シェイクスピアとは|生涯・代表作・オフィーリアが絵画になった理由をわかりやすく解説

ウィリアム・シェイクスピア(1564〜1616)は、『ハムレット』『ロミオとジュリエット』などで知られる、イギリス・エリザベス朝を代表する劇作家です。約20年間で37編前後の戯曲を書き、英語という言語そのものに多大な影響を与えたにもかかわらず、その生涯の詳細は謎に包まれています。この記事では、シェイクスピアの生涯、代表作、そして『ハムレット』のヒロイン・オフィーリアがなぜ後世の画家たちの題材になったのかまでを解説します。

目次

シェイクスピアとは — 3分で分かる要点

項目内容
名前ウィリアム・シェイクスピア(英:William Shakespeare)
生没年1564年4月頃〜1616年4月23日(享年52)
出身イングランド・ストラトフォード・アポン・エイヴォン
分野戯曲・詩(ソネット)
代表作『ハムレット』『マクベス』『ロミオとジュリエット』『オセロー』
作品数戯曲37編前後、ソネット154編(研究者により数え方に幅がある)
活動拠点ロンドンの劇団「宮内大臣一座」(のち「国王一座」)、グローブ座

一言でいうと シェイクスピアは、人間の欲望・嫉妬・野心・狂気を類まれな言葉で描き出し、400年を経てなお上演され続ける戯曲群によって、英語という言語そのものを形づくった劇作家である。

シェイクスピアが生きた時代 — エリザベス朝演劇の黄金期

シェイクスピアが活動した16世紀後半から17世紀初頭のイングランドは、エリザベス1世の治世下、国力が充実し、演劇が庶民の一大娯楽として花開いた時代でした。ロンドンには常設の劇場が次々に建てられ、身分を問わず多くの観客が芝居見物に押し寄せます。当時の演劇は、宗教的・道徳的な教訓を垂れる中世演劇から、人間そのものの欲望や葛藤を描く世俗的な娯楽へと大きく転換しつつありました。シェイクスピアはこの演劇黄金期の中心で活動し、同時代のクリストファー・マーロウらとともに、イギリス演劇の水準を飛躍的に高めた世代の一人です。

シェイクスピアの生涯

出自と「失われた年月」(1564年〜1592年頃)

シェイクスピアは1564年、イングランド中部の町ストラトフォード・アポン・エイヴォンで生まれました。手袋職人の父のもとで育ち、地元の文法学校で教育を受けたとされますが、大学には進学していません。18歳でアン・ハサウェイと結婚し3人の子をもうけますが、1585年頃から1592年頃までの約7年間、記録がほとんど残っておらず、この空白期間は研究者の間で「失われた年月」と呼ばれています。この間に何をしていたのかは分かっておらず、伝記的な謎の一つです。

ロンドンでの劇作家デビュー(1592年頃〜1599年)

1592年頃、シェイクスピアはロンドンで劇作家・俳優として活動していた記録が初めて現れます。同時代の劇作家ロバート・グリーンが、無学な役者上がりのシェイクスピアを妬んで揶揄する文章を残しており、これが彼の存在を示す最初期の同時代資料です。この時期、『ヘンリー六世』三部作などの歴史劇や、『ロミオとジュリエット』(1595年頃)を発表し、劇団「宮内大臣一座」の座付き作家・共同経営者として頭角を現していきます。

グローブ座と四大悲劇(1599年〜1608年頃)

1599年、シェイクスピアが所属する一座は、テムズ川南岸に新たな劇場「グローブ座」を建設します。この劇場を拠点に、シェイクスピアは創作の絶頂期を迎え、『ハムレット』(1600年頃)、『オセロー』(1604年頃)、『リア王』(1605年頃)、『マクベス』(1606年頃)という「四大悲劇」を次々に発表しました。権力・嫉妬・野心・狂気といった人間の根源的な欲望を、緊密な構成と類まれな言葉の力で描き出したこれらの作品は、シェイクスピア文学の頂点とされています。

