《ヘントの祭壇画(神秘の子羊の礼拝)》(1432年)は、初期フランドル派の画家兄弟フーベルト・ファン・エイクとヤン・ファン・エイクによる油彩の多翼祭壇画で、ベルギー・ヘントの聖バーフ大聖堂に現在も設置されている作品です。12枚の板絵からなるこの壮大な祭壇画は、史上初の本格的な油彩画と評される美術史上の記念碑的作品でありながら、約600年の歴史の中で少なくとも6〜7度にわたり略奪・盗難の被害に遭い、「史上最も盗まれた美術品」という異名を持つ、数奇な運命をたどった作品でもあります。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | フーベルト・ファン・エイク&ヤン・ファン・エイク |
| 制作年 | 1432年(1425年頃着手) |
| 技法・素材 | 油彩・オーク板(12パネルからなる多翼祭壇画) |
| サイズ(開扉時) | 約3.75×5.2m |
| 所蔵 | 聖バーフ大聖堂(ヘント、ベルギー) |
| 依頼主 | ヨース・ヴェイド夫妻(ヘントの富裕な有力者) |
| 異名 | 「史上最も盗まれた美術品」 |
一言でいうと
《ヘントの祭壇画》は、フーベルトとヤンのファン・エイク兄弟が手がけた、史上初の本格的な油彩画とも評される美術史上の記念碑的傑作でありながら、カルヴァン派の偶像破壊運動、ナポレオンの略奪、ナチスによる強奪、そして今なお未解決の盗難事件によって、その一部が今日でも行方不明のままとなっている、「史上最も盗まれた美術品」と呼ばれるに至った波乱の作品である。
制作背景
この祭壇画は、1425年頃、ヘントの富裕な有力者ヨース・ヴェイドとその妻エリザベート・ボルリュートの依頼により、当時の聖ヨハネ教会(現在の聖バーフ大聖堂)のために制作が始まりました。全体の構想はフーベルト・ファン・エイクが手がけたと考えられていますが、彼は1426年に完成を待たずに没し、以後の実際の制作の大部分は弟ヤンの手によって進められ、1432年に完成しました。
見どころ

構図:祭壇画を開くと、上段中央には荘厳な姿の神(あるいはキリスト)が玉座に座り、両脇には聖母マリアと洗礼者ヨハネが配され、さらにその外側には歌い、楽器を奏でる天使たちの群像、そして裸体で描かれたアダムとイヴが両端を飾ります。下段中央には、この祭壇画最大の見どころである「神秘の子羊の礼拝」の場面が広がり、緑の草原の中央に置かれた祭壇で、子羊(キリストの象徴)が聖杯に血を滴らせる様子を、聖人・審判者・騎士・隠者など、あらゆる階層の人々が四方から集まって礼拝しています。祭壇画を閉じると、外側にはお告げの場面や預言者たち、そして依頼主であるヴェイド夫妻が跪く肖像が描かれ、灰色の単色画法(グリザイユ)で彫像を思わせる洗礼者ヨハネと福音史家ヨハネの姿がそれを取り囲みます。
技法上の到達点:この祭壇画は、史上初の本格的な油彩画とも評され、絵具の重ね塗りや光の反射・透明感の表現において、当時としては画期的な技術的到達点を示しています。2020年の大規模な修復調査では、子羊の顔が後世に描き替えられていたことが判明し、修復によって、驚くほど人間的な目つきをした本来の顔立ちが明らかになりました。
来歴と受難の歴史
この祭壇画は、その名声ゆえに幾度となく略奪と盗難の標的となってきました。1566年、カルヴァン派による偶像破壊運動の際には焼却されそうになりましたが、隠されて難を逃れています。1794年、フランス革命軍を率いたナポレオンの部隊が4枚のパネルを奪い去り、パリのルーヴル美術館に展示されましたが、1815年のワーテルローの戦いでのナポレオン敗北後、ヘントをかつて庇護した恩義から、フランス王ルイ18世によってヘントへ返還されました。1816年には、教会の副牧師が6枚の翼パネルを不正に売却する事件も起こり、そのうち4枚は1821年、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって購入されるという事態にまで発展しています。第一次世界大戦中には、ベルギーを占領したドイツ軍が残りのパネルを持ち去りましたが、ヴェルサイユ条約の賠償条項によってヘントへの返還が定められ、この絵は再びすべてのパネルが揃った状態でヘントに戻りました。
