《吉原格子先之図》(文政〜安政年間、1818〜1860年頃)は、葛飾北斎の娘である浮世絵師・葛飾応為による肉筆画で、東京・原宿の太田記念美術館が所蔵する作品です。吉原遊廓の妓楼を格子越しに描いたこの絵は、西洋絵画さながらの大胆な光と影の表現によって、「江戸のレンブラント」とも称される応為の類い稀な力量を今に伝える、世界にわずか10点ほどしか確認されていない貴重な現存作の一つです。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | 葛飾応為(生没年不詳、1801年頃〜1866年頃と推定) |
| 制作年 | 文政〜安政年間(1818〜1860年頃) |
| 技法・素材 | 紙本著色・肉筆画(一幅) |
| サイズ | 26.3×39.4cm |
| 所蔵 | 太田記念美術館(東京) |
| 舞台 | 吉原遊廓の妓楼「和泉屋」 |
| 落款 | 提灯に隠し落款「応」「為」「栄」 |
一言でいうと
《吉原格子先之図》は、吉原遊廓の妓楼を舞台に、闇に沈む外の通りと、格子の奥で赤々と輝く華やかな座敷とを鮮烈に対比させながら、中央に立つ遊女だけをあえて黒いシルエットとして描くという意図的な演出によって、光と影の劇的な効果を追求した、応為の代表作である。
制作背景
葛飾応為は、江戸時代を代表する絵師・葛飾北斎の三女として生まれ、絵師の南沢等明のもとに嫁ぎましたが、後に離縁しています。夫よりも自分の方が絵がうまいと笑ったことが、離縁の一因になったのではないかとも伝えられており、その気性の強さをうかがわせる逸話です。応為は父・北斎の制作を助け、代作を手がけることもあったとされ、とりわけ美人画においては北斎をしのぐ力量があったとも言われています。しかし、その卓越した技量にもかかわらず、現存が確認されている応為の作品は世界でわずか10点ほどにとどまり、その画業の全貌は今なお多くが謎に包まれています。
見どころ

構図:画面は大きく左右に分かれ、左側には格子の外に立ち並ぶ客たちの黒いシルエットと、格子の奥で華やかに照らされた座敷の様子が描かれています。手前は提灯の明かりがなければ足元もおぼつかないほどの暗闇であるのに対し、格子の中の座敷はまるで別世界のように赤々と輝き、着飾った遊女たちの姿が浮かび上がっています。
謎めいた黒い影:画面中央やや左寄りに立ち、格子越しに客と言葉を交わす一人の遊女は、全身が黒いシルエットとして描かれ、その表情をうかがい知ることはできません。近くに置かれた提灯の光を考えれば、本来ならば彼女の顔も他の人物同様にはっきりと照らされて見えるはずですが、他の陰影表現が光の向きに忠実であるのに対し、この人物だけはあえて黒い影として処理されています。この選択が単なる技法上の都合なのか、それとも何らかの意図によるものなのかは、今日でも見る者の想像をかき立て続けています。
技法:客たちが手にする複数の提灯や、座敷内の明かりなど、画面には複数の光源が描き込まれ、それぞれの光に照らされた人物たちが、暗闇の中に幻想的に浮かび上がっています。西洋絵画にも通じるこうした陰影表現は、当時の一般的な浮世絵美人画とは一線を画すものであり、応為が「江戸のレンブラント」と呼ばれる所以となっています。
隠し落款:画中に描かれた3つの提灯には、それぞれ「応」「為」「栄」の文字がさりげなく書き込まれています。これは応為の画号「応為」と、本名「栄(えい)」を隠すように記した落款であり、この絵が応為の真筆であることを裏づける重要な手がかりとなっています。
評価
《吉原格子先之図》は、現存する応為の作品の中でもとりわけ高く評価される代表作の一つとして知られ、太田記念美術館でも数年おきに公開される貴重な一点です。この絵をきっかけに応為への関心を深めたカナダ人作家キャサリン・ゴヴィエは、この絵を題材にした小説『北斎と応為』を2011年に発表し、また日本の作家・朝井まかても、この絵を鑑賞したことをきっかけに、応為を主人公とする小説『眩(くらら)』を2016年に発表するなど、この一枚は文学作品にも創作の着想を与え続けています。
よくある誤解
誤解①「中央の遊女が影で描かれているのは単なる技法上の制約である」→ 実際は他の人物と異なり意図的に黒い影として処理されている
浮世絵特有の表現手法だと思われがちですが、実際にはこの絵の他の陰影は光の向きに忠実に描かれており、近くの提灯を考慮すれば中央の遊女の顔も本来は見えるはずです。他の人物と扱いを違えてまで、あえて彼女だけを黒い影として描いたことには、意図的な演出があったと考えられています。
誤解②「応為の作品は他の浮世絵師と同様、数多く現存している」→ 実際は世界でわずか10点ほどしか確認されていない
北斎の娘という知名度から、相応の数の作品が現存していると思われがちですが、実際には応為の真筆と確認されている作品は世界でわずか10点ほどにとどまり、《吉原格子先之図》はその中でもとりわけ貴重な一枚として位置づけられています。
FAQ
Q. 《吉原格子先之図》とはどんな作品ですか?
A. 葛飾北斎の娘である絵師・葛飾応為が手がけた肉筆画で、吉原遊廓の妓楼「和泉屋」の夜の様子を、大胆な光と影の表現で描いています。太田記念美術館が所蔵しています。
Q. 葛飾応為とはどんな人物ですか?
A. 葛飾北斎の三女で、父の制作を助けながら独自の画業を築いた浮世絵師です。美人画において北斎をしのぐ力量があったとも言われますが、現存する作品は世界で10点ほどしか確認されていません。
Q. なぜ「江戸のレンブラント」と呼ばれるのですか?
A. 光と影を大胆に対比させる西洋絵画的な陰影表現を得意としたことから、17世紀オランダの巨匠レンブラントになぞらえて、こう呼ばれるようになりました。
Q. 《吉原格子先之図》はどこで見られますか?
A. 東京・原宿の太田記念美術館が所蔵しており、企画展などの機会に公開されています。
まとめ
《吉原格子先之図》は、吉原遊廓の妓楼を舞台に、闇に沈む外の通りと、格子の奥で赤々と輝く華やかな座敷とを鮮烈に対比させながら、中央に立つ遊女だけをあえて黒いシルエットとして描くという意図的な演出によって、光と影の劇的な効果を追求した、応為の代表作です。父・北斎の名の陰に隠れ、生没年すらはっきりしない応為という絵師の実像は、結局のところ、世界に10点ほどしか残らないこの作品群からしか推し量ることができません。