晩年 — 故郷への帰還と死(1608年頃〜1616年)

1608年以降、シェイクスピアの作風は、悲劇から、和解と赦しを主題とする「ロマンス劇」(『テンペスト』など)へと移っていきます。1613年頃、故郷ストラトフォードに引退し、以後は執筆から離れて余生を送ったとされます。1616年4月23日(記録によれば誕生日と同じ日)に死去。享年52でした。生前に自作の決定版を出版しておらず、死後の1623年、同僚俳優らが編纂した戯曲集「ファースト・フォリオ」によって、多くの作品が散逸を免れています。

シェイクスピアの何がすごいのか — 3つの特徴

特徴① 人間の内面を言葉で解剖する力

シェイクスピアの登場人物たちは、単なる善玉・悪玉ではなく、迷い、葛藤し、矛盾した独白を語ります。ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」という独白に代表されるように、行動する前に自らの内面を延々と言葉で探る人物造形は、当時の演劇として画期的であり、後の心理小説的な人間描写の先駆けとも評されます。

特徴② 英語という言語そのものへの貢献

シェイクスピアは、既存の語を新しい意味で用いたり、新語を作り出したりすることで、英語の語彙と表現力を大きく拡張しました。今日の英語話者が日常的に使う多くの慣用句が、シェイクスピアの戯曲を出典とするとされています(ただし、実際に彼の「発明」かどうかは、当時の他の文献との比較検証が必要な場合もあります)。

特徴③ 身分を超えて愛される普遍性

シェイクスピアの戯曲は、初演当時、貴族から庶民まで幅広い観客に愛されました。高尚な韻文の台詞と、下世話な言葉遊びや喜劇的場面が同じ戯曲の中に同居しており、この「高低の混在」こそが、時代や文化を超えて世界中で上演され続ける普遍性の理由の一つとされています。

💡 ここに注目(編集部より) シェイクスピアの戯曲を難解だと感じたら、まず舞台や映画化作品を先に鑑賞することをおすすめします。もともと「読む」ためではなく「観る」ために書かれた台本であり、俳優の身体と声を通して初めて、言葉の緊張感が生きてきます。

代表作品

  • 『ハムレット』(1600年頃):父王の亡霊に復讐を託された王子の苦悩を描く四大悲劇の一つ。ヒロイン、オフィーリアの溺死の場面は、後世の画家たちの重要な題材になりました(→人物記事:ジョン・エヴァレット・ミレイとは)
  • 『マクベス』(1606年頃):予言に翻弄され、王殺しに手を染める将軍の野心と破滅を描く
  • 『ロミオとジュリエット』(1595年頃):対立する両家の若い恋人たちの悲劇
  • 『リア王』(1605年頃):老王が娘たちへの愛情を見誤ったことから始まる悲劇
  • 『オセロー』(1604年頃):嫉妬にとり憑かれた将軍の悲劇

人物相関 — シェイクスピアをめぐる人々

  • クリストファー・マーロウ(同時代のライバル):『フォースタス博士』で知られる劇作家。シェイクスピアと同年生まれで、当時はマーロウの方が先に名声を得ていましたが、20代で早逝しました。
  • リチャード・バーベッジ(看板俳優):シェイクスピアの所属する劇団の花形俳優。ハムレットら数々の主役を初演で演じたとされます。
  • ベン・ジョンソン(同時代の劇作家・友人):シェイクスピアと交流のあった劇作家。「ファースト・フォリオ」に寄せた賛辞の詩が、シェイクスピアへの同時代の評価を伝える貴重な資料になっています。

後世への影響 — 世界文学への浸透

シェイクスピアの作品は、以後400年にわたり世界中で翻訳・上演され続け、オペラ・バレエ・映画・現代小説にまで無数の翻案を生んでいます。日本でも、坪内逍遥による本格的な全訳(明治期)以降、翻訳・上演が盛んに行われ、夏目漱石をはじめとする近代日本文学の作家たちにも大きな影響を与えました(→人物記事:夏目漱石とは)。心理学の「エディプス・コンプレックス」という概念が『ハムレット』の解釈と結びつけて論じられるなど、文学の枠を超えた影響も広範です。

