ギロチンと聞くと、フランス革命の恐怖政治や、血ぬられたパリの広場を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、この装置を発案したジョゼフ=イニャス・ギヨタンという人物は、実は死刑そのものに反対していた医師だった。彼が目指したのは、身分によって処刑方法が異なるという不平等をなくし、誰であっても苦しみの少ない死を迎えられるようにすることだった。この記事では、そんな逆説から始まったギロチンの誕生から、フランスで最後に使われるまでの歴史を解説する。
定義
ギロチンとは、垂直に立てた2本の柱の間に、斜めに刃を仕込んだ重い落下部分(モートン)を取り付け、これを落下させることで一瞬のうちに斬首を行う処刑器具である。フランス革命期の1792年に初めて実戦投入され、以後フランスでは1977年まで、実に180年以上にわたって法的な処刑手段として使われ続けた。
具体例
ギロチンの歴史をたどると、いくつもの印象的な出来事にぶつかる。
- 1792年4月25日、強盗殺人犯ニコラ・ジャック・ペルティエへの執行が、ギロチンによる最初の処刑となった
- 1793年1月、ルイ16世がコンコルド広場(当時は革命広場)で処刑された
- 恐怖政治の絶頂期、1793年から94年にかけてパリだけで1万7000人以上が処刑されたとされる
- フランスでの最後の使用は1977年、殺人犯ハミダ・ジャンドゥビへの執行だった
背景
18世紀のフランスでは、死刑の執行方法が身分によって大きく異なっていた。貴族は比較的苦痛の少ない斬首刑を剣で受けられたが、庶民は絞首刑、時には車裂きや火刑といった、はるかに残酷な方法で処刑されることも珍しくなかった。しかも斬首刑は、執行人の腕前次第で何度も刃を振り下ろす羽目になることさえあった。
こうした状況に異を唱えたのが、パリ大学の解剖学教授でもあった医師ジョゼフ=イニャス・ギヨタンである。彼は1789年、革命後まもない国民議会で、すべての死刑囚に対して身分の区別なく、機械による瞬時の斬首刑を適用すべきだと提案した。ギヨタン自身は死刑制度の廃止を望んでいたが、それがすぐには実現しないと見て、次善の策として「苦痛の少ない平等な処刑」を訴えたのである。実際に装置を設計したのは、外科医アントワーヌ・ルイと、ドイツ人のピアノ製作者トビアス・シュミットだったとされる。
導入から恐怖政治まで
革命下での実戦投入
1792年、この新しい装置は実際にパリで使われ始めた。当初は「ルイゾン」あるいは「ルイゼット」とも呼ばれていたが、やがて提案者ギヨタンの名にちなんで「ギロチン」という呼称が定着していく。皮肉にも、ギヨタン本人はこの名称を嫌い、生涯にわたって不本意な思いを抱き続けたと伝えられている。
王と王妃の処刑
1793年1月、ルイ16世は反逆罪でギロチンにかけられた。同年10月には王妃マリー・アントワネットも同じ運命をたどっている。この2つの処刑は、フランス革命が旧体制と決別したことを象徴する出来事として、今日でもよく語られる。
恐怖政治とギロチンの量産
1793年から94年にかけての「恐怖政治」の時代、ロベスピエールらの主導のもとで、反革命容疑者への処刑が加速度的に増えていった。パリのコンコルド広場には常設のギロチンが置かれ、連日のように処刑が行われた時期もある。皮肉なことに、この体制を主導したロベスピエール自身も、1794年、政変によって同じ装置の刃にかかることになった。
20世紀までの存続
フランス革命が過ぎ去った後も、ギロチンはフランスの標準的な処刑方法であり続けた。19世紀を通じて刑事司法制度の中に組み込まれ、20世紀に入ってからも変わらず使われ続けている。1939年、公開処刑としては最後の例となったウジェーヌ・ヴァイドマンの処刑は、群衆の熱狂ぶりが問題視されたことをきっかけに、以後の処刑はすべて刑務所内で非公開に行われるようになった。
最終的にギロチンが使われたのは1977年、殺人罪で有罪となったハミダ・ジャンドゥビの執行時である。フランスは1981年に死刑制度そのものを廃止しており、結果としてこの処刑が、フランス史上最後の合法的な死刑執行となった。
現代への影響
ギロチンは今日、フランス革命そのものを象徴するイメージの一つとして、映画や文学、風刺画の中に繰り返し登場し続けている。一方で、その発案者ギヨタンが本来は死刑廃止を志していたという経緯は、あまり知られていない。彼の名がこの処刑装置と結びついて広まったことに苦しんだギヨタン家の子孫たちは、後にフランス政府へ改名を申し入れたとも伝えられており、皮肉な歴史の巡り合わせを物語っている。
よくある誤解
誤解①「ギロチンはフランス革命の残虐さを象徴するために考案された」→ 実際は処刑をより人道的にするための改革案だった
恐怖政治のイメージと強く結びついているため、残酷さを追求した装置だと思われがちだが、実際には身分差なく誰もが苦痛の少ない死を迎えられるようにという、当時としては人道的な発想から生まれたものだった。
誤解②「ギロチンはフランス革命が終わるとともに使われなくなった」→ 実際は1977年まで現役の処刑手段だった
フランス革命の象徴という印象が強いため、革命の終焉とともに姿を消したと思われがちだが、実際には20世紀後半に至るまで、フランスの正式な死刑執行手段として使われ続けていた。
FAQ
Q. ギロチンとはどんな装置ですか?
A. 垂直な柱の間から重い刃を落下させ、瞬時に斬首を行う処刑器具です。フランス革命期の1792年に実戦投入され、1977年まで使われました。
Q. ギロチンを考案したのはどんな人物ですか?
A. 医師ジョゼフ=イニャス・ギヨタンです。彼自身は死刑制度に反対しており、身分による処刑方法の不平等をなくすための次善策として、この装置の使用を提案しました。
Q. なぜ「ギロチン」という名前で呼ばれているのですか?
A. 提案者ギヨタンの名前にちなんで呼ばれるようになったものですが、当のギヨタン自身はこの名称を嫌っていたと伝えられています。
Q. フランスでギロチンが最後に使われたのはいつですか?
A. 1977年、殺人罪で有罪となったハミダ・ジャンドゥビへの執行が最後の例です。フランスは1981年に死刑制度そのものを廃止しました。
まとめ
ギロチンは、身分によって処刑の苦痛が異なるという不平等を解消しようとした、医師ギヨタンの提案から生まれた装置だった。しかし歴史はその意図とは裏腹に、この装置をフランス革命の恐怖政治の象徴へと変えてしまう。王から民衆まで、そして最後には提案の周辺にいた者たちまでもがその刃にかかったという経緯は、平等を目指した発明が、いかに数奇な運命をたどりうるかを物語っている。
