《猫》(1966年)は、日本の画家・長谷川潾二郎による油彩画で、宮城県美術館(洲之内コレクション)が所蔵する作品です。深紅の布の上、体を丸めて眠る虎縞模様の猫が描かれています。この記事では、この一枚がなぜ6年もの歳月をかけて完成されたのか、そして片方だけ描かれたひげに込められた画家のこだわりについて解説します。
長谷川潾二郎《猫》とは|基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | 長谷川潾二郎 |
| 制作年 | 1966年 |
| 技法・素材 | 油彩・麻布 |
| サイズ | 30.9×40.9cm |
| 所蔵 | 宮城県美術館、収蔵番号P252(洲之内コレクション) |
| ジャンル | 動物画 |
| モデル | 画家の飼い猫タロー |
一言でいうと 《猫》は、実物を目の前にしなければ描かないという画家の徹底したこだわりのもと、愛猫タローが見せたわずか年に数回しかない寝姿を、6年もの歳月をかけて描き上げた一枚である。
制作背景|なぜこの作品は生まれたのか
対象を目の前にしなければ描かない画家
長谷川潾二郎は1904年、北海道函館に生まれました。兄には作家の長谷川海太郎(筆名・林不忘ほか)、弟にはロシア文学者の長谷川濬、作家の長谷川四郎がいるという文人一家に育ちます。1924年に上京し川端画学校に入学するも数ヶ月で退学、以後は独学で洋画を学びました。1931年から翌年にかけてはパリにも滞在しています。長谷川は、目の前に実物がなければ絵筆を進められないという徹底した写生主義の画家であり、この姿勢が、彼を生涯にわたる寡作の画家たらしめました。
6年をかけた制作の記録
本作の制作は、あるとき普段はアトリエに入れない飼い猫タローが、たまたまアトリエで寝そべっているのを見た画家が、その姿を描きたいと思い立ったことから始まりました。臙脂色の布の上に眠るタローを写生し始めたのは9月のこと。ところが数日描いたのち、翌月にはタローが同じ姿勢を取らなくなってしまいます。気温が下がると猫は体を丸めて眠るようになるため、9月特有のこの伸びやかな寝姿は再現できなくなってしまったのです。長谷川は1年待ち、翌年の9月にふたたび制作を再開し、9割ほどを仕上げます。しかしこの時点でもタローにはまだひげが描かれていませんでした。
見どころ徹底解説

片方だけ描かれたひげ
本作最大の特徴は、右のひげが途中までしか描かれていない点です。宮城県美術館の解説によれば、タローがこの姿勢で眠るのは年に2回程度しかなく、そのうちにタロー自身が死んでしまったため、片方は生前のデッサンをもとに描き加えられたものの、もう一方は未完のまま残されたといいます。床に触れそうな右のひげは、実際の様子を確認しなければ描きにくかったのではないかと考えられています。
紅と灰の鮮やかな対比
背景は深く鮮やかな紅色と落ち着いた灰色とに、はっきりと分割されています。この洗練された色と構図の中に、虎縞模様の猫が体を伸ばしてくつろぐ姿が配置されており、静止した画面でありながら、猫の穏やかな寝息が聞こえてくるような気配を漂わせています。
写実を超えた夢の気配
本作は一見、猫という生き物を忠実に描いた写実絵画のように見えます。しかし評者の中には、この絵がリアルな猫の姿を超えて、どこか夢の気配を探し求めるようにして描かれた作品だと指摘する声もあります。目の前の実物を見なければ描けないという徹底した姿勢が、かえって現実を超えた静謐な時間を画面に定着させる結果になったとも言えます。
評価と影響
本作は「世界一幸せな猫」とも呼ばれ、長谷川の代表作として広く親しまれています。画商・洲之内徹が「譲ってほしい」とその場で申し出た際、画家は「まだひげを描いていないから」と難色を示したという逸話も伝えられており、この絵にまつわる制作へのこだわりは、今なお語り継がれています。本作は書籍『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』の表紙にも使用されました。長谷川は探偵小説家としても活動し、地味井平造の筆名で短編を発表していたことでも知られています。
実際に見るには
宮城県美術館の所蔵作品です(収蔵番号P252、洲之内コレクション)。訪問前には開館日・展示状況を公式サイトで確認することをおすすめします。
よくある誤解
誤解①「短期間で描き上げられた作品」→ 制作には6年もの歳月を要した
穏やかな一枚の絵という印象から、比較的短期間で仕上げられたと思われがちですが、実際には制作開始から完成まで6年もの歳月がかかっています。タローが同じ寝姿を見せる機会が限られていたことが、その大きな理由でした。
誤解②「ひげは意図的に省略された装飾」→ モデルの死により未完のまま残された
右のひげが途中で途切れているのは、様式的な省略や装飾的な意図によるものではありません。モデルであるタローが亡くなってしまったため、実物を見て描き足すことができなくなり、結果としてそのまま残された部分です。
FAQ
Q. 何が描かれていますか?
A. 深紅の布の上で体を丸めて眠る、虎縞模様の飼い猫タローの姿です。
Q. 作者はどんな画家ですか?
A. 長谷川潾二郎(1904〜1988)。北海道函館出身の画家で、対象を目の前にしなければ描かないという徹底した姿勢で知られる寡作の作家です。探偵小説家としての顔も持っていました。
Q. なぜこの絵は完成まで6年もかかったのですか?
A. モデルの猫タローが見せる伸びやかな寝姿は年に2回ほどしか見られず、季節や気温によって姿勢が変わってしまうため、同じ状態を待って描き進める必要があったためです。
Q. どこで見られますか?
A. 宮城県美術館です。訪問前に公式サイトで開館状況を確認することをおすすめします。
まとめ
《猫》は、対象を目の前にしなければ描かないという画家の徹底した姿勢のもと、6年もの歳月をかけて完成された一枚です。片方だけ途切れたひげという未完の痕跡が、かえってこの絵に、二度と戻らない時間への思いを刻みつけています。
