ヴォルテールの生涯|「あの恥辱を打ち砕け」と叫んだ啓蒙の闘士を徹底解説

11か月の独房生活を経て牢獄から出てきた青年は、屈することも黙ることもなく、新しい筆名と書き上げたばかりの戯曲を携えて、パリの舞台に返り咲いた。この記事では、ヴォルテールの波乱に満ちた生涯と、彼が生涯を通じて叫び続けた「恥辱を打ち砕け」という言葉の意味をたどっていく。

目次

生涯

パリの裕福な家に生まれて

ヴォルテール(本名フランソワ=マリー・アルエ)は1694年11月21日、パリの裕福な家庭に、末子として生まれた。7歳の時に母を亡くした彼は、自由思想家だった名付け親との関係を深めていく。イエズス会の名門校ルイ=ル=グラン学院で教育を受け、12歳の頃にはすでに機知に富んだ詩を書き始めていた。

投獄と筆名の誕生

1716年、彼は摂政オルレアン公を風刺したことでテュールへ追放され、翌1717年には再び逮捕され、名誉を毀損する詩を書いたとしてバスティーユ牢獄に約11か月間投獄された。この独房は窓すらなく、厚さ3メートルにも及ぶ壁に囲まれていたと伝えられている。しかし彼はこの経験に屈することなく、「ヴォルテール」という新たな筆名と、獄中で書き上げた戯曲『オイディプス』を携えて出獄し、この作品はパリの舞台で大きな成功を収めた。1726年、彼はシュヴァリエ・ド・ロアンとの諍いから暴行を受け、再びバスティーユに拘束された後、イギリスへの追放という条件で釈放される。彼はカレーを経てロンドンへ渡り、以後約3年をこの地で過ごした。

イギリスでの学びとフランスへの帰還

イギリス滞在中、ヴォルテールは『哲学書簡(イギリスに関する手紙)』を執筆し、イギリスの統治と社会を称賛する一方、デカルトやパスカルの宗教的な教えを風刺する内容も含んでいた。1733年から34年にかけて出版されたこの書物は、フランスの教会と政府の怒りを買い、彼は再び国を離れざるを得なくなる。以後15年間、彼は恋人エミリー・デュ・シャトレとともに、彼女の夫の邸宅があるシレー=シュル=ブレーズで暮らし、物理学と形而上学の実験に取り組む科学の工房を築き上げていった。彼はこの時期、フランスにニュートンの科学を広める上でも重要な役割を果たしている。1749年、エミリーが世を去ると、彼は姪マリー・ルイーズ・ミニョーとともに暮らすようになり、後に彼女と密かに結婚したとも伝えられている。

プロイセンからフェルネーへ

1750年、ヴォルテールはプロイセンへ移り、フリードリヒ大王の宮廷の一員として過ごした。その後ジュネーヴを経て、1758年からはスイス国境に近いフェルネーに定住し、この地を知的な活動の一大拠点へと発展させていった。1759年、彼は代表作『カンディード』を発表し、盲目的な楽観主義と宗教的な狂信を痛烈に風刺している。

「恥辱を打ち砕け」という信条

ヴォルテールは理神論者であり、理性的な創造主(「時計職人としての神」)の存在は信じながらも、組織化された宗教のあり方については容赦なく批判した。彼の生涯を貫くモットー「エクラゼ・ランファーム(あの恥辱を打ち砕け)」は、狂信と独断、そして司法による残虐行為を標的としたものであり、この正確な意味については、今日の歴史家の間でも議論が続いている。この信条を最も鮮烈に体現したのが、1762年のカラス事件への関与だった。トゥールーズで自殺したプロテスタントの青年の死が、改宗を防ぐための殺人だと曲解され、父親のジャン・カラスが拷問の末に処刑されるというこの事件に対し、ヴォルテールは「友人・財産・筆・信用のすべて」を注ぎ込んで世論を動かし、1765年、ついに高等法院にカラス家の無実を認めさせている。彼はこの他にもシルヴァン事件やラ・バール事件など、宗教的不寛容の犠牲者たちの名誉回復のために、生涯にわたって奔走し続けた。