1934年4月10日夜には、聖バーフ大聖堂に潜んでいた何者かが、《義なる審判者たち》と《洗礼者ヨハネ》の2枚のパネルを盗み出すという事件が発生します。犯人からは複数回にわたり身代金を要求する手紙が届き、《洗礼者ヨハネ》のパネルは善意の証として返却されましたが、《義なる審判者たち》は今日に至るまで発見されておらず、内部関係者による犯行だったのではないかとも噂されています。現在は、1939年に模写画家ジェフ・ファン・デル・フェーケンが制作した複製が、その場所に掲げられています。
第二次世界大戦中には、避難のためヴァチカンへの搬送が試みられましたが、途中でナチス・ドイツに横取りされ、1942年にはバイエルンのノイシュヴァンシュタイン城へ、さらにオーストリアのアルタウスゼー岩塩坑へと移送されました。この岩塩坑はダイナマイトで爆破される計画もありましたが、連合軍の美術品救出部隊「モニュメンツ・メン」によって、ぎりぎりのところで救出されています。
よくある誤解
誤解①「この祭壇画は今日、すべてのパネルが完全な状態で揃っている」→ 実際は1枚が今なお行方不明のままである
数々の受難を乗り越えて現在も展示されていることから、すべてのパネルが完全な形で残っていると思われがちですが、実際には1934年の盗難事件で盗まれた《義なる審判者たち》のパネルは今日まで発見されておらず、現在は1939年に制作された複製がその場所に掲げられています。
誤解②「この祭壇画はヤン・ファン・エイク一人の手による作品である」→ 実際は兄フーベルトとの共作とされている
弟ヤンの名声から、彼一人による作品だと思われがちですが、実際には全体の構想は兄フーベルト・ファン・エイクが手がけたと考えられており、フーベルトが1426年に没した後、実際の制作の大部分をヤンが引き継いで完成させたとされています。
FAQ
Q. 《ヘントの祭壇画》とはどんな作品ですか?
A. ファン・エイク兄弟が1432年に完成させた12枚のパネルからなる多翼祭壇画で、神と聖母、洗礼者ヨハネ、そして「神秘の子羊の礼拝」の場面などを描いています。ベルギー・ヘントの聖バーフ大聖堂に設置されています。
Q. なぜ「史上最も盗まれた美術品」と呼ばれているのですか?
A. カルヴァン派による焼却未遂、ナポレオンによる略奪、教会関係者による不正売却、第一次・第二次世界大戦での接収、そして1934年の未解決の盗難事件など、約600年の歴史の中で少なくとも6〜7度にわたり被害を受けてきたためです。
Q. 盗まれたパネルは今も見つかっていないのですか?
A. はい。1934年に盗まれた《義なる審判者たち》のパネルは、今日に至るまで発見されておらず、現在は1939年に制作された複製が代わりに掲げられています。
Q. 《ヘントの祭壇画》はどこで見られますか?
A. ベルギー・ヘントの聖バーフ大聖堂に現在も設置されており、専用の展示施設で公開されています。
まとめ
《ヘントの祭壇画》は、フーベルトとヤンのファン・エイク兄弟が手がけた、史上初の本格的な油彩画とも評される美術史上の記念碑的傑作でありながら、カルヴァン派の偶像破壊運動、ナポレオンの略奪、ナチスによる強奪、そして今なお未解決の盗難事件によって、その一部が今日でも行方不明のままとなっている、「史上最も盗まれた美術品」と呼ばれるに至った波乱の作品です。590年以上前に完成したこの絵は、数々の受難を経てなお、その大部分が今日まで生き延びています。

