《白貂を抱く貴婦人》とは|銃殺覚悟の逃避行を経てポーランドへ渡った、レオナルドの肖像画を追う

ミラノ公の愛人だった16歳の少女を描いたこの小さな板絵は、500年以上のあいだ持ち主を転々としながら、ナチス占領下では略奪の憂き目にも遭っています。《白貂を抱く貴婦人》(1489〜91年頃)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが手がけた油彩(一部テンペラ)の板絵で、現在はポーランド・クラクフの国立美術館(旧チャルトリスキ美術館コレクション)が所蔵しています。モデルとなったのはチェチーリア・ガッレラーニという実在の女性で、彼女が腕に抱く白い貂には、単なる愛玩動物以上の、いくつもの意味が仕込まれています。

目次

基本情報

作者:レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)
制作年:1489〜1491年頃
技法・素材:油彩・テンペラ、クルミ材の板
サイズ:約54.8×40.3cm
所蔵:国立美術館クラクフ(旧チャルトリスキ美術館コレクション、ポーランド)
モデル:チェチーリア・ガッレラーニ(ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人)

一言でいうと

《白貂を抱く貴婦人》は、当時16歳ほどだったチェチーリア・ガッレラーニを、体を斜めに傾けながら画面の外の何かに視線を向ける姿で描いた作品です。レオナルドが女性を描いた現存作品はこれを含めてわずか4点(他は《モナ・リザ》《ジネヴラ・デ・ベンチの肖像》《美しき額飾りの女》)しかなく、その中でもこの絵は、被写体の内面の動きをとらえた最初期の試みとして評価されています。

制作背景

レオナルドは1482年、故郷フィレンツェを離れてミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(通称イル・モーロ)の宮廷に仕えるようになりました。当初は軍事技術者としての採用を望んでいたようですが、実際に彼が手がけた工学的な考案図の多くは実現に至らず、代わりに肖像画家としての仕事を任されることになります。この絵のモデル、チェチーリア・ガッレラーニは裕福でも高貴でもない家系の出身でしたが、その美貌と教養、とりわけ音楽と文学の才能によって宮廷の寵愛を集め、ルドヴィーコの愛人となっていました。彼女は後にラテン語とイタリア語で詩作も行い、作家マッテオ・バンデッロからは「イタリア語の偉大な光」と讃えられていますが、その詩の実物は今日には伝わっていません。

宮廷詩人ベルナルド・ベリンチョーニが1493年に残したソネット、そしてチェチーリアと侯爵夫人イザベラ・デステとの間で交わされた書簡から、この肖像画がレオナルドの手によるものであることが記録として確認できます。1498年、イザベラはこの絵をチェチーリアから借り受けており、そのことも書簡に残されています。

見どころ

貂に込められた意味

チェチーリアが抱く貂は、実物よりもかなり大きく誇張して描かれており、写実というよりは象徴として配置されていることがうかがえます。この動物には複数の意味が重ねられている可能性が指摘されています。ギリシャ語で貂を指す言葉がチェチーリアの姓「ガッレラーニ」と音が似ていること、貂が伝統的に純潔の象徴とされ、毛皮を汚すくらいなら死を選ぶという言い伝えを持つこと、そして1488年、ルドヴィーコ自身が「貂騎士団」という騎士団に迎え入れられていたこと――これらすべてが、この一頭の白い貂に折り重ねられているとする説があります。

塗り替えられた背景

現在この絵の背景は黒一色で塗られていますが、これはオリジナルではなく、おそらく17世紀に上塗りされたものです。X線調査により、当初の背景には窓もしくは扉のようなものが描かれていたことが分かっています。また、貂の下に見えるドレスの部分や、チェチーリアがかぶる透けたヴェールも後世に描き直されており、この修復のせいで、彼女の髪が顎の下まで届いているように見えてしまっています。

