像をもとにした大型ブロンズ彫刻も制作され、大英図書館前庭に設置されています。
まとめ
《ニュートン》は、周囲に広がる豊かな自然の営みに目もくれず、抽象的な図形の測定にのみ没頭する科学者の姿を通じて、理性偏重の時代精神への複雑な問いを投げかけた作品です。ミケランジェロへのオマージュを込めながら、理性と想像力のどちらが世界の真の豊かさを捉えられるのかという問いを、静かに、しかし力強く提示しています。単純な科学批判にとどまらないこの両義性こそが、《ニュートン》を200年以上を経てなお色褪せない作品にしているのです。