現代とのつながり — 絵画になったオフィーリア

『ハムレット』第4幕で語られるオフィーリアの死は、戯曲の中では舞台上に登場せず、王妃の台詞によって語られるだけの場面です。この「誰も見ていない場面」を絵画として初めて可視化したのが、ラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレイによる《オフィーリア》(1851〜1852年、テート・ブリテン所蔵)でした。文学の余白を絵画が埋めるこの関係は、シェイクスピア作品が演劇の枠を超え、他の芸術ジャンルの想像力を刺激し続けてきたことを示す好例です。

《オフィーリア》

よくある誤解

誤解①「シェイクスピアは実在せず、別人が書いた」→ 有力な学術的根拠に乏しい説

「無学な役者上がりがこれほどの作品を書けるはずがない」という疑念から、フランシス・ベーコンや貴族が真の作者だとする「別人説」がしばしば語られます。しかし、同時代人グリーンによる同時代資料や、共演者たちの証言など、シェイクスピアの実在と作者性を裏づける記録は複数存在し、主流の研究者の間では別人説は学術的根拠に乏しいとされています。

誤解②「シェイクスピアの戯曲はすべて彼のオリジナルな物語である」→ 多くは既存の物語の翻案

シェイクスピアの戯曲の多くは、当時すでに知られていた歴史書や物語の翻案です。『ハムレット』も北欧の伝説に基づく先行する物語(『ハムレット物語』)があったとされ、『ロミオとジュリエット』もイタリアの物語が下敷きになっています。シェイクスピアの独創性は、物語の筋そのものよりも、人物描写・言葉の力・構成にあったと理解するのが適切です。

年表

年齢シェイクスピアの出来事同時代の出来事
15640ストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれる
158218アン・ハサウェイと結婚
1585〜92頃21〜28頃「失われた年月」(記録が乏しい期間)
159228ロンドンで劇作家として活動する記録が現れる
1595頃31『ロミオとジュリエット』
159935グローブ座建設
1600頃36『ハムレット』関ヶ原の戦い(日本)
1606頃42『マクベス』
1613頃49ストラトフォードに引退
1616524月23日死去
1623「ファースト・フォリオ」出版(死後の戯曲集)

FAQ

Q. シェイクスピアの代表作は何ですか?
A. 『ハムレット』『マクベス』『オセロー』『リア王』の「四大悲劇」が特に有名です。喜劇では『夏の夜の夢』、悲恋物語では『ロミオとジュリエット』が広く知られています。

Q. シェイクスピアは実在した人物ですか?
A. はい。同時代人グリーンの記述や共演者の証言など、実在と作者性を裏づける複数の同時代資料が存在します。「別人が書いた」とする説も存在しますが、主流の学術研究では根拠に乏しいとされています。

Q. オフィーリアとはどんな人物ですか?
A. 『ハムレット』のヒロインで、ハムレットの恋人です。父を彼に殺されたショックで正気を失い、川で溺れて死にます。この場面は戯曲では台詞で語られるだけですが、後に画家ミレイが絵画として可視化し、有名になりました。

Q. シェイクスピアの戯曲は何本ありますか?
A. 一般に37編前後とされますが、共作の扱いや帰属が議論される作品もあり、研究者により数え方に幅があります。

まとめ

シェイクスピアは、人間の欲望・嫉妬・野心・狂気を、緊密な構成と豊かな言葉で描き出した劇作家です。その生涯には謎めいた空白がありながら、作品そのものは400年を経てなお世界中の舞台にかかり続け、絵画や心理学の理論にまで影響を及ぼしています。オフィーリアの物語がミレイの絵として蘇ったように、シェイクスピアの余白は今も他の芸術を刺激し続けています。

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