最期

1778年2月、長い不在を経てパリへ戻ったヴォルテールは、熱狂的な歓迎を受けた。彼はこの地でカトリック教会との和解ともとれる臨終の場面を迎えたが、終油の秘跡は拒みながらも神への信仰は表明したと伝えられ、この行動の真意については、今日も歴史家たちの間で議論が分かれている。同年5月30日、ヴォルテールは83歳でパリにてその生涯を閉じた。彼の心臓と脳は、それぞれ別に保存されたと伝えられている。

主要な出来事

  • 1694年11月21日:パリで誕生
  • 1717年:バスティーユに投獄され「ヴォルテール」を名乗る
  • 1726年:イギリスへ追放される
  • 1733〜34年:『哲学書簡』出版によりフランスから再び逃亡
  • 1750年:プロイセンへ移りフリードリヒ大王の宮廷に加わる
  • 1758年:フェルネーに定住
  • 1759年:『カンディード』を発表
  • 1762〜65年:カラス事件に関与し名誉回復に尽力
  • 1778年5月30日:83歳で死去

現代への影響

ヴォルテールが体現した、言論の自由と宗教的寛容への揺るぎない擁護は、後のフランス革命と、今日の人権をめぐる議論に至るまで、長く影響を残し続けている。もっとも彼の名で広く知られている「あなたの意見には反対だが、それを言う権利は命をかけて守る」という言葉は、実際には彼自身の言葉ではなく、後世の伝記作家エヴリン・ビアトリス・ホールが、彼の思想を要約するために創作した表現である。この誤帰属の逸話そのものが、彼の思想がいかに広く象徴的に語り継がれてきたかを、皮肉な形で物語っている。

よくある誤解

誤解①「あなたの意見には反対だが、それを言う権利は命をかけて守る」という言葉は、ヴォルテール自身の言葉である」→ 実際は後世の伝記作家による創作である

この言葉があまりに広く知られているため、ヴォルテール自身が実際に語った言葉だと思われがちだが、実際にはこれは彼の死後100年以上を経て、伝記作家エヴリン・ビアトリス・ホールが彼の思想を要約する形で創作した表現であり、彼自身の文献には見当たらない。

誤解②「エクラゼ・ランファーム」という言葉は、キリスト教信仰そのものへの否定を意味していた」→ 実際は狂信と不寛容という特定の対象を標的としていた

この過激な標語から、彼が信仰そのものを否定していたと思われがちだが、実際には彼自身は理神論者として神の存在を認めており、この言葉が標的としていたのは、信仰そのものではなく、それを利用した狂信・独断・司法上の残虐行為だった。

FAQ

Q. ヴォルテールとはどんな人物ですか?
A. 18世紀フランスの啓蒙思想家で、言論の自由と宗教的寛容を生涯にわたって擁護した人物です。『カンディード』などの著作や、カラス事件をはじめとする不正義への抗議活動で知られています。

Q. なぜヴォルテールは何度も投獄・追放されたのですか?
A. 権力者を風刺する詩や、イギリスの統治を称賛しつつフランスの宗教的教えを批判した著作が、当時の教会と政府の怒りを買ったためです。

Q. カラス事件とはどんな出来事ですか?
A. 1762年、フランスでプロテスタントの父親が、息子の自殺を殺人と曲解されて拷問の末処刑された事件で、ヴォルテールが名誉回復のために奔走し、1765年に無実が認められました。

Q. ヴォルテールの有名な引用句は本人の言葉ですか?
A. 「あなたの意見には反対だが、それを言う権利は命をかけて守る」という言葉は、実際には彼自身の言葉ではなく、後世の伝記作家が彼の思想を要約して作った表現です。

まとめ

11か月の獄中生活から生まれ変わった青年は、その後も投獄と追放を繰り返されながら、決して沈黙しなかった。「恥辱を打ち砕け」という叫びは、信仰そのものへの否定ではない。それを悪用する狂信と不正義への、生涯にわたる抵抗だった。もっとも彼の最も有名な言葉は、実は他人の創作だという。本人が語った言葉より、他人が代弁した言葉の方が長く記憶される。ヴォルテールの生涯は、そんな皮肉も抱えている。

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