誤って伝わった呼び名

画面左上には「LA BELE FERONIERE(美しき額飾りの女)」という金色の文字が書き込まれていますが、これは後から加筆されたものです。この銘のせいで、長年この絵はフランス王フランソワ1世の愛人とされる「美しき額飾りの女」の肖像だと誤認されてきました。実際にはその名を持つ別の絵画がルーヴル美術館に所蔵されており、この絵とは全くの別人を描いたものです。

評価と受容

チェチーリアがミラノの城を去った後――ルドヴィーコが新たにベアトリーチェ・デステと結婚したことで宮廷を追われたとされています――この絵は彼女とともに城の外へ持ち出されたようです。その後は彼女の遺族の手を経て、18世紀にイタリアを広く旅していたポーランドの名家チャルトリスキ家のコレクションへと渡りました。1798年頃、アダム・イェジー・チャルトリスキ公がイタリアでこの絵を購入し、母であるイザベラ・チャルトリスカ公妃に贈っています。公妃はすでに1796年、プワヴィに自らの美術館を設立していたため、この絵はその既存のコレクションに組み込まれる形となりました。

19世紀にはロシアによる圧力の高まりを受けて何度も避難させられ、第一次世界大戦時にも同様に隠されています。第二次世界大戦中にはナチス・ドイツによる占領下で接収され、後に連合軍の「モニュメンツ・メン」による捜索・回収活動を経て、ポーランドへと返還されました。2016年、ポーランド文化・国家遺産省がチャルトリスキ財団からこの絵を買い取り、翌2017年以降はクラクフのチャルトリスキ美術館の本館で、国立美術館クラクフのコレクションの目玉として公開され続けています。

よくある誤解

誤解①「この絵はフランス王の愛人『美しき額飾りの女』を描いたものである」→ 実際はミラノ公の愛人チェチーリア・ガッレラーニの肖像
画面左上に書かれた銘文をそのまま信じてしまうと、フランス王フランソワ1世の愛人を描いたものだと誤解しがちですが、この銘は後世に加筆されたものであり、実際のモデルはミラノ宮廷に仕えたチェチーリア・ガッレラーニだと考えられています。

誤解②「背景の黒は制作当初からのものである」→ 実際は17世紀頃に塗り替えられている
落ち着いた黒一色の背景は最初からこのように意図されたと思われがちですが、X線調査により、元々は窓か扉のような要素が描かれていたことが判明しており、現在の黒背景は後世の上塗りによるものです。

FAQ

Q. 《白貂を抱く貴婦人》とはどんな作品ですか?
A. レオナルド・ダ・ヴィンチが1489年から91年頃に手がけた肖像画で、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人チェチーリア・ガッレラーニを描いています。現在はポーランドの国立美術館クラクフが所蔵しています。

Q. なぜ貂を抱いているのですか?
A. 貂はチェチーリアの姓との言葉遊び、純潔の象徴、そしてルドヴィーコが所属していた騎士団への言及など、複数の意味が重ねられた存在だと考えられています。

Q. この絵はレオナルドのどんな作品群に含まれますか?
A. レオナルドが手がけた現存する女性の肖像画は4点しかなく、《モナ・リザ》《ジネヴラ・デ・ベンチの肖像》《美しき額飾りの女》とともに、この《白貂を抱く貴婦人》がその貴重な一枚を構成しています。

Q. 《白貂を抱く貴婦人》はどこで見られますか?
A. ポーランド・クラクフの国立美術館(チャルトリスキ美術館の建物内)が所蔵しています。

まとめ

チェチーリア・ガッレラーニという一人の少女の肖像は、後世の上塗りや誤った呼び名、二度の世界大戦による接収と返還という、絵そのものとは別の激動の歴史を背負うことになりました。500年以上前にミラノの宮廷で描かれた一枚の板絵が、今もクラクフの美術館でその視線を私たちに向けているという事実そのものが、この絵が歩んできた道のりの重みを物語っています。

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